こうなったらジタバタせず、
巡りくる日常は、
平静かつ粛々と送るように、
努めることにして、
決められたスケジュールは、
きちんと果たそうと思い、
午前11時に「感謝のつどい」会場の、
白金台「八芳園」に向かいました。

今日の会に向けて、
TOKYO MXの名誉相談役・後藤亘さんの、
評伝の制作をお手伝いしていたこともあって、
92歳にして今日もお元気に、
出席していらした後藤さんの姿を見て、
感慨深いものがありました。
後藤さんは、
日本のFM放送の誕生に尽力し、
FM東京でラジオの黄金時代を牽引したあと、
経営破綻の危機にあったTOKYO MXを、
見事に蘇らせた放送界のカリスマで、
「ミスターFM」と呼ばれた人でもあります。
後藤さんは福島出身で、
東北大学卒業ということから、
私とは「仙台」を共通項にして、
20年余親しくさせていただいているご縁で、
評伝制作に関わることになったのです。

【10月30日発売。文藝春秋刊です】
書き手を、
後藤さんの下で長年働いて来た、
ラジオプロデューサーで作家の、
延江浩さんにお願いすることとし、
文藝春秋編集委員の森正明さんご指導のもと、
関わらせていただきました。
脱稿して次なる編集段階に入ろうとしていた、
今年4月6日の早朝、
前日までお元気だった延江さんが、
急逝してからは、
森さんが編集責任者となって、
遺稿をもとに刊行された著書です。
脱稿直後に、
延江さんが書いた「あとがき」と、
最終頁に後藤さんが書いてくださった、
延江さんにあてた「追悼詞」が、
掲載されているのを読むと、
延江さんの「無念」が感じられて、
胸がいっぱいになります。
タイトルは、
常に「逆境を好機」と捉え、
果敢に挑戦し続けて来た、
後藤さんに相応しいと思い、
「反骨魂」としました。
後藤さんの心優しい人柄をベースに、
昭和のメディア文化史の豊かさや、
日本のラジオ文化史(特にFM放送の変遷)を、
知ることが出来て、
興味深い内容となっていますので、
読んでいただけたら幸いです。
(今日のけむり)

【りえこさんは帰宅するなり、
「♪ケセラセラ〜なるようになる〜♪」と、
大声で歌っていました】
11月10日(月)~11月12日(水)「トークサロン」(詳しくはこちらから)
クラブ・ウィルビーのホームページもぜひご覧ください。様々な情報を掲載しています。(ここをクリック)
巡りくる日常は、
平静かつ粛々と送るように、
努めることにして、
決められたスケジュールは、
きちんと果たそうと思い、
午前11時に「感謝のつどい」会場の、
白金台「八芳園」に向かいました。

今日の会に向けて、
TOKYO MXの名誉相談役・後藤亘さんの、
評伝の制作をお手伝いしていたこともあって、
92歳にして今日もお元気に、
出席していらした後藤さんの姿を見て、
感慨深いものがありました。
後藤さんは、
日本のFM放送の誕生に尽力し、
FM東京でラジオの黄金時代を牽引したあと、
経営破綻の危機にあったTOKYO MXを、
見事に蘇らせた放送界のカリスマで、
「ミスターFM」と呼ばれた人でもあります。
後藤さんは福島出身で、
東北大学卒業ということから、
私とは「仙台」を共通項にして、
20年余親しくさせていただいているご縁で、
評伝制作に関わることになったのです。

【10月30日発売。文藝春秋刊です】
書き手を、
後藤さんの下で長年働いて来た、
ラジオプロデューサーで作家の、
延江浩さんにお願いすることとし、
文藝春秋編集委員の森正明さんご指導のもと、
関わらせていただきました。
脱稿して次なる編集段階に入ろうとしていた、
今年4月6日の早朝、
前日までお元気だった延江さんが、
急逝してからは、
森さんが編集責任者となって、
遺稿をもとに刊行された著書です。
脱稿直後に、
延江さんが書いた「あとがき」と、
最終頁に後藤さんが書いてくださった、
延江さんにあてた「追悼詞」が、
掲載されているのを読むと、
延江さんの「無念」が感じられて、
胸がいっぱいになります。
タイトルは、
常に「逆境を好機」と捉え、
果敢に挑戦し続けて来た、
後藤さんに相応しいと思い、
「反骨魂」としました。
後藤さんの心優しい人柄をベースに、
昭和のメディア文化史の豊かさや、
日本のラジオ文化史(特にFM放送の変遷)を、
知ることが出来て、
興味深い内容となっていますので、
読んでいただけたら幸いです。
(今日のけむり)

【りえこさんは帰宅するなり、
「♪ケセラセラ〜なるようになる〜♪」と、
大声で歌っていました】
11月10日(月)~11月12日(水)「トークサロン」(詳しくはこちらから)
クラブ・ウィルビーのホームページもぜひご覧ください。様々な情報を掲載しています。(ここをクリック)




