お昼過ぎから、
文化放送「大人ファンクラブ」の、
収録がありますので、
睡眠時間が2時間強では、
保たないかもしれないと思って、
無理にでも(二度寝は出来ないタチなのですが)
少し眠ろうかと思ったのですが、
昨日メールをもらった人に、
今日電話をすると約束していたので、
眠い目をこすりながら、
電話をしました。
電話をしたのは、
以前このブログでもご紹介したことのある、
札幌で小料理屋さんをやっている、
サヨコさんです。
私が以前「JR北海道を励ます会」の、
メンバーとして(石ノ森章太郎さん、
浅利慶太さん、篠田正浩さん、
倉本聰さんたちがメンバーの会でした)
しばしば北海道を訪れていて、
サヨコさんのお店が、
JR北海道の人たちの、
行きつけだったこともあって、
サヨコさんと親しくなったのです。
以下は、
私(Z)とサヨコさん(S)の、
今日の会話です。
Z「サヨコさん、お久しぶりです!
何かありました?」
S「あのね、今度、私、
東京に行くことになったの」
Z「まぁ、コロナ禍のせいで、
なかなかお会いできなかったから嬉しいです!
で、いついらっしゃるのですか?」
S「東京に行くというより、
東京で仕事をすることになったのよ」
Z「東京で仕事を?」
S「コロナ禍の時も、
お客さまに恵まれていたから、
何とかやってきたのだけれど、
このまま今のお店を続けることが、
ちょっと厳しくなったので、
銀行からお金を借りて、
お店をテコ入れしようかと思って、
30年来東京から、
通ってきてくださっている方に相談したの。
里江子さんと同じくらいの年の方で、
何かあるといつも適切な意見を、
言ってくださる方なの。
そしたら、
『これから借金などしてはいけない。
思い切って、東京に来て、
自分の仕事を手伝ってくれないか』と、
おっしゃるの。
パンの製造販売会社の社長さんで、
奥さまもとてもいい方なの。
正社員として雇ってくださって、
系列の喫茶店で、
サンドイッチなどの軽食を作る仕事を、
してほしいと言われたの。
私、思わず、
『私の年齢、ご存知ですよね?』と、
申し上げたら、
『何十年も前からつき合っているのだから、
わかっていますよ』とおっしゃって……。
先月末に東京に行って、
3時間ほど仕事場の見学をさせていただいて、
契約も交わして来たの。
それで、今のお店は6月末で閉めて、
家も売却して、
東京に出て行くことにしたの。
お店から10分くらいのところに、
アパートも見つけてくれて社宅にしてくださって。
人生って何が起きるか分からないってホントですね。
奇跡みたいな話でしょう?」
サヨコさんは、
北海道美瑛で生まれ。
岩見沢で結婚して、
3人の子どもを産んで、
娘さんが20歳になるのを待って、
旦那さんの借金2000万円を背負って、
離婚したのが35年前。
元々お料理が上手だったから、
手作り料理の割烹から始めて、
一時は人を雇って、
店を切り盛りしていたこともあれば、
料理学校の先生にもなったりしながら、
みんなに愛されて来た女将さんでした。
Z「で、サヨコさん、
今更こんなことを聞くのは失礼ですけど、
今年、何歳になるんでしたっけ?」
大転身をあまりにも軽やかに語る、
サヨコさんが信じられなくて、
改めて聞いてみると、
S「ホッホッホ、85歳よ。孫も9人いますよ」
Z「お子さん達、反対しなかったんですか?」
S「私の人生ですからね。反対なんかさせません!」と、
この時だけはキッパリ言い放つのでした。
「また新しい仕事人生が始まると思うと嬉しくって。
スタッフの皆さんは30代ですから、
役に立つかどうか分からないけれど、
みんなのムードメーカーになるように、
努力するつもりなの。
とにかく7月中旬には、
里江子さんと同じ東京都の住人になりますから、
よろしくお願いしますね」
……友人の死に打ちひしがれたり、
思うに任せない先行きに不安を募らせたり、
気が晴れない日を送っていましたが、
サヨコさんの明るく元気な声を聞いたら、
「グズグズ言っている場合じゃない!
亡くなった人の分まで頑張らなきゃ!!」と、
我が身を叱りつけました。
(今日のけむり)

【「りえこさんは一喜一憂の人です」】
クラブ・ウィルビーのホームページもぜひご覧ください。様々な情報を掲載しています。(ここをクリック)
文化放送「大人ファンクラブ」の、
収録がありますので、
睡眠時間が2時間強では、
保たないかもしれないと思って、
無理にでも(二度寝は出来ないタチなのですが)
少し眠ろうかと思ったのですが、
昨日メールをもらった人に、
今日電話をすると約束していたので、
眠い目をこすりながら、
電話をしました。
電話をしたのは、
以前このブログでもご紹介したことのある、
札幌で小料理屋さんをやっている、
サヨコさんです。
私が以前「JR北海道を励ます会」の、
メンバーとして(石ノ森章太郎さん、
浅利慶太さん、篠田正浩さん、
倉本聰さんたちがメンバーの会でした)
しばしば北海道を訪れていて、
サヨコさんのお店が、
JR北海道の人たちの、
行きつけだったこともあって、
サヨコさんと親しくなったのです。
以下は、
私(Z)とサヨコさん(S)の、
今日の会話です。
Z「サヨコさん、お久しぶりです!
何かありました?」
S「あのね、今度、私、
東京に行くことになったの」
Z「まぁ、コロナ禍のせいで、
なかなかお会いできなかったから嬉しいです!
で、いついらっしゃるのですか?」
S「東京に行くというより、
東京で仕事をすることになったのよ」
Z「東京で仕事を?」
S「コロナ禍の時も、
お客さまに恵まれていたから、
何とかやってきたのだけれど、
このまま今のお店を続けることが、
ちょっと厳しくなったので、
銀行からお金を借りて、
お店をテコ入れしようかと思って、
30年来東京から、
通ってきてくださっている方に相談したの。
里江子さんと同じくらいの年の方で、
何かあるといつも適切な意見を、
言ってくださる方なの。
そしたら、
『これから借金などしてはいけない。
思い切って、東京に来て、
自分の仕事を手伝ってくれないか』と、
おっしゃるの。
パンの製造販売会社の社長さんで、
奥さまもとてもいい方なの。
正社員として雇ってくださって、
系列の喫茶店で、
サンドイッチなどの軽食を作る仕事を、
してほしいと言われたの。
私、思わず、
『私の年齢、ご存知ですよね?』と、
申し上げたら、
『何十年も前からつき合っているのだから、
わかっていますよ』とおっしゃって……。
先月末に東京に行って、
3時間ほど仕事場の見学をさせていただいて、
契約も交わして来たの。
それで、今のお店は6月末で閉めて、
家も売却して、
東京に出て行くことにしたの。
お店から10分くらいのところに、
アパートも見つけてくれて社宅にしてくださって。
人生って何が起きるか分からないってホントですね。
奇跡みたいな話でしょう?」
サヨコさんは、
北海道美瑛で生まれ。
岩見沢で結婚して、
3人の子どもを産んで、
娘さんが20歳になるのを待って、
旦那さんの借金2000万円を背負って、
離婚したのが35年前。
元々お料理が上手だったから、
手作り料理の割烹から始めて、
一時は人を雇って、
店を切り盛りしていたこともあれば、
料理学校の先生にもなったりしながら、
みんなに愛されて来た女将さんでした。
Z「で、サヨコさん、
今更こんなことを聞くのは失礼ですけど、
今年、何歳になるんでしたっけ?」
大転身をあまりにも軽やかに語る、
サヨコさんが信じられなくて、
改めて聞いてみると、
S「ホッホッホ、85歳よ。孫も9人いますよ」
Z「お子さん達、反対しなかったんですか?」
S「私の人生ですからね。反対なんかさせません!」と、
この時だけはキッパリ言い放つのでした。
「また新しい仕事人生が始まると思うと嬉しくって。
スタッフの皆さんは30代ですから、
役に立つかどうか分からないけれど、
みんなのムードメーカーになるように、
努力するつもりなの。
とにかく7月中旬には、
里江子さんと同じ東京都の住人になりますから、
よろしくお願いしますね」
……友人の死に打ちひしがれたり、
思うに任せない先行きに不安を募らせたり、
気が晴れない日を送っていましたが、
サヨコさんの明るく元気な声を聞いたら、
「グズグズ言っている場合じゃない!
亡くなった人の分まで頑張らなきゃ!!」と、
我が身を叱りつけました。
(今日のけむり)

【「りえこさんは一喜一憂の人です」】
