10時10分すぎには、
会場に到着しましたので、
受付をしていただいたのも2番目となり、
最前列に白いカーネーションを持って、
献花の時を待ちました。
祭壇は白とピンクの花々で飾られてあり、
しのぶさんの美しい遺影が、
私たちを見つめています。
会場には、
しのぶさんの歌が静かに流れていて、
私が最前列の定位置に並んだ時には、
5月の「母の日に贈るコンサート」でも歌った、
「アヴェマリア」が聴こえてきて、
涙が止まらなくなりました。
実際に献花をするまでの約30分間、
目の前のしのぶさんの遺影を、
仰ぎ見る形で立ちながら、
「何故、こんなに早く………!」と、
心の中で語りかけていました。
11時丁度に、
ご主人の現田茂夫さんと娘さんが前方に立ち、
喪主である現田さんから、
参列者にご挨拶がありました。
みなさんにおいでいただいたことへの、
お礼を述べられたあと、
「しのぶちゃんに書いた、
最後のラブレターを読ませていただきます」と、
おっしゃって、
「しのぶちゃん、ありがとう」という言葉から、
ラブレターの朗読が始まりました。
ふたりのなれそめや、
結婚までのいきさつなどを、
ふりかえりながら、
「しのぶちゃんはいつも真面目で、
努力家でした。
そんな姿を見ながら、
僕は怠惰な自分を恥じていました。
しのぶちゃん、
ここまで僕を引っ張ってきてくれて、
ありがとう」と、
最後もしのぶさんへの感謝の言葉で終わった、
素敵なラブレターでした。
闘病の様子も、
この世を去る時のことも、
もちろん死因にも触れることなく、
でも、
それが身内以外には何も語らずに、
突然いなくなってしまった、
しのぶさんらしい最期にも思えました。
隣りの部屋には、
「しのぶの写真が展示してありますので、
よかったらご覧ください」との、
現田さんの言葉に、
隣室に入ると、
華やかなステージの写真は、
入り口の動画だけで、
あとはバングラデシュや、
チェリノブイリの子供たちと、
交流している(時に子供たちを抱きしめている)
しのぶさんの姿でした。
歌に生き、家族を愛し、
平和な世の中を、
希求し続けたしのぶさん………。
私には今日もどこかで、
歌っているとしか思えません。
しのぶさんの同志ともいうべき、
ピアニスト森島英子さんのアナウンスで、
(森島さんとの確証はないのですが、
どなたかが森島さんのお声だと、
おっしゃっていましたし、
そのしみじみとしたお声が、
仕事で来ている人のアナウンスには、
思えませんでしたので)
「本日は静かにしのぶさんと、
お別れをしていただきたく思っておりますので、
どうか会場内の写真撮影と、
録音はお控えくださいますように」という、
言葉に従って、
会場の写真はありませんが、
帰りにお渡しくださった、
現田さんからの御礼の言葉と、
それに添えられたしのぶさんの写真を、
(みなさまにもいつまでも、
心に刻んでいただきたいので)
謹んで掲載させていただきます。

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会場に到着しましたので、
受付をしていただいたのも2番目となり、
最前列に白いカーネーションを持って、
献花の時を待ちました。
祭壇は白とピンクの花々で飾られてあり、
しのぶさんの美しい遺影が、
私たちを見つめています。
会場には、
しのぶさんの歌が静かに流れていて、
私が最前列の定位置に並んだ時には、
5月の「母の日に贈るコンサート」でも歌った、
「アヴェマリア」が聴こえてきて、
涙が止まらなくなりました。
実際に献花をするまでの約30分間、
目の前のしのぶさんの遺影を、
仰ぎ見る形で立ちながら、
「何故、こんなに早く………!」と、
心の中で語りかけていました。
11時丁度に、
ご主人の現田茂夫さんと娘さんが前方に立ち、
喪主である現田さんから、
参列者にご挨拶がありました。
みなさんにおいでいただいたことへの、
お礼を述べられたあと、
「しのぶちゃんに書いた、
最後のラブレターを読ませていただきます」と、
おっしゃって、
「しのぶちゃん、ありがとう」という言葉から、
ラブレターの朗読が始まりました。
ふたりのなれそめや、
結婚までのいきさつなどを、
ふりかえりながら、
「しのぶちゃんはいつも真面目で、
努力家でした。
そんな姿を見ながら、
僕は怠惰な自分を恥じていました。
しのぶちゃん、
ここまで僕を引っ張ってきてくれて、
ありがとう」と、
最後もしのぶさんへの感謝の言葉で終わった、
素敵なラブレターでした。
闘病の様子も、
この世を去る時のことも、
もちろん死因にも触れることなく、
でも、
それが身内以外には何も語らずに、
突然いなくなってしまった、
しのぶさんらしい最期にも思えました。
隣りの部屋には、
「しのぶの写真が展示してありますので、
よかったらご覧ください」との、
現田さんの言葉に、
隣室に入ると、
華やかなステージの写真は、
入り口の動画だけで、
あとはバングラデシュや、
チェリノブイリの子供たちと、
交流している(時に子供たちを抱きしめている)
しのぶさんの姿でした。
歌に生き、家族を愛し、
平和な世の中を、
希求し続けたしのぶさん………。
私には今日もどこかで、
歌っているとしか思えません。
しのぶさんの同志ともいうべき、
ピアニスト森島英子さんのアナウンスで、
(森島さんとの確証はないのですが、
どなたかが森島さんのお声だと、
おっしゃっていましたし、
そのしみじみとしたお声が、
仕事で来ている人のアナウンスには、
思えませんでしたので)
「本日は静かにしのぶさんと、
お別れをしていただきたく思っておりますので、
どうか会場内の写真撮影と、
録音はお控えくださいますように」という、
言葉に従って、
会場の写真はありませんが、
帰りにお渡しくださった、
現田さんからの御礼の言葉と、
それに添えられたしのぶさんの写真を、
(みなさまにもいつまでも、
心に刻んでいただきたいので)
謹んで掲載させていただきます。

