当日、
急用が入って、
おいでいただけない方も、
いらっしゃるかもしれませんが、
今のところ、
初年度個人として、
多額の寄付をしてくださった、
生島ヒロシさん、
「ウォーキング」企画で、
コース設計や運営をしてくださった、
今では「国際バスケットボール連盟」の理事として、
世界中を飛び回っている三屋裕子さん、
「willbe混声合唱団」の、
特別講師として来てくださり、
合唱団を日本武道館のステージに、
立たせてくださったクミコさん、
(合唱団・団長を任じてくださっている、
2voiceのお2人はお仕事があって欠席です)
そして2013年から、
合唱団を率いてくださっている金岡裕子さん、
「浮き玉△バースボール」に、
お誘いくださった作家の椎名誠さんが、
ご出席くださる予定です。
万事に「慎重派」のヒロモリは、
「いらしていただけないこともあるので、
事前告知はやめた方がいいのではないですか」と、
言うのですが、
「集い」に先んじて、
ゲストのみなさまの、
著書をお読みくださったり、
(生島さんの新刊「どん底に落ちても、
はい上がる37のストーリー」は、
元気が出てきますし、
椎名誠さんの「われは歌えどもやぶれかぶれ」は、
室生犀星が72歳の時に書いた、
小説のタイトルを拝借したとのことですが、
椎名さんの日常が垣間見出来て、
大変面白く読ませていただきました)
CDを聴いてくださったり、
(クミコさんのニューアルバム、
「私の好きなシャンソン〜ニューべスト」も、
疲れた心に快く響きます)
ブログなどで各人の近況を知ってくださったり、
(クミコさんのブログも秀逸です)
新しい知識を得てくださったり、
(三屋裕子さんが語る、
「バスケットボールの魅力」は、
スポーツがダメな私にも解ります)
「willbeの集い」が、
メンバーのみなさまにとって、
未知の扉を開く、
キッカケになれば嬉しいと思い、
公表させていただきました。
何かを知るキッカケって、
意識的に(キッカケを)探さないと、
年々歳々少なくなっている気がします。
そんな中にあって、
私は「人(に会う)」を、
手がかりにして、
新しい知識を得ることが多く、
たとえ直接お会い出来なくても、
コンサートや芝居やテレビなどで、
「お会いした」ことが、
知識欲の源泉になっていますし、
新しい情報収集の入り口にもなっています。
………哀しいかな、
ただ(自然に任せて)待っていても、
もう自分のまわりには、
「何も起きなくなった」という、
ことなのかもしれませんが。
クラブ・ウィルビーのホームページもぜひ見てください。様々な情報を更新しています。(ここをクリック)
急用が入って、
おいでいただけない方も、
いらっしゃるかもしれませんが、
今のところ、
初年度個人として、
多額の寄付をしてくださった、
生島ヒロシさん、
「ウォーキング」企画で、
コース設計や運営をしてくださった、
今では「国際バスケットボール連盟」の理事として、
世界中を飛び回っている三屋裕子さん、
「willbe混声合唱団」の、
特別講師として来てくださり、
合唱団を日本武道館のステージに、
立たせてくださったクミコさん、
(合唱団・団長を任じてくださっている、
2voiceのお2人はお仕事があって欠席です)
そして2013年から、
合唱団を率いてくださっている金岡裕子さん、
「浮き玉△バースボール」に、
お誘いくださった作家の椎名誠さんが、
ご出席くださる予定です。
万事に「慎重派」のヒロモリは、
「いらしていただけないこともあるので、
事前告知はやめた方がいいのではないですか」と、
言うのですが、
「集い」に先んじて、
ゲストのみなさまの、
著書をお読みくださったり、
(生島さんの新刊「どん底に落ちても、
はい上がる37のストーリー」は、
元気が出てきますし、
椎名誠さんの「われは歌えどもやぶれかぶれ」は、
室生犀星が72歳の時に書いた、
小説のタイトルを拝借したとのことですが、
椎名さんの日常が垣間見出来て、
大変面白く読ませていただきました)
CDを聴いてくださったり、
(クミコさんのニューアルバム、
「私の好きなシャンソン〜ニューべスト」も、
疲れた心に快く響きます)
ブログなどで各人の近況を知ってくださったり、
(クミコさんのブログも秀逸です)
新しい知識を得てくださったり、
(三屋裕子さんが語る、
「バスケットボールの魅力」は、
スポーツがダメな私にも解ります)
「willbeの集い」が、
メンバーのみなさまにとって、
未知の扉を開く、
キッカケになれば嬉しいと思い、
公表させていただきました。
何かを知るキッカケって、
意識的に(キッカケを)探さないと、
年々歳々少なくなっている気がします。
そんな中にあって、
私は「人(に会う)」を、
手がかりにして、
新しい知識を得ることが多く、
たとえ直接お会い出来なくても、
コンサートや芝居やテレビなどで、
「お会いした」ことが、
知識欲の源泉になっていますし、
新しい情報収集の入り口にもなっています。
………哀しいかな、
ただ(自然に任せて)待っていても、
もう自分のまわりには、
「何も起きなくなった」という、
ことなのかもしれませんが。
