3月30日から4月7日まで、
皇居乾門通りが、
一般開放されていて、
退場時間が3時半ということですから、
皇居内の桜を見た、
帰りの人たちなのでしょうか。
明日、
新元号が決定するということが、
実感させられる光景でした。
そんな中、
私は浅草に向かいました。
2009年から10年間、
みなさまに親しまれていた、
「AMUSE MUSEUM」
(アミューズミュージアム)が、
本日をもって閉館となるのです。
アミューズミュージアムは、
布文化と浮世絵、
和のセレクトショップからなる
アートスペースですが、
中でも海外のジャーナリストの、
関心を集めていていたのは、
民俗学者田中忠三郎氏が所有する、
国の重要有形民俗文化財、
「津軽・南部のさしこ着物」780点余を含む、
約3万点の所蔵品です。
(展示はこの中から、
約1500点が公開展示されていました)
コレクションの中には、
江戸時代から何代にもわたって、
青森の山村・農村・漁村で使われていた、
衣服や布類が多数あるのですが、
布を再生し継ぎ当てを重ねたボロ着物を、
「BORO」と命名したことから、
これが世界共通語になり、
ルイ・ヴィトンなどは、
パリコレのモチーフにもしたほどです。
(黒澤明監督映画「夢」にも使われました〕
元々は、
株式会社アミューズの、
大里洋吉会長が青森出身で、
田中忠三郎氏のご親戚と、
知己があったことから始まったのですが、
実際の運営は、
株式会社アミューズエデュテインメントが、
行っており、
「浮世絵講座」や「落語の会」など、
さまざまなイベントが開かれていました。
6階には、
畳敷きの大きな空間があり、
「club willbe」との、
コラボレーションということで、
故・天野祐吉さんが監修してくださった、
「隠居大学」を開催し、
(私が司会を務め)
横尾忠則さんや谷川俊太郎さんなどを、
お呼びしました。
アミューズミュージアムの建物は、
元は洋服屋さんで、
ある時、大里会長から、
「ちょっと見て欲しいものがあるんだけど、
一緒に浅草に行ってくれないかな」と、言われて、
浅草二天門近くのビルを見に行った時は、
洋服屋さんの営業は終了していましたが、
洋服を掛けていたラックや、
店内の案内板やポップは、
営業中のままで、
正直を言えば、
「ここでミュージアムを?」と、
疑問に思ったものでした。
それが、
大里さんの手にかかると、
アッという間に、
美術館に変わってしまったのです。
我が「club willbe」のスタートから、
10ヶ月後のことでした。
建物の老朽化から、
開館10周年を一区切りとして、
閉館せざるを得ないという事情も、
あったのですが、
海外の30カ所から「BOROの展示」要請が、
来ているとのことで、
今後約2年間、
「BORO」は海外巡回をしていくことに、
なっているそうで、
その間に新ミュージアムを創るそうです。
今日は最終日ということで、
入館は無料となっており、
名残惜しそうに、
館内を回って歩く方々もいましたし、
6階の畳ホールでは、
若い邦楽家の演奏会が開催されていて、
最後はみんなで、
大正時代に大流行した、
「東京節」(別名「パイノパイノパイ」)を
大合唱しました。
18時に閉館して、
関係者だけで「お疲れさま会」があり、
私も参加させていただきました。
各自が思い出を語り合う中、
さっきからジッと、
何かを考えていた大里さんが、
私の方に近づいてきて、
「また面白いことを思いついたんだよ。
まだ誰にも言っていないんだけどね」と、
話してくださいました。
「大里さんがやることは、
何でもやりますから、
言えるようになったら、
必ず教えてくださいね」と、言うと、
「まだしばらくは秘密だな」と、
悪戯っ子のように、
ニッコリしていました。
年齢にも年号にも関係なく、
絶えず新しいことを考えている、
大里さんに見習って、
私も何か、
「新しいこと」を始めなければと、
叱咤された気がしました。
クラブ・ウィルビーのホームページもぜひ見てください。様々な情報を更新しています。(ここをクリック)
皇居乾門通りが、
一般開放されていて、
退場時間が3時半ということですから、
皇居内の桜を見た、
帰りの人たちなのでしょうか。
明日、
新元号が決定するということが、
実感させられる光景でした。
そんな中、
私は浅草に向かいました。
2009年から10年間、
みなさまに親しまれていた、
「AMUSE MUSEUM」
(アミューズミュージアム)が、
本日をもって閉館となるのです。
アミューズミュージアムは、
布文化と浮世絵、
和のセレクトショップからなる
アートスペースですが、
中でも海外のジャーナリストの、
関心を集めていていたのは、
民俗学者田中忠三郎氏が所有する、
国の重要有形民俗文化財、
「津軽・南部のさしこ着物」780点余を含む、
約3万点の所蔵品です。
(展示はこの中から、
約1500点が公開展示されていました)
コレクションの中には、
江戸時代から何代にもわたって、
青森の山村・農村・漁村で使われていた、
衣服や布類が多数あるのですが、
布を再生し継ぎ当てを重ねたボロ着物を、
「BORO」と命名したことから、
これが世界共通語になり、
ルイ・ヴィトンなどは、
パリコレのモチーフにもしたほどです。
(黒澤明監督映画「夢」にも使われました〕
元々は、
株式会社アミューズの、
大里洋吉会長が青森出身で、
田中忠三郎氏のご親戚と、
知己があったことから始まったのですが、
実際の運営は、
株式会社アミューズエデュテインメントが、
行っており、
「浮世絵講座」や「落語の会」など、
さまざまなイベントが開かれていました。
6階には、
畳敷きの大きな空間があり、
「club willbe」との、
コラボレーションということで、
故・天野祐吉さんが監修してくださった、
「隠居大学」を開催し、
(私が司会を務め)
横尾忠則さんや谷川俊太郎さんなどを、
お呼びしました。
アミューズミュージアムの建物は、
元は洋服屋さんで、
ある時、大里会長から、
「ちょっと見て欲しいものがあるんだけど、
一緒に浅草に行ってくれないかな」と、言われて、
浅草二天門近くのビルを見に行った時は、
洋服屋さんの営業は終了していましたが、
洋服を掛けていたラックや、
店内の案内板やポップは、
営業中のままで、
正直を言えば、
「ここでミュージアムを?」と、
疑問に思ったものでした。
それが、
大里さんの手にかかると、
アッという間に、
美術館に変わってしまったのです。
我が「club willbe」のスタートから、
10ヶ月後のことでした。
建物の老朽化から、
開館10周年を一区切りとして、
閉館せざるを得ないという事情も、
あったのですが、
海外の30カ所から「BOROの展示」要請が、
来ているとのことで、
今後約2年間、
「BORO」は海外巡回をしていくことに、
なっているそうで、
その間に新ミュージアムを創るそうです。
今日は最終日ということで、
入館は無料となっており、
名残惜しそうに、
館内を回って歩く方々もいましたし、
6階の畳ホールでは、
若い邦楽家の演奏会が開催されていて、
最後はみんなで、
大正時代に大流行した、
「東京節」(別名「パイノパイノパイ」)を
大合唱しました。
18時に閉館して、
関係者だけで「お疲れさま会」があり、
私も参加させていただきました。
各自が思い出を語り合う中、
さっきからジッと、
何かを考えていた大里さんが、
私の方に近づいてきて、
「また面白いことを思いついたんだよ。
まだ誰にも言っていないんだけどね」と、
話してくださいました。
「大里さんがやることは、
何でもやりますから、
言えるようになったら、
必ず教えてくださいね」と、言うと、
「まだしばらくは秘密だな」と、
悪戯っ子のように、
ニッコリしていました。
年齢にも年号にも関係なく、
絶えず新しいことを考えている、
大里さんに見習って、
私も何か、
「新しいこと」を始めなければと、
叱咤された気がしました。
