タナカくんは、
私が進行役をしている、
BS-TBSの「Together」が、
今の「悩み相談」ではなくて、
老若男女の一般視聴者にも、
議論に参加していただく、
形式の構成だった頃、
若者の代表として、
参加してくれていたのが縁で、
キャンディッドに週1回、
来てくれることになったのです。
ヨネクラは、
早大大学院で哲学を勉強した後、
インド・パリを経由して日本に戻り、
「あしなが育英会」(NGO)で、
仕事をしていたのですが、
企画制作の仕事をしたいとのことで、
縁あって入社してくれたのです。
昨年は2番目の子どもが産まれ、
会社設立以来、
初の育児休暇取得者になるなど、
会社に新しい風を吹き込んでくれました。
2人の子どもの父となった頃から、
いずれは家族で移住をして、
自然に囲まれたのびやかな土地で、
子育てをしながら、
カフェやプチホテルを創業したいという、
夢を持つに至ったようで、
その前段として、
このたび永福町にカフェを、
起業することになったのです。
社内では、
私しか聴いたことがないのですが、
パリ時代には、
自作の曲を歌っていたという、
アーティスト経験もあるとのことですから、
アコースティック音楽の、
ライブ演奏も出来る空間になるようです。
(私はCDで聴かせて貰ったのですが、
70年代サウンドを彷彿とさせる、
詩情あふれる歌で、
パリではフランス語で歌っていたそうです)
幸いにも、
区の「起業助成プログラム」を、
受けられることになったそうで、
「審査が通るまでは、
分厚い企画書を提出しなければ、
ならなかったんですよ」と、
言っていましたが、
思えば、
私はヨネクラの書いた、
企画書や取材原稿などを、
厳しく(口煩いまでに)「指導」したことが、
少しは役に立ったかもしれない………と、
思いながら、
彼が旅立つ淋しさを紛らわせました。
ともあれ、
ほどなくオープンするようですから、
具体的に日時などが決まったら、
お知らせ致しますので、
willbeメンバーの皆さまも、
是非行っていただきたく、
私からもお願い申し上げます。
(もちろん、willbeイベントの開催も、
予定しております)
「営業志望」のタナカくんは、
落語研究会だったこともあって、
話術も巧みですし、
キャンディッド以外にも、
あまり人がやりたがらないような、
過酷なアルバイトを自ら積極的に経験し、
自分を鍛えていたことが、
功を奏したのでしょう、
いくつかの企業から内定を貰いましたが、
ソリューションプロバイダーの、
大手企業に就職することになりました。
2人とも、
新しい仕事に寄せる、
期待と不安を抱えながらも、
清々しい笑顔で、
「これからの自分」を、
語っていました。
私は、
「いっときでも、
同じ屋根の下で過ごしたのだから、
2人ともキャンディッド・ファミリーの、
一員だからね。辛い時はいつでも来てね」と、
実家の母(祖母)のような声をかけて、
2人を見送りました。
………満開の夜桜の下を歩きながら、
ひとひら、ふたひらと、
散り行く桜の花びらを見つめ、
春の夜の淋しさを、
噛みしめていました。
クラブ・ウィルビーのホームページもぜひ見てください。様々な情報を更新しています。(ここをクリック)
私が進行役をしている、
BS-TBSの「Together」が、
今の「悩み相談」ではなくて、
老若男女の一般視聴者にも、
議論に参加していただく、
形式の構成だった頃、
若者の代表として、
参加してくれていたのが縁で、
キャンディッドに週1回、
来てくれることになったのです。
ヨネクラは、
早大大学院で哲学を勉強した後、
インド・パリを経由して日本に戻り、
「あしなが育英会」(NGO)で、
仕事をしていたのですが、
企画制作の仕事をしたいとのことで、
縁あって入社してくれたのです。
昨年は2番目の子どもが産まれ、
会社設立以来、
初の育児休暇取得者になるなど、
会社に新しい風を吹き込んでくれました。
2人の子どもの父となった頃から、
いずれは家族で移住をして、
自然に囲まれたのびやかな土地で、
子育てをしながら、
カフェやプチホテルを創業したいという、
夢を持つに至ったようで、
その前段として、
このたび永福町にカフェを、
起業することになったのです。
社内では、
私しか聴いたことがないのですが、
パリ時代には、
自作の曲を歌っていたという、
アーティスト経験もあるとのことですから、
アコースティック音楽の、
ライブ演奏も出来る空間になるようです。
(私はCDで聴かせて貰ったのですが、
70年代サウンドを彷彿とさせる、
詩情あふれる歌で、
パリではフランス語で歌っていたそうです)
幸いにも、
区の「起業助成プログラム」を、
受けられることになったそうで、
「審査が通るまでは、
分厚い企画書を提出しなければ、
ならなかったんですよ」と、
言っていましたが、
思えば、
私はヨネクラの書いた、
企画書や取材原稿などを、
厳しく(口煩いまでに)「指導」したことが、
少しは役に立ったかもしれない………と、
思いながら、
彼が旅立つ淋しさを紛らわせました。
ともあれ、
ほどなくオープンするようですから、
具体的に日時などが決まったら、
お知らせ致しますので、
willbeメンバーの皆さまも、
是非行っていただきたく、
私からもお願い申し上げます。
(もちろん、willbeイベントの開催も、
予定しております)
「営業志望」のタナカくんは、
落語研究会だったこともあって、
話術も巧みですし、
キャンディッド以外にも、
あまり人がやりたがらないような、
過酷なアルバイトを自ら積極的に経験し、
自分を鍛えていたことが、
功を奏したのでしょう、
いくつかの企業から内定を貰いましたが、
ソリューションプロバイダーの、
大手企業に就職することになりました。
2人とも、
新しい仕事に寄せる、
期待と不安を抱えながらも、
清々しい笑顔で、
「これからの自分」を、
語っていました。
私は、
「いっときでも、
同じ屋根の下で過ごしたのだから、
2人ともキャンディッド・ファミリーの、
一員だからね。辛い時はいつでも来てね」と、
実家の母(祖母)のような声をかけて、
2人を見送りました。
………満開の夜桜の下を歩きながら、
ひとひら、ふたひらと、
散り行く桜の花びらを見つめ、
春の夜の淋しさを、
噛みしめていました。
