残間
手紙といえばラブレターという役割が欠かせませんね。椎名さんはラブレターを書いたことあります?
椎名
そりゃあ、ありますよ。十代の頃はせっせと書きました。わりと面白がって書いてましたね。
安藤
椎名さんはどういうこと書いてたんですか? 聞きたいです。
椎名
忘れちゃったけど、まあ、気取って書いてたと思いますよ。文学というものに目覚めた頃で、いろいろ読んでいたんですね。その中に作家の書簡というのもありまして、それを真似してましたね(笑)。
残間
椎名さんには「ラブレター代筆事件」というのがあったと聞いていますよ。
ある女性から、「私の母は高校時代に椎名さんからラブレターをもらったことがあるそうです」というお便りをもらったそうですね。
椎名
あー、そういうことがありましたね。
残間
その女性のお母さんは確かに椎名さんと同じ頃に高校に在籍していて、当時、男子学生の憧れの存在だったそうですが、面白いのは、椎名さんはラブレターなど書いていなかったこと。
では、誰が椎名さんを騙っていたのか? 椎名さんは同級生だったイラストレーターの沢野ひとしさんが犯人ではないかと、ブログでお書きになっています。
椎名
それは確かにあり得ます。実は沢野と僕の文字はすごく似ているんですよ。あいつならやりかねない。
残間
椎名さんはその女性に、「私はラブレターを書いてはいませんが、あなたのお母さんは僕たちのマドンナでした」と手紙を送ったそうですね。そのお心遣いが素晴らしい。
椎名
ところで今、ふと思ったんですけど、ラブレターというのは今現在どうなっているんですかね。
残間
若者たちはLINEが多いらしい、という話も聞きますが。
安藤
でもやっぱり、肉筆の手紙でもらうって嬉しいです。
椎名
プライベートな心のこもった力があるんじゃないでしょうかね。手紙の実力が出てくるのはこれからですよ。
返事が来なかったラブレター
椎名
手紙で言うと僕のターニングポイントになったような話があります。
僕は学生時代、人形町の倉庫でバイトしていた時期がありまして、資材を管理したり町工場に運んだりする仕事でした。その時の経験をもとに小説(『倉庫作業員』1991年)を書いたんですが、それを山田洋次さんが映画化してくれました(『息子』1991年/松竹/出演:三國連太郎、永瀬正敏、和久井映美ほか/日本アカデミー賞最優秀作品賞など数多くの賞を受賞)。

これは実話なんですけど、僕はその倉庫の事務所で働いている女性を好きになりました。いつも「こんちはー」とか「まいどー」とか言いながら僕は事務所に入って行くんですけど、彼女はこっちを見て笑ってくれるだけで声がないんですよね。普通なら「いらっしゃい」とか、「ご苦労さん」とか言うじゃないですか。なんで口をきいてくれないのかなあと思ってました。
彼女は事務所でいつも黙々と仕事をしていて、その姿に僕はますます心打たれてしまい、ラブレターを出したんです。でも返事はありませんでした。その後も、「こんちはー」と挨拶しても笑って僕を見返すだけ。
後からわかったんですが、彼女は聾唖者、聴覚障害で口がきけなかったんですね。そういう悲しい記憶を小説に書いたことがあります。

ところが山田洋次さんは映画の中では二人はつきあうようになり、互いにファクスでやりとりをするという筋立てにしたんです。彼女から届く文字がファクスからジジーッと出て来るところが、原作にはないんですけど素晴らしい場面でね、試写会で見た時に号泣してしまいました。心から感動してしまった。
僕は試写会上映後に山田さんとステージに上がって挨拶しなくちゃいけなかったんですけど、自分の原作の映画を見て泣いているところを見られるなんて恥ずかしいので、逃げちゃったんです。ところが山田さんは、僕があまりに映画の出来が悪くて怒って帰ったと言ってたんですって。こっちは感動してるのに。
安藤/残間
(笑)
椎名
あれが僕がものを書く上で大きな転換点でしたね。
映画ではファクスでしたが、文字の力、伝える力、それが凝縮されたものが手紙なんだと思います。今、ふいに思い出しましたので披露しました。
残間
その女性は今頃どうしているんでしょうね。
椎名
僕の学生時代は惨めなもので、チャップリンみたいなドタ靴、安全靴なんですが、それを履いて薄暗い倉庫の中をかけずり回っていたわけです。その中で唯一笑顔で迎えてくれる存在というのがね、もう太陽みたいなもんでしたよ。
残間
手紙は受け取ってくれたんですよね。
椎名
仕事の伝票と一緒にハイって渡しました。
安藤
すごいロマンチック!
椎名
その後で事務所の別の女性から「あの子はね………」と聞かされるんですが、その時に僕は「いいじゃないか!」って思いました。僕は小説の中で「(声が出なくったって)いいではないか! いいではないか!」と主人公に言わせているんですが、そのセリフは映画でそのまま使われています。
残間
彼女は椎名さんの手紙が嬉しくもあり、悲しくもあったのかもしれませんね。
手紙はなぜ人の心に響くのか
残間
では最後に手紙、特に手書きの魅力について改めて伺いましょうか。
安藤
やはり手書きの良さは体温を感じるところだと思いますよ。ワープロはフォントを選べますけど、肉筆ってその人だけの書体ですよね。人そのものが出ます。世界でひとつだけのものだし、だから筆跡鑑定なんてあるんでしょうから。
椎名
ただね、文字はその人の影の部分も表れるから、魅力でもあり危険でもありますね。逆に字が美しいと、それだけでいい人に思えるんだよね、得なんだ。
それになぜ男文字と女文字があるのかも不思議。見ると男か女かわかるでしょ?
残間
椎名さんの字は味がありますよ。
椎名
(笑)下手なのは“味がある”方にもってかれちゃうんだよね。
残間
そんなことはないですよ! 椎名さんの書く字って、ちょっと絵のようでもあって味わい深いです。読んでいると椎名さんの顔が浮かびます。

今回、古い手紙をたくさん読み返して思ったんですが、手紙ってみんなラブレターに見えてきました。特に手書きのものは。
別に「愛してる」なんて言ってはいなくて、自分の近況を語ったり、「体の具合はいかがですか」とか「今度ご飯を食べましょう」というようなものなのですが、それも含めて愛情に満ちた手紙に思えたんです。そうか、手紙ってみんなラブレターなんだと思いました。
安藤
そうですね。相手を慮っているわけですから。
手紙って、書いた人がその手紙のために費やした、メールとも違う特別な時間があるわけじゃないですか。そこを考えると心に刺さりますよね。自分のためにペンを握って便箋に向き合ってくれたんだと思うと、すごく嬉しいです。
残間
そこには愛があるし、もらった人を幸せな気分にしてくれます。

お二人とお話して、これからも手紙というメディアを大事にしたいと改めて思いました。今日はありがとうございました。
安藤/椎名
ありがとうございました。
(おわり)
撮影:岡戸雅樹
デザイン:スタジオ ギブ
構成:高橋和昭