ホーム>Member News>サポーティングメンバー>クミコさん(歌手)
クミコさん(歌手)
2025.06.27
25周年記念ベスト・アルバム『シャンソンティックな歌たち〜「出逢い」が歌を運んだ〜 』

クミコさんにとって今年は、作詞家・松本隆プロデュースアルバム「AURA」で「クミコ」として再デビューをしてから25周年になります。
〔コメント紹介〕 日本コロムビア株式会社ホームページより
私の歌い手人生は、多くの「出逢い」によって支えられてきました。
2000年には、作詞家 松本隆さんとの出逢い。
クミコという名前にしての再デビューで、大人の女性をイメージした楽曲をたくさん歌うことができました。アルバムはこの年の「AURA」と2017年の「デラシネ」の二枚。
2010年には、広島平和公園の「原爆の子の像」のモデル、佐々木禎子ちゃんを取り上げた「INORI 〜祈り」。曲を作られた甥御さんの佐々木祐滋さんから、歌ってほしいと託されました。
(この歌で、紅白初出場)
今回、戦後80年の節目の年の新録音で、改めてこの歌と向き合うことになりました。
そういう意味での出逢いもありました。
歌手協会理事で歌手で作家でもある合田道人さんが作曲、ご自身でも歌われている「僕は唱歌が下手でした」は、南の地で法務死をされた佐藤源治さんの残された詩です。
今だからこそ、歌っておきたい作品です。
2015年には、当時日本子守唄協会理事の湯川れい子さんの、平和への願いを込めた「生まれてきてくれてありがとう」。
作曲は病後の初仕事として、つんく♂さんが加わってくださいました。
シャンソンからは、「銀巴里」の大先輩、古賀力さん訳詞の「人生は美しい」。佐世保空襲で一命をとりとめた戦争経験者ならではの、明日への希望に満ちた歌です。
松本隆さんつながりでお会いし、その後ご一緒する機会の多い阿川佐和子さん。
昨年のコンサートでデュエットした「無口なお月さま」も。ご本人の詞にピアニストの大貫さんが作曲。
デュエットでは、ミュージカルの井上芳雄さんとの「車輪」。
私の歌を歌ってくださっているとのことから長いご縁の続く芳雄さん。
二人舞台で歌ったこの歌は、三木たかしさんの晩年の作品です。
「出逢い」に関してのあれこれ。
このように、皆さまとの出逢いが、今の私の歌い手人生を作ってくれています。
クミコ
収録楽曲の共演アーティスト、作家の皆さまからのコメントページ
2000年には、作詞家 松本隆さんとの出逢い。
クミコという名前にしての再デビューで、大人の女性をイメージした楽曲をたくさん歌うことができました。アルバムはこの年の「AURA」と2017年の「デラシネ」の二枚。
2010年には、広島平和公園の「原爆の子の像」のモデル、佐々木禎子ちゃんを取り上げた「INORI 〜祈り」。曲を作られた甥御さんの佐々木祐滋さんから、歌ってほしいと託されました。
(この歌で、紅白初出場)
今回、戦後80年の節目の年の新録音で、改めてこの歌と向き合うことになりました。
そういう意味での出逢いもありました。
歌手協会理事で歌手で作家でもある合田道人さんが作曲、ご自身でも歌われている「僕は唱歌が下手でした」は、南の地で法務死をされた佐藤源治さんの残された詩です。
今だからこそ、歌っておきたい作品です。
2015年には、当時日本子守唄協会理事の湯川れい子さんの、平和への願いを込めた「生まれてきてくれてありがとう」。
作曲は病後の初仕事として、つんく♂さんが加わってくださいました。
シャンソンからは、「銀巴里」の大先輩、古賀力さん訳詞の「人生は美しい」。佐世保空襲で一命をとりとめた戦争経験者ならではの、明日への希望に満ちた歌です。
松本隆さんつながりでお会いし、その後ご一緒する機会の多い阿川佐和子さん。
昨年のコンサートでデュエットした「無口なお月さま」も。ご本人の詞にピアニストの大貫さんが作曲。
デュエットでは、ミュージカルの井上芳雄さんとの「車輪」。
私の歌を歌ってくださっているとのことから長いご縁の続く芳雄さん。
二人舞台で歌ったこの歌は、三木たかしさんの晩年の作品です。
「出逢い」に関してのあれこれ。
このように、皆さまとの出逢いが、今の私の歌い手人生を作ってくれています。
クミコ
収録楽曲の共演アーティスト、作家の皆さまからのコメントページ

シャンソンティックな歌たち〜「出逢い」が歌を運んだ〜
日本コロムビア/ 3,500円(税込)