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“自分の文章”を書く面白さに目覚めました。 4/4
岩崎俊一さん(コピーライター)

vol.4 昭和30年代は、日本が壊れていく始まりだった
残間
『大人の迷子たち』にも時代の移り変わりの中で、私たちが失ったものの話がありましたが、岩崎さんは今の時代をどう見ていますか。
一見、タガが外れたみたいに自由に見えて、実は不自由そう。つい最近も、北大生がイスラム国に行こうとした事件がありました。この国ではなかなか自分の思いが実現できないと。
もう親とか兄弟とか、友情とかが無力になっている領域が、どんどん広がっているのか、それとも前からそうだったことが顕在化してきただけなのか。
とにかく当たり前だと思っていたことが、そうではなくなりつつあります。
一見、タガが外れたみたいに自由に見えて、実は不自由そう。つい最近も、北大生がイスラム国に行こうとした事件がありました。この国ではなかなか自分の思いが実現できないと。
もう親とか兄弟とか、友情とかが無力になっている領域が、どんどん広がっているのか、それとも前からそうだったことが顕在化してきただけなのか。
とにかく当たり前だと思っていたことが、そうではなくなりつつあります。

岩崎
ある意味、僕も、けっこう悲観的に見ています。
エッセイのあとがきにも書いたんですが、僕は昭和30年代に青春時代を送ってるんですよ。小学校4年生から高校2年くらいまで。
考えてみたら昭和30年代というのは、日本が壊れ始める第一歩を踏み出した時だったんだと、今になって思います。
東京タワーができました。長嶋茂雄がプロデビューしました。新幹線が走るようになりました。東京オリンピックがありました。ものすごい時代だったんですね。
そういえば僕は小学校4年生くらいまでは、家にテレビがなかったし、ツギハギだらけのものを着たり、気がついたら替えのパンツがなかったり、とにかく物のない時代でした。
ところが昭和40年くらいになってみると、着替えがないどころか、あらゆる物が溢れていた。世の中があっという間に変わってしまいました。
物が増え続けていく昭和30年代、その時に家族の助けが、どんどんいらなくなっていったんです。それまでは家族の助けがないと、生きていけないような世の中だったのに。
つまり人との絆がなくても物が代用してくれる時代になってきて、この絆と物の量の多寡が交差して逆転したのが昭和30年代だった。
みんな、そんなのわかってるのかも知れませんが、それに気づいたんです。
あの頃までは家族は助け合いながら、けっこう濃い関係を持ってたんですよ。それが壊れる一途で、一見、そんなものなくても一人で生きて行ける国になってしまった。
昭和30年代に始まって、今思うと、あとはもうあっという間でしたね。
エッセイのあとがきにも書いたんですが、僕は昭和30年代に青春時代を送ってるんですよ。小学校4年生から高校2年くらいまで。
考えてみたら昭和30年代というのは、日本が壊れ始める第一歩を踏み出した時だったんだと、今になって思います。
東京タワーができました。長嶋茂雄がプロデビューしました。新幹線が走るようになりました。東京オリンピックがありました。ものすごい時代だったんですね。
そういえば僕は小学校4年生くらいまでは、家にテレビがなかったし、ツギハギだらけのものを着たり、気がついたら替えのパンツがなかったり、とにかく物のない時代でした。
ところが昭和40年くらいになってみると、着替えがないどころか、あらゆる物が溢れていた。世の中があっという間に変わってしまいました。
物が増え続けていく昭和30年代、その時に家族の助けが、どんどんいらなくなっていったんです。それまでは家族の助けがないと、生きていけないような世の中だったのに。
つまり人との絆がなくても物が代用してくれる時代になってきて、この絆と物の量の多寡が交差して逆転したのが昭和30年代だった。
みんな、そんなのわかってるのかも知れませんが、それに気づいたんです。
あの頃までは家族は助け合いながら、けっこう濃い関係を持ってたんですよ。それが壊れる一途で、一見、そんなものなくても一人で生きて行ける国になってしまった。
昭和30年代に始まって、今思うと、あとはもうあっという間でしたね。
残間
本当ですね。
岩崎
人との関係が薄くなっていくし、家族もいなくていい。それでイスラム国に行こうなんていうのも出てくる。もう元にはなかなか戻らないと思います。
でも一方で本質が変わらない若者もいっぱいいるんですよ。そうじゃないのが目立つけど、変わらない若者もいっぱいいるということを、僕らは忘れちゃいけない。
さっき悲観的と言ったけど、僕のエッセイを読んでくれている若者もいる。本当に悲観的にならざるを得ないような、頭に来る若者もいっぱいいますけど、まともな連中はもっとたくさんいるってことも確かだと思うんですよ。
さっき悲観的と言ったけど、僕のエッセイを読んでくれている若者もいる。本当に悲観的にならざるを得ないような、頭に来る若者もいっぱいいますけど、まともな連中はもっとたくさんいるってことも確かだと思うんですよ。

残間
エッセイのタイトルの『大人の迷子たち』ですが、すごい“迷子”ですよね。
岩崎
ええ、迷子なんです。
悩みながら、苦しみながら生きて行く人間の姿ですよね。大人になったって、決して悟りはしない。
悩みながら、苦しみながら生きて行く人間の姿ですよね。大人になったって、決して悟りはしない。
残間
「迷子の大人たち」じゃないのがすごいですね。
岩崎
ずいぶん言われましたよ。なんで「迷子の大人たち」じゃないんだって。
でも、「大人なのに、迷子なんだ」という順番にしたかったんです。
でも、「大人なのに、迷子なんだ」という順番にしたかったんです。
残間
ほとんど人は迷子なんですが、その中でも「大人の」迷子。
岩崎
それがまさに僕なんですよ、という話です。
残間
ただ、それもこれも、大人たちが作ってきたわけですけどね。
岩崎
あの頃、僕らは、家族という煩わしいものが嫌だったですよね。残間さんもそうかもしれませんが、僕らの世代は率先して家を捨てて東京に出て来て、「ああ清々した」みたいなことをやった。
あれから40年生きて、ふと振り返ると、煩わしかったけど、大きなスイカを一個丸ごとみんなで食べていたあの頃があって、そして煩わしかったけど安心だった。
いざとなったら周りが支えてくれるような心強さ。そういう世界が結局は良かったんだな、みたいなことを今になって思いますね。
あれから40年生きて、ふと振り返ると、煩わしかったけど、大きなスイカを一個丸ごとみんなで食べていたあの頃があって、そして煩わしかったけど安心だった。
いざとなったら周りが支えてくれるような心強さ。そういう世界が結局は良かったんだな、みたいなことを今になって思いますね。
残間
でも、エッセイでは最後のところ、そうは言い切りませんよね。それが余韻があっていいのかな。
岩崎
言い切ると、たぶん鼻につくんです。(笑)
残間
男たちは、言い切って欲しい人が多い気もします。女の人は、言い切られなかったことで感じる責任とか、来し方への思いとかあるんでしょうね。
『大人の迷子たち』、深く頷きながら読ませてもらいました。次の“自分の文章”も期待しています。
今日はありがとうございました。
『大人の迷子たち』、深く頷きながら読ませてもらいました。次の“自分の文章”も期待しています。
今日はありがとうございました。
岩崎
こちらこそ、ありがとうございました。
(終り/2014年10月取材)
(終り/2014年10月取材)

vol.1 エッセイというよりショートストーリー
↑
vol.2 文章は読む人のもの。話は聞く人のもの
↑
vol.3 相手の思いを探り当てる
↑
vol.4 昭和30年代は、日本が壊れていく始まりだった
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『谷内六郎の絵と岩崎俊一のコピーで綴る昭和展』
2014年12月27日(土)〜2015年1月5日(月)
西武池袋本店7階催事場 入場無料
増えつづける「モノ」と、下降線をたどりつづける「家族の絆」が、その10年あまりの間に交差し、そしてやがて逆転する———
東京タワーが建ち、長嶋茂雄が現れ、新幹線が生まれ、東京オリンピックがあった「あの偉大な昭和30年代」。急速な経済成長によって変容してしまう日本の家族の姿を、ぬくもりにあふれた絵画世界に閉じこめた谷内六郎の遺作と、変わりゆく日本のくらしを、哀しみといとおしみのまなざしで見つめつづけるコピーライター岩崎俊一の言葉との出会い。あの時代、日本は何を手に入れ、何を失ったのか。ただ懐かしむのではなく、これからの日本を考える多くの示唆に満ちた異色のポスター展、61枚一挙初公開。
永年、『週刊新潮』の表紙を担当した谷内六郎(故人)の絵と、岩崎俊一の言葉という構成で制作されたポスターシリーズ全61枚が、一挙に初公開されます。50代以上の方なら懐しさに涙が出そうな作品群ですが、今こそ「昭和というたからもの」に注目すべきと考える岩崎さんは、「若い方たちにもとてもエキサイティングな展覧会です」と語っています。

