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シャッターを開けておけば、何かが舞い込む。 2/4

伊藤アキラさん(作詞家)

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vol.2 苦労した仕事ほどエピソードが生まれる


残間
途方にくれたといっても、その後、越部信義さん(注: 1933年生。冗談工房に所属していた作曲家。代表曲は「おもちゃのチャチャチャ」、「はたらくくるま」シリーズなど)たちの音楽制作会社に加わった後、作詞家として独立されるんですよね。
伊藤さんにとって、世に最初に出た作品は何だったんですか?

伊藤
TVアニメの『鉄人28号』のエンディング・テーマです。
鉄人28号は、オープニングは三木鶏郎さんが作ってます。エンディング・テーマは越部さんが作曲したんですが、歌詞のない曲だったんですね。それで、ソノシートを売り出す時になって、曲だけじゃなくて詞もつけてくださいということになりました。
で、たまたまそこを見渡したら、私がいて、頼まれました。それがはじめての作品『進め正太郎』ですね。まだ学生時代ですよ。

残間
そこがスタート地点なんですね。それで今までずっと作詞をされてきて、結果的にすごい数のものになったと。
ただ作詞の仕事って、いつもコンスタントに注文があるっていうのとはまた違いますよね。

伊藤
コンスタントに注文があった時代はあるんですよ。60年代、せいぜい70年代までかな。世の中が非常に景気がよくて、CMというとCMソングがつきものという時代があったんです。毎日3つ4つのスタジオを走り回ってた感じですね。

残間
60年代っていうと伊藤さんが1940年生まれですから、じゃあまだ20代のころですね。

伊藤
ええ。ところが80年代90年代になると、CMソングがレコードタイアップという手法をとりはじめました。この手法は、音楽業界と広告業界、双方にとってメリットが大きかったんです。
音楽業界は宣伝広告費がかなり安上がりになりますし、広告業界はCM音楽制作費が安くつく。だけど、そうすると専業作家は、CMの仕事がだんだん減ってきましたね。

残間
そういう歴史があるんですね。だけど減ってきたといっても、伊藤さんの作品の中には、いまだにCM放送されているものがありますよね。日立製作所の「この木何の木」とか。
かつてハワイにツアーで旅行すると、着いて一番最初に、必ずあの「木」のところに観光に行ったものです。あの木って、CMで放送する前から有名なわけじゃないですよね。

伊藤
CM以降ですね、有名になったのは。

残間
やっぱり。そもそもどういういきさつであのCMは作られたんですか?

伊藤
普段のCM制作の流れどおりですよ。ディレクターが歌の注文にやってきたんですね。1973年のことですか。映像はこうなります、という絵コンテを出されたんです。

残間
それは木の写真ですか? 今CMで流れているような。

伊藤
違います。絵コンテ、ただの絵。真ん中に大きな木がばっと描いてありました。

残間
すると何の木とか、種類はわからないわけですね。

伊藤
ディレクターは、「映像はこの木だけです。そこに、日立グループの会社名が流れるだけなんです。ですから、歌で特徴をつけないと困るんです。一つよろしくお願いします」なんておっしゃっていました。

残間
そう言われても、何か情報が無いと、何も書けませんよね。

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伊藤
そうでしょう? 
それで、この木はなんというんですか? と質問したら、「いえ私は知りません」。どこにある木ですか?「いや私は知りません」。どんな花が咲くのでしょう?「いえ私は知りません」。

全部「知りません」なんですよ。しかも、どうやら次の予定があるみたいで、早くその場から立ち去りたい雰囲気。それで、あ、そうですか、わかりましたとしか言えませんでした。

残間
それは困った。

伊藤
困りましたけれど、もうこうなったら、そのとおり書いてやろうと(笑)。
それで「名前も知らない木ですから」、と書いたのが出来たんです。

残間
(笑)そうか、本当に何の木かわからない木だったんですね。

伊藤
よく「あの木を見て作ったんですか」なんて訊かれますが、「いえいえ、私はまだハワイに行ったことがないんです」って答えますよ。

あの曲は1973年のときの作品だから、もう40年ですか。最初は『すばらしい世界旅行』という番組で流してました。今は『世界ふしぎ発見!』で流れてますね。

残間
今やたいへん有名な木になりました。日立のもはや看板ですね。

伊藤
そうなんです。一度、朝日新聞で取り上げられたこともあるんですよ。
「この木がCMでお馴染みの木です、日立はこの木の保護に年間100万円をかけています」というような紹介文でした。
これを小林亜星さん(注:「日立の木」の作曲は小林亜星)の会社に送ったら、「日立は木には金を払うけど、人には払わない」なんて返事が来て、大いに盛り上がりました。(笑)

残間
えっ、毎年いくらかずつ印税が入っているんじゃないんですか? CMソングって、著作権というのはどうなってるんでしょう。

伊藤
CMソングというのは、テレビ・ラジオ・コマーシャルで使われている限り、JASRACは徴収しないんです。(注:伊藤さんはJASRAC/日本音楽著作権協会の理事も務めています)CMソングがレコードになったり、雑誌に掲載されたりすると、JASRACが徴収することになります。

残間
つまり裏を返せば、レコードや雑誌にならない限り、作詞者や作曲者には印税が入らない、ということですか。

伊藤
そうなんです。だから、小林亜星さんと盛り上がったわけですね。

だけど、名刺代わりにはなりましたよ。それも、非常に高価な名刺です。
仕事をやっている時に、「この木何の木」を作りました、と言うと、たいていの人が知っていますから。それでいい名刺ができたなぁと。

残間
名刺って言うなら、「パッ!とさいでりあ」(CM作詞、新興産業株式会社/1991年)とかもそうですよね。あの曲もすごく有名ですから。

伊藤
だけど新興産業は潰れてしまいました。

残間
じゃあ歌だけが生きてるんですね。

伊藤
ついでに言うと、私の作った中で一番短いキャッチフレーズがそれなんですね。

残間
「パッと」だけで後は商品名だから、三文字ですね。確かに短い(笑)。

伊藤
だけど、「さいでりあ」とつなげると、我ながらですけど、すごくいい、覚えやすいキャッチフレーズになるんですよ。

残間
有名な曲、一番短い歌詞ときて、それでは、今まで一番苦労した仕事は何ですか?

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伊藤
苦労した仕事といえばですね、うーん……、毛色の変わった仕事だったから苦労も100倍っていうことなんですけど、劇団四季の『ジーザス・クライスト・スーパースター』の初演(1973年)ですかね。

残間
中野サンプラザですね。私、行きました。

伊藤
あ、そうですか。よく覚えてらっしゃいますね。あの訳詞を、わたしと山上路夫さん、岩谷時子さんの3人で、分担して行ったんです。
(注:山上路夫・・・作詞家。代表曲は赤い鳥『翼をください』、アグネス・チャン『ひなげしの花』など。岩谷時子・・・作詞家、詩人、翻訳家。越路吹雪のマネージャーを務めたことでも知られる。代表曲は佐良直美『いいじゃないの幸せならば』、越路吹雪『愛の讃歌』など)

残間
そうだったんですか。それはまた、三者三様というか、テイストが異なるお三方ですね。

伊藤
そうなんです。それで、その仕事の電話を、会社の人が私の自宅にしてきたみたいなんです。
うちの奥さんが電話を取りまして、その日家に帰ったら奥さんが、「あなた電話があったわよ。なんだったか、どっかのスーパーが仕事頼みたいって」。

残間
(笑)スーパースターだから。

伊藤
うん。そのころCMソングはいっぱいやってましたから、またこの人はどっかのスーパーのコマソン書くんだなと思ったんでしょう。すごく面白くていまだに忘れません。

残間
それは苦労したというより、面白話ですよね?

伊藤
で、その仕事の何が苦労したかっていうと、演出が、かの浅利慶太さんなんです。彼がすべて仕切るんですね。私、本物の芝居の演出家を目の当たりにする機会なんて、それまでありませんでしたから、こんなにも絶大なる権力をふるう立場なんだってはじめて知ったんです。

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残間
浅利さんは特にそうかもしれません(笑)。

伊藤
私の担当になったのは「もの売りの歌」という歌でした。それで、これは関西弁で書こうと思って。

残間
えぇ、関西弁? 劇団四季で?

伊藤
「おいでやす、安くしまっせ」、といったトーンですね。で、これがピタッとはまったんですよ。われながら、いいなと(笑)。
そうしたら浅利さんから、「全体のトーンが狂う」って言われました。それで、バッサリ。

残間
書き直しですか? それは確かに、苦労されましたね。

伊藤
うん。でも苦労したってのは結果的には残りますね。

残間
そうかもしれません。面白い話がいくつ誕生したかが、苦労したということですからね。

伊藤
エピソードに残りますからね。面白くもなんともない仕事というのは、そういうエピソードもなにも発生しないってことですよ。

残間
嫌なこともひっくるめてエピソードですもんね。

(つづく)

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vol.1 「鉛筆一本で生きていく」と決めたものの……

vol.2 vol.2 苦労した仕事ほどエピソードが生まれる

vol.3 制約や縛りをくぐり抜ける“妙技”

vol.4 今日も店は開いています





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