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私が歌い続ける理由。<前篇>

山崎ハコさんインタビュー
1975年、18歳で『飛びます』でデビューし、今年で歌手生活50周年。山崎ハコさんは今、全国各地で開催される周年記念ツアーの真っ最中です。しかしどんなにキャリアを重ねても、ステージに立つ度に「これが最後かもしれない。絶対に後悔する演奏はできない」と言います。六十代半ばを過ぎて発せられる緊張感に、今この時の山崎ハコさんの歌を聴き逃すまいと、思いを強くしました。(残間/2025年4月取材)
(聞き手/残間里江子 撮影/岡戸雅樹 構成/髙橋和昭)

いろいろ大変ですが、一人でなんとかやってます

2025年は『山崎ハコデビュー50周年』の年!

残間
昨年10月の福岡を皮切りに、デビュー50周年記念のライブツアーが始まっています(山崎ハコさんのレコードデビューは1975年10月)。今年3月の沖縄を経て、今週末(4/13)には生まれ故郷の大分県日田市でのステージもあります。生まれ故郷で歌うというのは、また格別な思いなんじゃないですか?

山崎
そうですね、同級生も来てくれるみたいです。結構みんな、まだ日田にいるんですよ。

残間
5/24にはバースデーコンサートも兼ねた東京公演があり、私も行きます。これ以降も50周年の記念ライブは全国規模で行われるようですが、何かスペシャルなところはありますか?

山崎
今回はすべてホールコンサートで行こうと決めてました。「ライブハウスでもやろうよ」という声もありましたが、50周年には私自身、特別な思いもあったので。PAもしっかり準備して、いい音で聴いてもらいたいです。
それから各公演にはゲストも迎える予定です。押尾コータローさんや憂歌団の木村充揮さん、五大路子さん、そして私が大変な時にお世話になった俳優・原田芳雄さん(故)の息子さんである原田喧太さん。みんな私から頼み込んでOKをいただきました。

残間
ハコさんの交友ぶりが伝わってきて面白いですね。セットリストもいつものライブとは違ってくるんでしょうか。
山崎
デビューアルバム『飛びます』から最新アルバムの『元気かい』まで、いろいろやります。それからギターにもこだわろうかと。

残間
ギター?

山崎
ギターは10本くらい持ってるんですが、18歳のデビューした頃に弾いていたギターを使いたいなと。事前に修理にも出しました。それから安田さん(※)のギターも持っていきます。私が弾いているものより、かなり大きいんですけどね。

※安田裕美:山崎ハコさんが43歳の時に結婚したパートナー。六文銭、フライング・キティ・バンドのメンバーとして活動し、デビュー当時の井上陽水を支えたバックギタリストとしても有名。山崎ハコさんとは作曲・編曲・演奏など長く仕事を共にし、結婚後は所属事務所が倒産していたこともあり、マネジメントを含めて公私で彼女を支えていた。(詳しくは2015年のインタビュー記事で)2020年に72歳で逝去されました。

パートナー安田裕美さん亡きあと

残間
パートナーの安田裕美さんが亡くなってもう5年ですね。あの時は「ハコさんはどうやってこれからやっていくんだろう」と、渡辺えりさんとか仲間内では心配したものです。所属事務所が倒産してからは、安田さんがマネジメントだけなく、いろんな面でハコさんを支えていましたから。でも、ちゃんと自分でやってるみたいですね。すごい!

山崎
事務所のないフリーランスだし、もう本当に私しかいないので、やるしかないんです。前はいつも安田さんが一緒でしたけど。今は地方公演も一人で行きます。
そういえば安田さんは移動の時は、決して私にギターを持たせませんでしたね。安田さんは自分のギターは背中に背負い、私のギターを片手に持って、空いている手には別の機材を運んでくれてました。安田さんがいなくなって当然自分でギターを運ぶんですけど、すぐに手を痛めてしまいました。今はなんとか肘を使ったり、肩にかけたり、いろいろ工夫して運んでます。

それよりも私、パソコンって全然ダメで、全部安田さんがやってくれていたんです。実際、レコーディングから取材、ライブも含めて、全部パソコンで対応しなくちゃいけないんですよ。
残間
まあ、仕事をするって、今の時代は、そういうことになりますね。

山崎
私のITレベルってどうだったかっていうと、「コンサート」っていう文字を打つとしますよね。すると「ー」の部分、音引きをキーボードのどこを打てばいいかわからない。それを知り合いに電話して聞くレベルでした(笑)。しかもこの5年で、状況はどんどん変わってきてます。

以前は、過去に作った伴奏カラオケやライブ前に流して欲しいBGMを安田さんがCDRに焼いて、ライブのスタッフに渡していたんです。でも最近は事前にデータで渡してくれと言われます。
音源のアップロード、ダウンロード、urlの送り等々……… レコーディングでの打ち合わせも全てメールでのやりとりです。レコーディング時のカラオケはデータでポンと送られてきます。実際、まだまだわからないことだらけだし、周りの人に手伝ってもらったり教えてもらったりして、なんとか切り抜けている感じですね。

残間
すごいなあ………私には到底できませんよ。

山崎
パソコンだけでなく交渉ごともあります。今回の全国でやる50周年公演にしてもイベンターに頼んでいますが、全体を考えるのは私しかいないわけです。
地方の公演は福岡のイベンターに頼んだ上で、イベンター同士のつながりで地方のイベンターを紹介してもらいました。しかし、ライブに関するあらゆることを私が対応しなくちゃいけない。音響ですとか、ゲスト対応とか。もう、やること満載ですよ。

やることいっぱいで本当に食事をする暇もない。気がついたら今日は何も食べてないとか。家に帰ってお腹ペコペコなんですけど、それよりも疲れて寝てしまう。でも、体重が35キロを切ると歌えなくなるので、そこは気をつけてます。このあいだもジーパンがサイズが合わなくなって、2cmウエストをお直ししてもらいました。

残間
2cmも! それにしてもイベンターと折衝するなんて、かつてのハコさんからは本当に信じられないです。
かと言って、順調なことばかりじゃないですよね?

山崎
萎えることはありますよ。半年前からもう決まっていたと思ったライブの件で、三ヶ月前に確認したら「正式なオファーは受けていませんよ」と言われたり。正式なオファーって何? 本当にまだいろいろわかっていないんです。

でも私の場合、そんなことを言いながらもオフィシャルサイトやSNSで情報を発信したりして、演奏する場を自分で作っていかなきゃいけないんです。そうしないと、山崎ハコっていう名前は覚えていても、「まだ現役でやってたんですね」とか言われてしまう。今の私を知らない人には過去の人なんだなって思います。そして一方では、私の歌を待ってくれている人もいる。
現役感が大事。とにかくやるしかない。まだ歌いたいなら。

(後篇に続きます)






前篇 いろいろ大変ですが、一人でなんとかやってます

後篇 私みたいに歌う人はあまりいないんじゃないかな