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那須高原に“田川ワールド”が誕生! 3/3

後篇 “黒柳徹子の魅力”をもっと発信したい
本業はもうやめてもいいと思った
残間
田川さんの仕事は今、本業がオートクチュール・ビーズ刺繍デザイナーであり、そして文化学園大学で特任教授として学生たちに教えています。それに加えて7年ぐらい前から黒柳徹子さんのマネジメントをしているんですよね。
最初に名前を見た時、田川啓二って、まさかあの田川さんじゃないわよねって思いました。黒柳さんの衣装を作ったり、一緒に展覧会をやったりして、以前から交流があったのは知っていましたけど。
最初に名前を見た時、田川啓二って、まさかあの田川さんじゃないわよねって思いました。黒柳さんの衣装を作ったり、一緒に展覧会をやったりして、以前から交流があったのは知っていましたけど。
田川
徹子さんのマネジメントは副業的なものなので、あまりオープンにはしていないんです。ただ、週刊誌に書かれちゃったりいろいろあったので、ご存知の方はたくさんいるんですけど、あくまで本業はオートクチュール・ビーズ刺繍デザイナーであって、“黒柳徹子のマネージャー”とは名乗りません。
残間
日本で芸能人のマネージャーというと、現場で身の回りの世話を焼いたり、ギャラの交渉をしているようなイメージがありますが、田川さんの場合は、もっとトータルなプロデューサーなんじゃないかと私は思っています。今後の方向性だとか、衣装なども含めたビジュアル面の戦略だとか。
田川
そうですね、確かにプロデューサー的な立場です。徹子さんと僕が話し合ってどうやっていくのかを決めて、チームや現場の担当者に細かく指示を出していきます。
ただし、収録現場には必ず行くようにはしているんです。それは本人が不安なことがあったり、何か聞きたいことがあった時に、そばにいないと応えられないので。
ただし、収録現場には必ず行くようにはしているんです。それは本人が不安なことがあったり、何か聞きたいことがあった時に、そばにいないと応えられないので。
残間
時間的に大変でしょうに、本業とよく両立できますね。
田川
僕も最初の頃はどうなるんだろう、できるんだろうかと思っていたんですが、これがうまい具合にバランスが取れているんです。
例えば金曜日は僕は大学の授業があるんですが、金曜の午後は徹子さんは番組スタッフと『徹子の部屋』の打ち合わせをしているので、その場には僕は必要ない。
それからレギュラー番組があるので、週に3~4日は収録があります。ただし徹子さんは朝が苦手なので、本番は午後からなんですね。つまり僕は午前中は自分の会社に行って、それから現場へ。徹子さんの収録はそんなに遅くならないので、午後7時には会社に戻ってスタッフと話ができるんです。
例えば金曜日は僕は大学の授業があるんですが、金曜の午後は徹子さんは番組スタッフと『徹子の部屋』の打ち合わせをしているので、その場には僕は必要ない。
それからレギュラー番組があるので、週に3~4日は収録があります。ただし徹子さんは朝が苦手なので、本番は午後からなんですね。つまり僕は午前中は自分の会社に行って、それから現場へ。徹子さんの収録はそんなに遅くならないので、午後7時には会社に戻ってスタッフと話ができるんです。
残間
それでも大変そうですけれど。

田川
実は最初にマネジメントの仕事をお願いされた時には、自分の仕事はやめてもいいと思っていました。もうある程度のところまではやったし、大学で教えるのは続けようとは思っていましたけど、まあ、本業はやめてもいいかなと。
それよりも国民的な「宝」である徹子さんを守ることの方が、自分にとっては価値がある仕事だと思えたのと、後から考えて「あー、あれか」と感じたことが一つあります。徹子さんと最初にお茶を飲んだ時のことです。
それよりも国民的な「宝」である徹子さんを守ることの方が、自分にとっては価値がある仕事だと思えたのと、後から考えて「あー、あれか」と感じたことが一つあります。徹子さんと最初にお茶を飲んだ時のことです。
残間
2002年に田川さんが『徹子の部屋』のゲストとして出演した頃かしら。
田川
そうですね。僕は小さい頃から徹子さんのファンだったのでいっぱい聞きたいことがあって、その中の一つが、どうしてユニセフの親善大使を引き受けたのかということ。徹子さんの答えはいつものあの調子で「うん? 頼まれたからよ」でした(笑)。
頼まれたからよって………僕は黒柳さんが世界の子供たちを助けなきゃダメだとか、いろんな考えがあると思って引き受けたと思っていたんです。それが「頼まれたからよ」。
ところでユニセフ親善大使になるにはいろんな条件があるんですが、徹子さんに大使就任を頼んだ緒方貞子さん(当時・国連公使)は、それができるアジアの女性を探していたんですね。
黒柳さんが尊敬していた緒方さんに頼まれたこともさることながら、この仕事は自分にしかできないと思ったそうです。そういう話を一番最初に聞いていました。
自分にしかできない仕事、そんな仕事を僕もできたらいいなって思ったんです。でも僕にはそんなことはできないから、自分の仕事を一生懸命やってきたわけです。
頼まれたからよって………僕は黒柳さんが世界の子供たちを助けなきゃダメだとか、いろんな考えがあると思って引き受けたと思っていたんです。それが「頼まれたからよ」。
ところでユニセフ親善大使になるにはいろんな条件があるんですが、徹子さんに大使就任を頼んだ緒方貞子さん(当時・国連公使)は、それができるアジアの女性を探していたんですね。
黒柳さんが尊敬していた緒方さんに頼まれたこともさることながら、この仕事は自分にしかできないと思ったそうです。そういう話を一番最初に聞いていました。
自分にしかできない仕事、そんな仕事を僕もできたらいいなって思ったんです。でも僕にはそんなことはできないから、自分の仕事を一生懸命やってきたわけです。
残間
(笑)やっと話が見えてきました。それを徹子さんのプロデュースを頼まれた時に感じたんですね。
田川
最初は本人から頼まれたんじゃなくて、徹子さんの周りの人たちに頼まれたんです。事務所の方やテレビ局の方々。今、徹子さんは大変な時期だからやってくれないかと。
確かにそのだいぶ前から、新たな出演依頼があった時などに徹子さんから直接相談は受けていました。でも僕は芸能界のことなんか何も知らないし、やったことがない。だから「僕に出来ますか?」って聞きました。すると僕にマネジメントを頼みに来た方に「田川さん以外、無理だと思うんです」って言われたんです。
そうか、僕にしか出来ないんだ。だから周囲の方も僕に言いに来ているんだと。そこで徹子さんに最初した質問を思い出したんです。僕にしかできない仕事があるんだと。それで引き受けることにしました。
若い人にこそ徹子さんの素晴らしさを知って欲しい
確かにそのだいぶ前から、新たな出演依頼があった時などに徹子さんから直接相談は受けていました。でも僕は芸能界のことなんか何も知らないし、やったことがない。だから「僕に出来ますか?」って聞きました。すると僕にマネジメントを頼みに来た方に「田川さん以外、無理だと思うんです」って言われたんです。
そうか、僕にしか出来ないんだ。だから周囲の方も僕に言いに来ているんだと。そこで徹子さんに最初した質問を思い出したんです。僕にしかできない仕事があるんだと。それで引き受けることにしました。
若い人にこそ徹子さんの素晴らしさを知って欲しい

残間
さっき小さい頃から黒柳さんのファンだったと言いましたけど、田川さんにとって黒柳さんはどんな存在なんですか。
田川
僕は5歳ぐらいの時から、テレビに出ている黒柳さんの大ファンでして、不思議なんですけど、その頃からこの人とは友達になれると思っていました。自分のことを理解してもらえるし、黒柳さんの言動に自分も共感できると。
だから最初に『徹子の部屋』のゲストに呼ばれた時は、あのステイタスのある番組に出られるというのも嬉しかったですが、何より徹子さんと話が出来るのがとにかく嬉しかったんです。それで会ってみたら、本番前の打ち合わせの時からすごく話が弾みました。だいぶ後になって、徹子さんからも「私たち、何か似てるわね」と言われたのを覚えています。
だから最初に『徹子の部屋』のゲストに呼ばれた時は、あのステイタスのある番組に出られるというのも嬉しかったですが、何より徹子さんと話が出来るのがとにかく嬉しかったんです。それで会ってみたら、本番前の打ち合わせの時からすごく話が弾みました。だいぶ後になって、徹子さんからも「私たち、何か似てるわね」と言われたのを覚えています。
残間
きっとお二人の美意識に共通するところが多いのでしょうね。実際に黒柳さんと身近に仕事をしてみていかがですか。
田川
さっき“大変な時期”と言いましたが、特に何があったわけではありません。ただ、新しい情報が入って来づらくなってきていたんでしょう。大御所になりすぎて、周りがつい遠慮してしまう。そこが本人にとってストレスになっていたと思います。
基本的には徹子さんの意思は尊重していますが。僕は言わなければいけないことややらなければいけないことは本人にはっきり言います。
これが僕と一緒にマネジメントに関わっているスタッフ、いわゆる“チーム徹子”にも影響してか、僕に続いてみんな気軽に言えるようになったみたいなんです。それが徹子さんを元気にさせていると思います。
“チーム徹子”は6名でやっているんですが、すごくいい人たちが集まってくれました。付き添い役の女性、所蔵品管理や資料管理をする人など、それに現場マネージャーはヘルパーの資格もある人です。それで今、とにかく徹子さんの現場は楽しいんですよ。『徹子の部屋』のスタッフの方からも、「楽屋から笑い声が聞こえて来るようになって嬉しい」って言われました。
それから以前は、黒柳さんは絶対に自宅にスタッフを入れなかったんですが、今やもう合宿所状態です(笑)。
基本的には徹子さんの意思は尊重していますが。僕は言わなければいけないことややらなければいけないことは本人にはっきり言います。
これが僕と一緒にマネジメントに関わっているスタッフ、いわゆる“チーム徹子”にも影響してか、僕に続いてみんな気軽に言えるようになったみたいなんです。それが徹子さんを元気にさせていると思います。
“チーム徹子”は6名でやっているんですが、すごくいい人たちが集まってくれました。付き添い役の女性、所蔵品管理や資料管理をする人など、それに現場マネージャーはヘルパーの資格もある人です。それで今、とにかく徹子さんの現場は楽しいんですよ。『徹子の部屋』のスタッフの方からも、「楽屋から笑い声が聞こえて来るようになって嬉しい」って言われました。
それから以前は、黒柳さんは絶対に自宅にスタッフを入れなかったんですが、今やもう合宿所状態です(笑)。
残間
これから黒柳さんをどんな風にプロデュースしていきたいですか。
田川
もっと若い人に徹子さんの素晴らしさを伝えなきゃだめだと思っています。僕は『徹子の部屋』のMCのオバサンというイメージが前から嫌でした。差別とか社会的なメッセージも含めて、素敵でおしゃれな面を発信して欲しいと思っています。それが徹子さんを活き活きさせてくれる。
大御所のように思われているかもしれませんが、本人は全然そんなことはありません。自分が興味を感じたことなら何でもやりますし。こんなに面白い人がいるんだって、もっと広めたいですね。これだけ長いキャリアがありながら、今現在でインスタグラムのフォロワーが116万人もいるのですからね。
大御所のように思われているかもしれませんが、本人は全然そんなことはありません。自分が興味を感じたことなら何でもやりますし。こんなに面白い人がいるんだって、もっと広めたいですね。これだけ長いキャリアがありながら、今現在でインスタグラムのフォロワーが116万人もいるのですからね。
残間
ああいう自由な大人でいいんだ、と思わせてくれる方ですよね。私も見習いたいと思って拝見しています。
今日は美術館オープン直前のお忙しいところをお越しいただき、ありがとうございます。美術館、必ず行きますからね。
今日は美術館オープン直前のお忙しいところをお越しいただき、ありがとうございます。美術館、必ず行きますからね。
田川
はい、ぜひ来てください。

(終わり/2023年4月取材)
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