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心を解き放ち、その先へ。1/2

松井久子さんインタビュー
映画監督の松井久子さんは昨年、『疼くひと』で小説家デビュー。続いて先ごろにはその続編ともいうべき『最後のひと』を発表しています。いずれも主人公は70代女性。高齢者の性愛をテーマにした作品です。その大胆な性描写だけでなく、これまで日本ではタブー視されていた領域ゆえに話題となりました。なぜ高齢者の性愛はタブーなのか。松井さんもその疑問にかられて小説に挑んだといいます。(残間/2022年12月取材)
(聞き手/残間里江子 撮影/岡戸雅樹 構成/髙橋和昭)


前篇 映画ではできないことを書かなければ



冷めた愛をやり過ごし、恋愛を遠ざける

残間
前回、このコーナーに松井さんにご登場いただいたのは2015年、フェミニズムをテーマとしたドキュメンタリー映画を撮られた時でした。実はあの時にシニアというか、リアルな大人の恋愛映画を撮って欲しいとお願いした記憶があります。
 主人公が60代以上の女性となると、ラブシーンが始まったと思ったら次のシーンは「一夜明けて………」になったり、すべて終わっていたみたいな描写が多くて、何だかなあと思っていたんですよね。ヨーロッパなんかだといっぱいあるのに。
 松井さんも「そうね」などと言ってましたが、あれから幾星霜。もはやそれを体現するところに来ています。さらに自作の小説通りに今年の夏には76歳にして89歳男性と結婚。すごい!

松井
確かに昨年から発表した二つの小説も、どうして日本にはシニア女性の愛や恋を描いたものがないんだろうという、疑問がきっかけでしたからね。

残間
アメリカだとフェミニズム的なアプローチが多いような気はしますが、高齢女性の性愛を描いている作品はありますし、フランスなどヨーロッパでも女性の年齢や性愛の捉え方が日本とは全く違いますよね。

松井
そうそう、愛のアプローチですよね。日本は映画も小説も、男性がつくったものは山ほどあるけど、どれもあくまで男性目線。それとやっぱり日本の場合は、結婚生活は守り通さなきゃいけないという文化が根強いです。
 若いうちはちゃんと恋愛していても、結婚から長年経って、愛が冷めても離婚はしない。偽りの夫婦関係が持続するのは、女性が経済的にも自立していないからですね。そこがすごく大きいと思います。妻たちは夫の不倫さえ見て見ぬフリをしている。

残間
欧米だと冷めた時が終わりですものね。

松井
愛が冷めた時はやり過ごさずにちゃんと離婚して、新しい恋を探すから、幾つになっても恋愛関係が成立するし、高齢女性が恋愛の対象にもなる。そこを表現してみたいと思っていたんです。でもそれは映画ではできないと思ってたし、やりたくないと思ってました。まず女優さんがなかなかいないし、身体の露出や演技内容などの制限があります。

残間
ならば小説でということになったと思いますが、デビュー作の『疼くひと』を書き始めた経緯からお聞きしましょうか。70歳の女性が、55歳の男性との愛に溺れていくお話でした。

松井
まず映画を作らなくなって仕事がなくなった。暇だったというのがあります(笑)。

 もう『レオニー』*を究極の贅沢をして撮れたので、夢を実現させちゃった感がありました。それから『何を怖れる フェミニズムの女たち』*というドキュメンタリー映画を撮って、その後に『不思議なクニの憲法』*を撮って全国を見せて歩いた時に、安倍政権全盛の頃でしたから、本当に無力感をおぼえたの。私は運動家でもないのに、晩年になってどうして政治問題なんかにイライラしてるんだろうと。コロナもありましたし。

*『レオニー」2010年公開。彫刻家イサム・ノグチの母レオニー・ギルモアの生涯を描いた日米合作映画。主演はエミリー・モーティマー、中村獅童。
*『何を怖れる フェミニズムの女たち』2015年公開。70年代の日本のウーマンリブに始まる40数年の日本のフェミニズムの歴史と、現在も続いているさまざまな女たちの活動を映像で綴るドキュメンタリー。
*『不思議なクニの憲法』2016年公開。日本国憲法について、主権者である国民の間にその知識を広めることを目的に製作したドキュメンタリー。自民党を中心に改憲論が高まる中、政治色を抑え、一般市民の目線で、憲法の成立から現在に至る経緯を辿っている。
松井
そんな時、フェミニズムの映画で親しくなった上野千鶴子さんから、「小説を書きなさいよ。映画と違ってお金集めしなくてもできるでしょ」と言われて、挑戦してみる気になったんです。その時に思ったのは、映画じゃできないことを書かなければ、文学にならないだろうということでした。

残間
それまで小説を書いてみようとは思ってなかったのですか?

松井
全然。私の感覚では、映画は女優さんやカメラマンや照明さんや美術さんなど、優れたスタッフ・キャストの協力があれば、ビジョンを示して総合芸術的にジャッジする監督なら自分にもできると思ったの。優れた人たちの才能を借りられればね。でも小説は、丸ごと自分一人の才能だけの勝負ですよね。だから無理だと思っていました。

 それでね、『疼くひと』を何であんなに過激に書けたかというと、出版されるなんて夢にも思ってなかったから。ただ自分のための練習と思って書いていたんです。文学の世界はそんなに甘いものじゃないと。最初に書いたものが出版されるなんて、あるはずがないと。

残間
客観的に見ると出版の世界で、なかなかあの時の松井さんのポジションから小説家デビューって難しいですよね。

松井
そうそう。小説家になりたいとも思ってなかったし、ただもう毎日ヒマですることがなくて。何かやらないといられなかったんです。

「そんな気持ち悪いもの誰も読みませんよ」

松井
それで小説を書き始めた時に、ある文芸誌の女性編集者に出会ったんですね。その人は40代の終わりぐらい。彼女に70代女性の恋愛小説を書いていると言ったら、
「そんなもの誰も読みませんよ。小池真理子さんのように有名な女性作家たちも年齢が上がってきて、主人公の年齢を上げたいと言われますが、作家さんには50代、せめて60代の初めにしてくださいとお願いしてるんです。70代の性愛なんて、読者はそんなの気持ち悪がって読みませんよ」と言われました。

残間
うーん………気持ち悪いと。

松井
そこにすごく抵抗を感じた。その方には「出来上がったら読ませてくださいね」と言われていたんですが、書き終わった時に、彼女には読ませたくないなと思いました(笑)。

 でもせっかく書いたのだからと、勧めてくれた上野千鶴子さんには読んでもらったんですね。すると上野さんから「これ、婦人公論の編集長に読ませてもいい?」と聞かれて。そう言われると、プロがどう思うかが知りたくなりますよね。

残間
上野さんは読んだ時、なんと言っていたんですか。

松井
あの方はつねに細かいことは言わない人。ただ「単行本は無理だろうけど、婦人公論で連載ならしてもらえるかも」と言ってくださって。その後作品を読んだ婦人公論の編集長から「松井さんの脱ぎっぷりに惚れました!」と電話があって(笑)。

残間
(笑)脱ぎっぷり! 言い得てますね。

松井
ただ、婦人公論は向こう4年間有名作家の連載が決まってるので、どういう反応が来るかはわからないけど、うちの社の文芸の編集者に読ませてみたいと。その編集者は50歳の女性で、読むなり「ぜひ出版してみたい」と言われて、驚きました。


『疼くひと』2021年2月発表/中央公論新社

SNSで出会った年下の55歳の男性に身も心も溺れていく70歳女性。古希を迎えて老いを感じていた女性が「人生後半の生と性」に正面から向き合ったラブ・ストーリー。7万5千部を超えるベストセラー。

松井
ええっ?という感じで、そこからは慌てましたね。家族には読ませられない、息子に読まれては困る、と真っ先に。

残間
息子さんの存在は、勇気が必要だろうと思いましたね。

松井
息子は海外にいたのと、ずっと一緒に映画の仕事をしていたので、彼の中では母親というより仕事上のパートナーという感覚なんですね。「お母さんが読んで欲しいなら読むし、読ませたくないんだったら読まないよ」と言うので、私は「ごめん、読まないで」と言ったわけです。

残間
(笑)いいですねえ、松井さんの息子さん。息子って「読まない」と言ったら読まないですよね。娘は「読まない」と言っても読むでしょうけれど。

松井
結局、今回の結婚も一番喜んでくれたのは息子です。日本に帰ってくる度に、一人暮らしの母親が年を取っていくように見えて、心配だったんでしょうね。今回のことは「砂浜でダイヤモンドを見つけたような幸運だ!」と言ってたわ(笑)。
残間
先ほど話された、小説は、映像では描けないことを書かないとダメだというのは確かに言えますね。でもリアルさを求めようとすると、どうしても私小説的に読まれますよね。『疼くひと』を書いたのは70歳ぐらい?

松井
73~74ですね。残間さんはブログで「勇気ある」って書いてくれましたが、作家って完全な空想の世界で書く人もいますけど、特にキャリアの最初の頃は、自分の体験が軸にならないと書けないんじゃないかな。自己開示ができなければ物を書くなんてできないと思う。

残間
そうですね。自分を解き放つためには、まず自分を書かないと。

松井
映画『レオニー』のシナリオを書いた時も、主人公のイサム・ノグチの母親の人生で起きた事実を並べて、それらを際立たせるため、いかにフィクションを加えていくかでした。『疼くひと』もその作業とあまり変わらなくて、そんなに“自分を晒す”とは思いませんでしたね。作品になってしまえば、もうそれは作品なんだと思ってくれればいいなと。
 それでも私のことを知っている人には私と重ねて読まれてしまいますけど、その人数なんてたかが知れてますよね。まあ、そういう覚悟はありました。

残間
覚悟が人を魅了するし、読みたいと思わせるんですよね。今考えれば“勇気がある”と私は書きましたが、松井さんが“跳躍した!”という思いだったのかもしれません。

松井
すべてが嘘っぱちだったらばれると思うし、そこに真実があるのは、どこか事実に近いからなんです。
 『疼くひと』は八刷り八万部近く出て、今の小説としてはかなり売れた方だと思いますけど、不思議なことに、一度もちゃんとした書評みたいなものを書かれなかったの。取材も最初の縁があった婦人公論と、お知り合いの編集者がいたクロワッサンぐらい。あとはウェブがいくつかという感じに、文学の世界では見向きもされなかった。でも本だけ売れた。性愛というテーマに対するマスコミの偏見を感じましたね。

残間
その世界をちゃんと知りたいと思った人が、大勢いたということですよね。

松井
日本のメディア、マスコミはやっぱり50代を中心に動いていると思います。しかも男性中心。「70代の女の恋愛なんて気持ち悪い」という感じなのでしょう。だけど、そういう情報があまりないから、読みたい人はたくさんいるんですよ。読者層としては、私たち団塊の世代が一番多くて、女性が65%、35%は男性だそうです。

残間
意外に男性が多いんですね。それも面白い数字です。部数も含めて、建前ではない本音の部分は、そこにある気がします。



(続く)


前篇 映画ではできないことを書かなければ

後篇 私たちを抑圧しているものとは


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