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歳を取るのもむずかしい 2/2



(後篇) 絵を通じて亡き母と語り合う


母=画家・江見絹子の個人美術館を計画中

残間
荻野さんは今、画家だったお母さん、江見絹子さんの個人美術館を計画中だそうですね。

荻野
ええ、美術館といっても、実家・アトリエをリフォームするようなものですけど、きちんとした形で残したいと思いまして。建築家の隈研吾さんにお願いして、イメージはほぼ出来上がったところです。素敵なものになりそうです。

残間
お母さんのことは、前作の『カシス川』でもお書きになっていましたが、抽象画を中心に画壇でかなり活躍された方ですよね。91歳で6年前にお亡くなりになりましたが、どんなお母さんでしたか。

荻野
うーん………芸術家だったせいか、美醜には厳しかったですね。自身を含めて。だから結婚も顔だけで選んだんです。芸術家って美人と結婚しますよね。

残間
(笑)95歳まで破天荒人生を送った、フランス生まれのアメリカ人のお父さまですね。(荻野さんの父アンリ・ガイヤール氏については、『ホラ吹きアンリの冒険』という著作があります)

荻野
女って男を選ぶ時、お金・性格・顔、このどれを取るかで分かれます。私は母の失敗を見ていたので性格を取るんですが、母に私のボーイフレンドを紹介しても、昔から容姿しか見ないんですよ。「ちょっと頭がでかいわね」とか、手足が短いとか。たぶんミケランジェロの彫像みたいな人じゃないと、気に入らなかったと思います。
残間
先ほど“老い”の話が出ましたが、親の老いは身近でどう見ていましたか。ずっと介護をされていましたけど。

荻野
母は絵のために生きていた人だなと思います。生前に「私は絵を描かなくなったら、すーっと消えるんやろうな」と言ったことがありましたが、実際、描けなくなって一年ぐらいで、火が消えるように逝ってしまいましたから。

亡くなる前、ペースメーカーをつけたら一瞬元気になったんです。それで久しぶりに自分のアトリエに行った時、号泣していました。アトリエにお別れが言えたことは良かったみたいですけれど。

残間
一瞬元気にはなっても、再び描くことはできなかったんですね。

荻野
ええ、抽象画は大きなサイズで描くことが多いので、体力がいるんです。

作品の整理は母との対話だった

荻野
美術館を作るにあたって母の作品を整理したんですが、出て来るわ出て来るわで150点ぐらい。小さいものも入れるともっとありました。作品の整理は母との対話でしたね。

気づいたんですけど、私は母が仕事をする背中を見て育ったはずなんですけど、その成果をちゃんと見てなかったんです。それに私は手間がかかる子で、母に余計な時間を取らせて、今さらですが可哀想になりました。

残間
“手間がかかる”というのは?

荻野
まず、夜遅くまで本を読んでいるので、朝起きられない。それで起こされるんですが、母は「起きろ!」みたいなことはやりません。まずカーテンを少し開けて太陽の光を入れて………という感じで、少しずつ優しく起こすんです。

残間
布団をいきなり剥いだりしないんですね。

荻野
それから食べ盛りの私は「弁当3つのアンナ」で有名でして、学校に弁当箱を3つ持って行ってました。ひとつはご飯だけのドカベン。もうひとつは同じサイズでおかずだけのもの。さらに早弁用の軽食。毎日ですから大変だったと思いますよ。

残間
(笑)その上、お父さんも人一倍、手がかかったでしょうしね。

昔、東急の五島哲さんとフジサンケイグループ議長の鹿内春雄さんが話しているところに、たまたま居合わせたことがあります。お互いの父親の話になって、鹿内さんが「哲ちゃんのお父さんは、五島美術館があるからいいよな」と言ったのを覚えています。フジサンケイグループにも彫刻の森美術館とかあるんですけれどね。
それでヨーロッパだとリタイアした後、もっとも美しくて優雅な人生は、美術館の館長をやることのようです。
荻野さんはあと2年で慶應大学は定年だそうですが、その後は“江見絹子美術館館長”、そして執筆活動、落語家・金原亭駒ん奈、さらに温泉場ジジイ巡り。なかなか素敵な70代が待ってるんじゃないですか。

荻野
横浜の港の近くのボロビルを老人ホームにして、気の合った人間と住むのもいいかも。ディスコも併設して。そんなことも考えてます。

残間
お母さんの美術館、早く実現するといいですね。“マリアンヌの部屋”みたいな感じになるのかしら。私も見てみたいです。

荻野
ぜひ遊びに来てください。




(終わり/2021年2月取材)





(前篇) みんな“老い方”がわからない

(後篇) 絵を通じて亡き母と語り合う


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