ホーム>willbe Interview>“美味しさ”に込められたメッセージ 2/4

“美味しさ”に込められたメッセージ 2/4

narisawa.main

vol.2 最初はカセットコンロで始めました


残間
日本に戻った成澤さんは、まず小田原に店を開くのですが(フランス料理店『La Napoule | ラ ナプール』)、どうして小田原だったのですか?

成澤
最初は東京でと思いました。でも一方で、人と同じことはしたくないと思っていました。
街をパッと見渡すと、あまりにも東京はレストランが多いじゃないですか。フレンチがあり、その隣にはイタリアンがあったり、寿司屋があったり。ここに何の準備もない自分が入ると、染まる可能性があるなと。
生意気にも、影響を受けたくないと思ったんですよ。そこで人がいないところに行きたいなと。でもお客さんは東京から来るだろうから、東京から日帰りができる場所にしようと思いました。

千葉でも埼玉でも良かったのですが、ヨーロッパのいろんな国々で料理を見てきても、海の幸は日本が一番だろうと感じていました。だから海の近くに行きたかった。当時の小田原、相模湾というのは、すごく魚が良かったのです。
小田原で、元はジーンズショップだった狭い店を借りました。一文もお金がない状態ですから、最初はカセットコンロとビールメーカーがくれる冷蔵庫で、一人で始めました。

残間
資本金も自分で用意して?

19-1-10cw.MrNarisawa.029
成澤
資本金はなし。親には少し借りましたけどね。
それで小田原ですから目の前が漁港。毎朝、魚市場に行けるわけです。ただ当初はお客さんが全然来ないから、仕入れてもしょうがないので、ほとんど買うものがない。それでも勉強だと思って市場に行くので、市場の人から「買わないなら出てけ!」とか言われて追い出されたりしました。それでも毎朝行きましたね。

残間
そうこうしてるうちに、徐々に評判になったきた。

成澤
それは後の話で、小田原で8年やりましたけど、最初の3年は誰も来なかったですよ。しかもすごいですよ、僕、取材拒否していましたから(笑)。
誰も来るわけないですよね。誰も知らないのに、生意気に取材拒否してるんですから。今考えると、本当に生意気でした。これでも丸くなった方です。

残間
(笑)とんがってたんだ。

まず、一流シェフたちがその美味しさに気づいた


成澤
本当に誰も来ないから、自分が食べるものもないような状態。どうしようかなと思っていたら、ようやくポツポツと口コミでお客さんが来るようになったのです。それで、その時に来てくれたお客さんというのが、誰もが知っているような一流のシェフの方々でした。

残間
どこで知ったんでしょう。

成澤
風の便りみたいですね。世界的に有名な外国人のシェフも来ました。

残間
へえー!

成澤
口コミでお客さんが来るようになって、その中にNHKの料理番組の関係者がいたのです。その紹介でNHKに出たのが、メディアに出た最初です。
番組の生放送で料理を作ったのですが、テレビなんて初めて出るし、取材も受けたことがない。それでカメラは見ないし、ずっと怒った顔をしているし、しかも生放送なのに、料理が時間内に仕上がらない。

残間
(笑)

成澤
その時のゲストの一人が高名なソムリエの方だったので、これはちゃんと作らないとと思ったんですね。不味いと言われたら大変だと。だから途中でスピードアップのカンペ(カンニングペーパー)が出ても気づかないのですよ。だいたいカンペなんて知らないし。
しまいには放送中に肩を叩かれて、「仕上げてください!」って耳元で囁かれました。でも、まだジャガイモが焼けていませんから、という感じで。結局、番組中に仕上がらなかったのですよ。

とにかく、それで一気に人が来るようになったのですが、本当に店が満席になったのは、最後の3年間だけですね。小田原という場所なのに予約が取れないとなったのは。

z.129right
残間
小田原の店は、今も伝説的な存在みたいですね。成澤さんの奥様に聞いたことがありますよ。小田原の店は駐車場にベンツやジャガーがいっぱい停まるので、あそこはヤクザの関係者がやってる店じゃないかって言われたと。

成澤
そう。ランボルギーニやフェラーリも来るのですが、店の駐車場の坂が急で、スポーツカーは車高が低いものだから、みんなガリガリこすって機嫌悪くして帰っていました(笑)。
本当に言えないような人たちがいっぱい来てましたよ。スキャンダルが撮れるのじゃないかと、フライデーの記者が店の前で張ってましたから。

要は何で小田原に8年もいたかというと、場所のせいにして移動したくなかったのです。こんなに田舎だから客が来なくて、東京に来ましたというのがカッコ悪いと思ってました。だから満席になって予約が取れなくなったら、東京に移動しようと思ってたら、8年もかかってしまった。

料理の技に惚れ込んだお客に助けられて、南青山に出店


残間
それで2003年についに東京に出店するわけですが、それが南青山というすごいところで。この地を選んだのは?

成澤
それがたまたまでして。僕はある中国人のシェフに惚れ込んで、四谷のお店に1年間、中国料理の勉強に通ってたんですよ。週に一度、自分の店を休んで。と言っても、お客さんはどうせ来ない頃でしたけど(笑)。
とにかくすごい人でした。料理の腕も人間性も。王さんという人で、もう亡くなりました。僕は彼に影響を受けてて、今は中国料理の技法をよく使います。

それで週に一度、東京に通うようになって、今の場所を見つけたのです。前を通る度にあそこがいいなと。でも途方もなくお金がかかるし、そんなお金はない。とは言え、願っていれば何とかなるかなとか思ったり。それでお金もないのに不動産屋と交渉を始めてしまいました。

結局、いろんな人の手助けもあり、最後は小田原のお客さんたちにお金を借りまして、何とか出店することができました。ですから銀行からは一円も借りてないです。そもそも僕になんか銀行は貸してくれません。信用も担保も何もないから。

残間
成澤さんの技に惚れ込んだ人たちが、助けてくれたのですね。

成澤
ええ。今でもいいおつきあいをさせてもらって、お客さんとして来てくれます。お陰さまで何とか返済を終えて、まあ今に至るわけです。



(つづく)

19-1-10cw.MrNarisawa.147

vol.1 異文化に魅せられてアジア、アメリカ、欧州へ

vol.2 最初はカセットコンロで始めました

vol.3 『土のスープ』にこめられたメッセージ
  ↓
vol.4 森と人との関わりを思い出して欲しい
 

インタビュー一覧