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ちょっとだけ無理して、さらに前へ 1/3

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劇団四季の看板女優として、『ウエストサイド物語』『エビータ』『キャッツ』などで主役を演じた久野綾希子さん。86年の四季退団後も、歌やミュージカルを中心に幅広く活躍しています。実は私、残間と久野さんは同い年。さらにかつては、久野さんが私の事務所に所属していた時期もありました。因縁浅からぬ、二人のおしゃべりをどうぞ。(残間)

久野綾希子さんのプロフィールはこちら

vol.1 とにかく家を出たかった
vol.2 『エビータ』で女優の覚悟を決める
vol.3 今の自分に何ができるか
(聞き手/残間里江子 撮影/岡戸雅樹 構成/髙橋和昭)
vol.1 とにかく家を出たかった


残間
昨日は今年7月に亡くなった、浅利慶太さんの『お別れの会』が行われました。劇団四季の創設メンバーであり、永く代表を務めた方でした。久野さんも出席して、市村正親さんらと『愛した日々に悔いはない』を歌っていましたね。テレビのニュースで観ました。

久野
あれは『コーラスライン』の歌で、劇の最後の方で「もし病気や怪我で、明日、舞台に立てなくなったらどうする?」と問いかけられるんです。その時にディアナ役の私が、「愛した日々を悔やまない」と歌ったものでした。

最初に上がって来た歌詞は、「好きだから、全てを捨てて、愛した日々に悔いはない」だったんです。でも、浅利さんが「捨ててはないだろう。捧げてだろう」と。 私は「捧げる」がピンと来なくて、「全てを捨てて」の方がいいと言っちゃったんですよ。

残間
浅利さんに?

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久野
ええ。他の出演者にも、私の意見に賛同する人がいました。そこから、この歌は「捧げ派」と「捨て派」ができたんですね。若い子は「捨て派」なんです。ものがいっぱいある中で、その中で自分でチョイスして、他のものを切り捨てて、という考え。
でも、浅利さんの世代の人は、ものがない中で、全てを「捧げて」生きてきたんですね。昨日のお別れの会では、そんなエピソードも紹介されていました。

残間
持ち歌のせいか、ひときわ歌い上げていましたね。

久野
(笑)そうでしたか。

残間
では、その劇団四季入団の頃の話から始めましょうか。 元々は大阪出身で、中学から帝塚山学院ですよね。ところが大学は愛知県立の芸術大学の声楽科(長久手市)。どうして愛知だったんですか?

久野
うーん、少し長い話になりますが、うちは三人姉妹でして、私は末っ子です。そのまま行くと短大を出て、そのまま嫁に行けコースだったんですよ。父は、女が4年制の大学なんて行ってどうする! というタイプで。

残間
あの頃、4年制の大学を出ても、女性は就職がなかったですからね。お姉さん二人はどうしたんですか?

久野
上の姉は言われた通り、帝塚山の短大の洋裁科に行って、それから何年か洋裁店に勤めて、お見合いで結婚しました。
でも下の姉は、大阪音大に行ったんです。そこは4年制なんですけど、父は音楽ならいいと。結婚した後も家でピアノの先生ができるから。もし何かあっても、家の支えになれると。

私は姉たちが、重苦しい感じで自分の将来を決めていたのを見ていたわけです。だから早く親元を離れて、自分が何をやりたいかを考えないといけない。家にいてはダメだと思ったんですね。

本当は東京に行きたかったんですが、言い出せなくて、とりあえず愛知って言ったんです。それで名古屋のすぐ近くの、愛知県立芸術大学の声楽科に行きました。
それに私が大学進学の頃、父が名古屋に転勤になってたんですね。父親の近くなら許してもらえるだろう、という計算もありました。でも一緒には住みたくないので、女子寮に入れてもらいました。

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残間
大阪から一足飛びに東京ではなく、途中の愛知というのが、久野さんらしいといえばらしい(笑)。
歌は小さい頃から得意だったんですか?

久野
そうでもなかったです。小学校の時にピアノを習っていたんですが、それが嫌で、歌に逃げたところがあります。幸い音楽教室の先生が、歌をきちんと教えてくださる方でした。歌はピアノをさぼる口実みたいなものでしたね。
それで高校2年ぐらいになって、下の姉が大阪音大に行ったのを見て、そうか、音大なら家を出られるかも、と思ったんです。

残間
でも面白いお父さんですね。洋裁や編み物みたいに、音楽をやることも女が手に職をつけることだと考えていたとは。それに、音楽から芸術や芸能の世界に行くかもしれないとは思わなかったんですね。

久野
それは全く思っていないんです。とにかくお見合いして結婚。だって嫁入り前に傷をつけちゃいけないって、スキーにも行かせてもらえませんでしたから。

残間
怪我しちゃいけないと。

久野
嫁に行ってからやれと。どこにも出してもらえなかったんですよ。それで愛知芸大。県立で月千円の授業料で女子寮にも入れましたから、そこは親孝行でしたね。

ところがこの大学が、名古屋からは近いんですが、ものすごい山の中なんですよ。隣が農業試験所で、カエルの声しか聞こえないようなところ。

残間
お父さんは安心ですね。

久野
バスも1時間に1本で、それも夕方6時で終わりみたいな感じでした。
それでも週末は名古屋市内に行って、芸術に触れようといろんなものを観ていたんです。そこで出会ったのが中日劇場でやってた劇団四季の『野生の女』。

残間
あれはミュージカルじゃなくて、ストレートプレイでしたよね。

久野
影万里江さん(浅利慶太氏の2度目の妻)が出てましたが、何の予備知識もなかったんです。ただ『野生の女』という響きだけでフラフラと観に行って、それでハマってしまいました。
その次に「四季」という字を見たのが、朝日新聞の夕刊に載った『アプローズ』のオーディション告知です。

残間
へえ、当時はオーディションの告知を、新聞に出していたんですね。

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久野
大学3年の終わりぐらいの時でした。その時は入りたいというよりも、四季の稽古場を見てみたかったんです。

残間
そういえば私、高校を出たら劇団四季を受けようと思って、参宮橋の稽古場まで行ったことがあるんですよ。でも四季の建物を見て、気圧されてそのまま帰って来ました。今となっては笑い話ですが。

久野
エーッ! そんなことが。

残間
後に浅利慶太さんにお会いした時にその話をしたら、「受ければ良かったのに」って言われました(笑)。
でも、当時は劇団といえば「劇団四季」の他に「民芸」や「文学座」が代表的でしたが、その中で「劇団四季」はおしゃれというか、新しいイメージでしたよね。

久野
当時は私はそういうことも知らず、参宮橋の稽古場でオーディションを受けました。行って気づいたんですけど、当たり前ですが、それはプロの人が受けるオーディションだったんですね。それでも3次選考まで行って、3人ずつ踊るんですけど、「真ん中のお嬢さん、もう踊らなくていいよ」って言われてしまいました。

残間
踊りはやってなかったんですよね。

久野
何にもやってませんでした。いちおう黒いタイツとかはいていたんですけど、周りで踊ってるのはプロなわけです。場違いですよね。

ところが終わった後に浅利慶太さんと振り付けの山田卓さんに呼ばれて、四季には研究所があるので、そちらに来ないかと。今のままでは、どうしても無理だから(笑)。

残間
目に止まった! やっぱり歌がすごかったんですね。

久野
いやあ、別の意味で目立ち過ぎてたんじゃないですか。何にも知らないでポッと受けに来てるから、どうしてこんな奴が来てるんだろう? という雰囲気だったかもしれません。怖いもの知らずでしたね。

残間
別に落ちたってどうってことないと思って?

久野
そうなんです。オーディションなので、希望の役を事前に提出するんですが、「イヴ・ハリントン」とか書いてました。それって準主役ですから。私にしてみれば、年齢の若い役はこれくらいだな、というだけだったんですけど。
結果的にその役は雪村いづみさんがやられました(笑)。

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親に内緒で「四季」通い

残間
研究生になったということですが、大学はどうしたんですか?

久野
もう4年生になるので、卒業してから行きますと言ったら、「その1年が違うよ。聴講生待遇にしてあげるから」って言われまして。
4年生って暇じゃないですか。それで3日名古屋、4日東京という感じで通ってました。高校時代の友達が青山学院に行っていたんで、そこに転がり込んで。

でも往復が途中で嫌になって。お金がないので新幹線にも乗れず、バス通いでしたから乗り物酔いで気持ち悪くなるし。それで夏頃から行かなかったんです。
そうしたら研究所の所長から分厚い手紙が来まして、同期のみんなは頑張ってるのに、なんで来ないのかと。それでしょうがなく、また行くようになりました。

残間
四季もすごいですね。あなたに見所があったからなのでしょうが、見捨てないんですね。

久野
それは熱いお手紙でしたね。その時の所長さんって、ふだんは何も喋らないような人だったんですけど。

残間
そういえば、親の方はどう説得したんですか?

久野
親にはナイショ。

残間
言ってなかったんだ。

久野
さすがに後半からは母親に事情を話して、電報為替でお金を送ってもらったりしましたね。往復の旅費は助けてもらいました。でも父親にはナイショでした。

それでいよいよ大学を卒業する時になって、浅利さんに父を説得してもらったんです。大阪公演の時でした。

残間
浅利さんにですか! 普通じゃ、あり得ない話ですよね。それにしても、あの浅利慶太さんが研究生の親を説得するなんて。

久野
でも正攻法では父を説得できるわけがなくて、浅利さんが「大学院に行かせたつもりで、とりあえず2年預からせてくれ」と言ってくれました。それでなし崩しに……という感じですね。

残間
お父さんは久野さんの公演を観ていたのですか?

久野
陰で見ていたみたいです。でも職業としては、死ぬまで認めてくれませんでしたね。もういいかげん好きなことしたんだから、嫁に行けと。最後までそればっかり。81歳で亡くなりましたけど。

残間
じゃあ、四季に入って、ずいぶん経ってからですね。

久野
もう『エビータ』も『キャッツ』もやっていました。

残間
それでも嫁に行けと!

久野
そうなんです。もういい歳だったんですが、母も見合い写真を撮れって言いますし。それで舞台写真を適当に送っておきました(笑)。諦めてなかったですね。



(つづく)

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