ホーム>willbe Interview>都倉俊一さん(作曲家/編曲家/プロデューサー)>ヒットメーカーは走り続ける 2/3

ヒットメーカーは走り続ける 2/3

tokura_shunichi
vol.2 海外で自分の可能性を試したかった


残間
作曲家として売れっ子だった都倉さんですが、80年代に入って海外に拠点を移してしまいます。

都倉
そうですね。83年からロサンゼルス、ニューヨーク。88年から97年まではロンドンで仕事をしていました。30代後半から40代の終わりくらいまでの時期です。
ロンドンは水が合ってね、パブが大好きになって毎日通っていました。向こうに家も買って、事務所もまだあるんですよ。

残間
私としては都倉さんが突然いなくなってしまったような印象で、日本の音楽界に愛想がつきたのかな、と思ってましたよ。

都倉
そんなことはないですよ。新しいことがやりたくなったんです。いつまでも日本でヒット曲を書いてばかりいいのか、という思いもありましたし、ミュージカルや舞台を作ってみたかったんです。でも当時、日本ではミュージカルじゃ食べていけませんでしたから。
それにこれ以上ヒット曲作りに追われていたら、忙しくて死ぬんじゃないかと思いましたし(笑)。

だから日本のアーティストでも、現地に来てくれた人とは仕事しましたよ。少女隊や鈴木雄大は実際にロスで録音したはずです。

zam2
残間
この時代はレイフ・ギャレット、シルヴィー・バルタンなどへの楽曲提供やプロデュースだけでなく、ブロードウェイやウエストエンドで、ミュージカル制作に関わっていますね。
この時期に向こうで録音するという人はいても、向こうに拠点を構える人というのはほとんどいなかったと思います。

都倉
本格的な舞台だけでなく、ワークショップやショーケースも山ほどやりましたね。

そういえばロサンゼルスにいた時、ツテがあってカーペンターズに紹介されたんですよ。僕は作曲家としては、カーペンターズに楽曲を提供するのが夢だったんです。それでお兄さんのリチャード・カーペンターに何曲か聞かせたところ、気に入ってくれてデモ録音しようと。それで曲を預けてきました。
もう僕は有頂天ですよ。ところが当時から体調を崩していたカレンが半年後に亡くなってしまい、この話はお流れ。残念でしたね。

日本に本格的な“劇場街”が欲しい

残間
現在、都倉さんは政府関係の委員を務めたり、JASRACの会長を務めたりしましたが(現在は顧問)、海外での経験が役に立ってるんじゃないですか。

というのも文化政策に関わる委員会って、これまで音楽界から出席するのはレコード会社や放送局の社長でした。都倉さんみたいに現場を熟知していて、今の業界の趨勢を肌で感じていて、しかも会議できちんと話しが出来る方っていなかったと思うんです。

都倉
日本の文化政策ですか・・・・・。いろいろやらせてもらっていますが、なかなか上手くいきませんよね。残間さんとも新国立競技場の将来構想ワーキンググループでご一緒しましたが、建築家のザハ・ハディドのことで大揺れになってしまいましたから。

僕らは可動式の屋根をつけることで、スタジアムの稼働率を大幅に増やすことができると、いろいろと試算していたんです。コンサートやイベントで年間想像以上の需要があると。
実際、こけら落としの文化イベントには、ポール・マッカートニーが参加したいと言っているとか、いろいろ計画していました。ところが結局、屋根はオリンピック後に後からつけることになってしまうし。

日本の音楽・エンターテイメントマーケットってすごく豊かですから、もっと活用できるはずなんですけどね。

残間
マーケットが小さくて外に出るしかなかった韓国の方が、よっぽどしっかりしていますよね。K-POPは国家戦略の一環ですし、国が主導して若い才能を積極的に海外に派遣しています。

tokura31
都倉
僕としてはもっと日本には劇場が欲しいですね。

残間
実は日本は、劇場が足りていないんですよね。

都倉
それも各地に点であるんじゃなくて、ブロードウェーのような“劇場街”が理想なんです。そこに飲食店や他のコンテンツが一体化して。

ブロードウェイというと、一見、目の肥えたミュージカル好きばかりが見にきてると思うでしょ? 年間1600万人くらいの観客が来るんですが、実はその半分はパッケージツアーの客なんですよ。ミュージカルなんて初めて観るという人たち。
一度はブロードウェイでミュージカルと食事を楽しみたい、そんな人たちがアメリカ国内はもちろん海外にもいっぱいいて、ブロードウェイがその受け皿として機能しています。ホテルやレストランを巻き込んで「ニューヨークパッケージ」になってます。これを日本でもやりたいですよね?
ですから、最近はJTBがインバウンド向けにショーの制作に乗り出しています。

残間
外国人旅行者に対しては、夜のエンターテイメントが弱いですよね。

都倉
その通りなんです。だから大正時代の人たちが偉かったと思うのは、かつての浅草の六区というのは、そうやってできた街なんですよ。劇場がいくつも並んでいて、「あっちは大入りだけど、こっちはさっぱりだな」なんてやっていたわけです。
そして周辺には舞台の終演後に行ける飲食店がいっぱいある。そこにホテルも加わる。考えただけで楽しそうですよね。

残間
確かに。劇場同士が張り合ったり、コラボしたり。

都倉
ハコ物行政とは別の話で、何よりもこういう“容れ物”を作ってやらないと、そこで大成功する人が出てこない。成功する夢がないから若い才能も出てこない。ビジネスとして大きくなっていかない。

劇場街とまではいかなくても、ミュージカルの終演後からも食事ができるレストラン、24時間動いている公共交通機関。そんなものがあるだけで、ずいぶん違うと思います。僕は渋谷がそうならないかなと思ってるんですけどね。

でも、日本の行政も変わりつつあると感じています。以前は何か石をなげても、「はい、承りました」ってな具合でしたけど、最近は少し投げ返してくるようになりました。「では、どう進めていきましょうか」という雰囲気は出て来てるんですよ。



(つづく)

2shot2

vol.1 歳のことは忘れています!

vol.2 海外で自分の可能性を試したかった

vol.3 2018年初頭にもオリコン1位を獲得

インタビュー一覧