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ヒットメーカーは走り続ける 1/3

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70年代から作曲家として活動し、稀代のヒットメーカーとして知られる都倉俊一さん。30代半ばからは海外に拠点を移し、ミュージカルなども手がけてきました。最近では音楽界の重鎮として、文化行政でも意見を求められる機会が増えています。古希にしてますます勢い盛んな都倉さんに、近況をうかがいました。(残間)

都倉俊一さんのプロフィールはこちら

vol.1 歳のことは忘れています!
vol.2 海外で自分の可能性を試したかった
vol.3 2018年初頭にもオリコン1位を獲得


(聞き手/残間里江子 撮影/岡戸雅樹 構成/髙橋和昭)
vol.1 歳のことは忘れています!


残間
都倉さんもついに古希、70歳になられましたが、お元気そうでなによりです。

都倉
体の方は何にもないわけでもないですけど、まあ元気ですね。それから僕は子どもがいないせいか、比べる対象がなくて歳を忘れてるんですよ。

そういえば永く仕事をしてると、「〜周年」という催しをみんなやるじゃないですか。昔、阿久悠さんと話してたんです。僕らはああいう風に自分で自分に線を引くことは、絶対にやめようねって。ところがある日彼から連絡が来て、「今度、作詞家40周年大パーティやるんで、発起人になってくれ」だもの(笑)。それは約束が違うでしょと。
85歳までは曲を書いていたいと思っていて、それまでは歳のことはあまり気にしないつもりです。

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残間
今回、お話をうかがうに当たって改めてご経歴を確認したんですが、子どもの頃はお父さんが外交官という関係で、ずっと海外生活だったんですね。

都倉
小学校と高校はドイツでした。中学と大学は日本です。

残間
お父さんは駐スウェーデン大使や駐イスラエル大使を歴任された方ですが、長男の都倉さんが芸能の道に入るのは、反対ではなかったんですか? 外交官になろうとは思わなかったですか?

都倉
それは国立大学を出て、官僚になってという道ですよね。それは僕にはなかった。僕のすぐ下の弟がその道に近いです。もっとも彼は法律学者になって、大学の先生になってしまいましたけど。
そういえば弟の話で言うと、下の弟の息子が今、Jリーガーやってるんですよ(都倉賢/現コンサドーレ札幌FW)。

残間
その弟さんというのは、都倉亮さんですね。34歳でくも膜下出血、55歳で中喉頭癌になって壮絶な治療と再発を繰り返され、病で苦しんでいる人たちのために『諦めない生き方』というご本をお出しになっていますが、拝見したことがあります。みんなに勇気を与える文章を書くなあと思ってました。

都倉
そうなんですか? それは嬉しいですね。もう亡くなってしまいましたけど。

それでその甥っ子が活躍が認められて、ロシア・ワールドカップの日本代表候補の最終枠に入ったんですよ。でも結局落選で、叔父さんとしてはがっかり……。(※この取材はロシア・ワールカップ開催中に行われました)

残間
都倉家は自由なんですね。

都倉
でもその甥が慶應大学を辞めてJリーガーになろうとした時は、親父もまだ生きていて、さすがに大反対しましたね。すると弟が「兄さんは学生時代から仕事して、好き勝手やってるじゃないか。才能があるかどうかわからないけれど、チャンスを与えるべきだ」って反論してたのを覚えています。

年上だってファーストネームで呼びたくなる

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残間
海外生活が長かったことって、ご自分の生き方に影響してると思いますか?

都倉
うーん・・・・自分ではあまり思わないんですけど、阿久悠さんに言わせれば、僕は宇宙人だそうです。

残間
宇宙人!

都倉
(笑)それから若い頃から、年上でもつい親しみを込めて、ファーストネームで呼ぶ癖があるんですね。けっこう偉い人でも「〜ちゃん」とか話しかけちゃう。それで生意気な奴だとレッテルを貼られて、ずいぶんと嫌われました。
もっとも阿久悠さんや久世光彦さんみたいに、それを面白いと思って可愛がってくれる人もいましたけどね。

残間
今日はご自宅にお邪魔しているんですが、飾られているゴールドディスクや各種の音楽賞の盾、トロフィーの数がすごいですね。歌謡曲の世界としては、もう取ってない賞がないくらいだと思います。

学生時代に作曲家としてデビューして(中山千夏『あなたの心に』)、歌謡曲の黄金時代の、そのトップ・ヒットメイカーだったわけですよね。ピンク・レディー、山口百恵、郷ひろみ、フィンガー5、などなど・・・。

都倉
JASRAC(日本音楽著作権協会)に登録してある曲だけで1200ぐらい。実際にはその3倍は書いてると思いますけど。
それから一番忙しい時で、26〜7人のアーティストを担当していましたね。それでそれぞれが三ヶ月に一度シングルを出すわけです。とにかく忙しかったです。

残間
誰か特に、思い出に残っている歌手とかいらっしゃいますか?

都倉
昔、『スター誕生』というオーディション番組がありましたよね。欽ちゃんが司会で。それで僕は審査員をやっていたのですが、その時に出て来たのが中森明菜。
彼女は実は4回目の挑戦で合格したんですよ。彼女は司会者に何か聞かれても、当たり障りのないことを言ってニッコリ、みたいな子じゃなかったんです。ちょっと暗めだったし、下手な質問だと「つまんない質問しないでよ」みたいな雰囲気が漂う子で。だからあまりスタッフ受けは良くなかったです。

僕はすごく面白いと思ってイチ推しでした。カリスマ性があったし、なにかこう、雰囲気がありましたよ。案の定、スターになりましたね。僕はその頃を最後くらいに日本を離れました。

残間
あの頃の映像がよみがえりますね。



(つづく)

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