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コロナ以後の日本に何を築くか。 1/3

久しぶりのウィルビーインタビューです(約5ヶ月ぶり)。再開第一弾は東京大学名誉教授の月尾嘉男先生をお迎えしました。コロナウィルスの本質とは? なぜここまで大流行したのか? そしてコロナ禍を経て日本はどこに向かうべきなのか。ぜひご一読ください。(残間)
(聞き手/残間里江子 撮影/岡戸雅樹 構成/髙橋和昭)


Part1 すでに日本は中流国なんです


パンデミックが起こって見えてきたもの

残間
今日はコロナ災厄だけでなく大変な猛暑の中、お運びいただいてありがとうございます。ウィルビーでは久々のインタビュー取材になりますが、よろしくお願いします。

月尾
こちらこそ、よろしくお願いします。

残間
「ここに来て、まさかこんな目に遭うとは」という感じでしょうか。みんな茫然自失状態からまだ抜けていませんね。

月尾
しかし、日本は恵まれている方だと思います。アメリカなどはもともと差別や格差が大きな国なので、コロナ騒動のような事態になると、その対応に格差が如実に表れてしまいます。機を同じくして「ブラック・ライヴズ・マター」という運動が起こっていますが、決して警察のアフリカ系アメリカ人に対する暴力という、単純な問題ではありません。

一方、日本はぬるま湯に浸かっているので、どこか切迫感がなく、アメリカのようなことは起きない。
しかし、これは不幸なことでもあります。現在のような状況は、これからの社会をどう築いていくかを考える絶好の機会ですが、切迫感がないため、そのような議論は活発にならないのが現状です。

残間
それでもコロナ禍で浮かび上がってきたことがあります。ネットからたくさん情報が入ってくるので余計そう感じるのかもしれませんが、霞ヶ関も永田町もあまり機能していない印象があります。

月尾
政治も中央省庁も極端に言うと能力の限界を露呈しました。
内閣人事局ができ、中央省庁の上層部の人事を官邸の少数の人間が決めてしまうという構造ができたため役所に虚無感が広がり、優秀な人材が中央官庁に行かなくなっています。在職していた優秀な人たちも次々と辞めて、自分でベンチャー企業を始めたり、大学の先生になったりしています。

いろいろな事件がありましたが、政権に忖度した人間が出世していく光景をあからさまに見せられると、やってられなくなります。長期的に考えると、これは日本にとって最大の危機だと思います。

官僚もそうですが、政治家の質の低下もあります。小選挙区制の影響で、政党の幹部にゴマを擦った人間だけが選挙に出ることができて当選する。国を変えたいという意欲のある人などが、弾かれてしまっています。この2つの質の低下は、日本の将来を危うくしています。

残間
数は少ないとはいえ、官僚の中にも志ある人はいますけどね。

月尾
国家公務員を選んだ若者は、自分がこの国を変えるのだと理想を抱いて入省した人が大半だと思いますが、入ってみると失望してしまう。
目端の利く人は民間に行ってしまいます。民間に就職した大学の同期生との収入格差は開く一方、官庁に就職した人は官僚として出世するために国会などであからさまな嘘をつかざるを得ない状況にあり、残念な状態です。

ジャパン・アズ・ナンバーワンは遠くなりにけり
月尾
新聞なども記事にしていますが、すでに日本は国際的には中流国です。ほとんどの評価で世界で24〜5位です。1990年代には1〜2位でした。得意としてきた科学技術の分野でも最近は10位程度です。
スイスのシンクタンクによる情報社会の評価では、アジアの最上位はシンガポールで、世界全体でもアメリカに次いで2位です。以下、アジアでは台湾、韓国、中国、タイと続き、その下が日本です。

1990年頃の企業の時価総額世界ランキングでは、上位20社のうち15社は日本の会社でした。現在は上位5社はグーグルやアマゾンなどアメリカの情報系の新興企業、さらに7位と8位が中国の新興情報企業。日本は40番台まで来ると、ようやくトヨタ自動車が出てきます。
ところがそのトヨタも最近はテスラに抜かれました。テスラにとって自動車はワンオブゼムで、宇宙ロケットを開発しているスペースXはNASAに匹敵する技術を持っており、宇宙に飛行士を送り、無事、帰還させています。

このように日本の国際的な地位の低下は相当進んでいますが、ほとんどの日本人は気づかないし心配もしていないのが現状です。

バブル時代に静かに進んでいた、情報社会へのパラダイムシフト

残間
歯車はどの辺から狂い始めたんでしょうか。かつて女の子が扇子を振り回して、カウンターの上で躍り狂っていたバブル時代のことを、30歳ぐらいの人に「本当にそんなことがあったんですか? どうしてそんなことをしていたんですか?」と真顔で聞かれたことがあります。「時代の気分の恐ろしさというか、日本中が狂奔していたんですよね」と答えるしかなかったのですが。

月尾
そのような光景がジュリアナ東京で見られたのは1990年代初期ですが、それは工業社会が頂点に到達した最後の輝きで、以後は一気に情報社会に移行するパラダイム転換が起き、それに対応できず凋落してきました。

日本は明治維新以来150年間、営々と努力して発展し、一旦は第二次世界大戦で傷つきましたが立ち直り、部分的にはアメリカを抑えて一位になった分野まで登場し、それが続くと誰もが思っていました。
しかしNTTは早くから気がついていて、1990年に25年先まで目指したVI&Pという長期戦略を発表しました。アメリカはこれに危機感を持ち、クリントン政権の時に、まったく違う情報社会を目指す戦略を発表しましたが、その中核技術がインターネットだったのです。

インターネットは1960年代にすでにアメリカで開発されていましたが、軍事技術のため一般に公開しませんでした。それを一気に世界に提供したのです。ところがNTTはマルチメディアという言葉で情報社会を表現し、インターネットのもたらす構造変化に気がつかなかったのです。

残間
NTTが考えていたのはどういうものだったんでしょう。

月尾
VI&PのVはビジュアルで音声から画像を中心とする通信に転換する、Iはインテリジェントでたまたま電話の横に人がいる時だけ通じるのではなく、いつでもどこでも通じるようにする、Pはパーソナルで一家に一台の電話ではなく個人が端末を持つ時代にするという意味です。その基盤として大容量の通信を可能にする光ファイバーを2015年までに日本全国に敷設するという構想ですが、通信施設の管理や運営は、従来と同様にNTTが独占する仕組みでした。
ところがインターネットは多数の小規模なネットワークが相互に接続して世界全体にサービスするという仕組みで、技術も公開していました。

これが世界を変え、現在の情報社会を実現させるのですが、残念ながらNTTをはじめとする世界の既存の通信会社は自社の存在価値が低下すると考え、積極的ではありませんでした。そのため日本は世界の趨勢から遅れることになりました。

残間
NTTはインターネットは使わないと?

月尾
使わないわけではありませんが、積極的ではなかったのです。当時の日本の通信の大家でさえ、電話からインターネットに移行するパラダイムシフトの本質を理解できず、消極的でした。

日本国内の通信はNTT、国際通信はKDDという独占組織が責任を持って運営していたわけですが、それをインターネットのような全体の管理運営に責任を取らない小さなネットワークの集合体で担うという、巨大な転換を理解できなかったのです。

残間
月尾さん自身は当時、その動きをどう見ていたのですか?

月尾
ある程度わかっていました。僕の周囲に浜野保樹や武邑光裕などアメリカでの経験のある友人が何人もいて、彼らの話を聞くと、これは大きく変わると思いました。

残間
1994年に月尾さんが女性のメディア関係者を対象に『半日でわかるマルチメディア』というセミナーをやってくれましたが、今から考えると相当早かったですね。ホワイトハウスでヒラリーが飼っている猫の“ソックス”をリアルタイムで見て、驚いたことを覚えています。

最近でも、あのセミナーの参加者に会うと、その話が出ます。後になってわかったけれど、あれは大きな経験でした。


(Part 2に続く)








Part1 すでに日本は中流国なんです

Part2 ウィルスとは何か

Part3 コロナ禍はチャンスでもある