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今が一番楽しいんです。 3/5

(聞き手/残間里江子 撮影/岡戸雅樹 構成/髙橋和昭)


Part3 岐路に立つ博覧会


かつては“未来を語る”ことが最上のエンターテイメントだった

残間
さて、博覧会も以前とはだいぶ状況が変わってきまして、2001年にはアメリカが博覧会国際事務局(BIE)から離脱しましたし、開催国での経済合理性の問題も出てきました。これからはただモノを見せて驚かすというのは難しいでしょう。と言ってあんまり概念が先走ると、理屈っぽくて人と離れてしまう。じゃあどうするのか、という岐路に立ってますよね。

2025年には再び大阪で万博をやります。“環境”って言ってますが、それは下敷きの下敷きぐらいにしか見えません。「私たちに関係ないじゃん」とか、「何それ?」という空気もあります。エキスポって面白いものですけど、人との関与の仕方が難しくなっているような気がしますね。やる方も見る方も悩ましいのではないでしょうか。

平野
そうですね。そこを喋っていいですか?

残間
もちろんです。

平野
万博って、そもそもエンターテイメントですよね? だって家族4人で行ったら近場でも3万円はかかるんですから。入場料と昼飯と交通費で。かなり高額なエンターテインメントなわけですよ。
ではいったい、70年の大阪万博の時に、泊まるところもないのに、なぜあんなに人が押し寄せたのか。当時、日本の人口が1億ギリギリ超えたぐらいの時に6400万人です。

もちろん、「これを見逃したら二度と見られない」という強烈な非日常性もあったけど、一番根本にあるのは、あの万博が語っていた「未来」それ自体が、最上のエンターテイメントだったからですよ。未来を語る、未来を見せるということ自体が、何よりも強力なエンタメだった。だからみんな喜んで行った。金を払ってね。

じゃあ今の時代、未来を正直に語ることがエンタメになりますか? という問題があります。

残間
なりませんよね。

平野
万博は90年代につらい立場に置かれました。いろんな国で、万博に意味があるのかとか、税金の無駄遣いだとなって、住民投票がそこらじゅうで行われて、バタバタと倒れていったわけですよ。開催が承認されて準備も始まっているのに、中止や返上が続きました。
それで博覧会国際事務局(BIE)は、ある路線に舵を切ったんです。これからの万博は環境問題をテーマに据え、人類の課題を考えるものにしようと。要するに「社会のお役に立ちます」と宣言したわけですね。

残間
それで「ハノーバー博」(2000年/ドイツ)のつまらなさ‥‥。
私も現地に行きましたが、無味乾燥というか、理屈先行というか。

平野
そう、そこから来てるんです。要するに「真面目にやります。社会のお役に立つようにしますので、なんとか続けさせてください」みたいな話になった。
だから万博は21世紀に入ると、環境とか健康とか、そっちの方面にシフトするわけですね。真面目に議論しますと。今度の大阪でも「課題解決型万博」って言ってますよね。

残間
でも、万博ぐらいで人類共通の課題を解決しますと言われてもねえ………
それに、どんどんエンターテイメントと離れていきます。

平野
そう。そもそも環境問題ってマイナスをゼロにする話でしょ? もともと空気はきれいだったし、水は澄んでいた。でも人間が汚してしまった。それをどうやって元に戻すかっていう、要するに「治療法」の話なんですよね。
でも70年の大阪で語られたのは、どんどんプラスされていく未来だった。これも出来るようになる、あれも出来るようになる。いまの僕の歳になったら、クルマで空を飛んでるはずだったわけですから。

残間
(笑)
平野
冗談ではなく、あの頃は本気でそう信じてましたからね。万博は可能性を積み増していく営みだったんです。でも環境や健康は、どうやって負債をゼロにするかの話。

残間
それは基盤の問題ですよね。その基盤の上に夢や可能性を積んでいかないと。人類共通の課題といえば確かにそうですけど、ワクワクしそうもないような。

平野
もちろん環境問題も健康問題も大事なことだし、言っていることは間違っていない。だけどそういう話なら他でやってくれないか、となりかねない。環境技術を訴えたいなら、東京ビッグサイトの環境技術展でやってくれと。僕もハノーバーの時に思いましたよ。こりゃあ説教だと。

やっぱり万博は、一家4人から3万円も取るエンターテイメントだということを忘れたら、成り立たないんです。ハノーバーでは、真面目なドイツ人が真面目に環境問題を語った。その結果、「万博の墓場」と言われるほどの負け戦になった。

残間
私も行きましたけど、テーマ館は上から植木がぶら下がっていたり、雰囲気が暗かったですね。会場も工業団地みたいな所でしたし。

平野
あれは既存の見本市会場です。その中で、たとえばテーマ館の一部では、「スーパーの棚を埋め尽くす廃棄物」や「ゴミのように捨てられたストリートチルドレン」みたいな展示をしていた。言いたいことはわかるけど、それって万博の仕事かなあと。

環境や健康はファンタジーにならない?

平野
愛知万博でもそうでしたけど、万博をやっている人たちの頭にあるのは、自分たちは課題解決に貢献してるんだから正しいし、意義があるということ。でも、ぼくたちが行くのは意義があるからじゃない。非日常体験への期待であり、ファンタジーへの欲望です。

70年大阪万博の時は、「未来」をファンタジーとして描くことができた。言い換えれば、ファンタジーの最良のテーマは未来だった。でも、環境問題や健康問題をファンタジーとして語ることはできません。「いま起きている気候変動や災害は、神様がお怒りになっているからです」みたいな話はできない。

残間
(笑)

平野
環境問題や健康問題は100%ロジックで説明するしかないんです。これがこうだからこうなる、だからこうすればこうなると。ぼくは、この種の解説に最も向いているメディアは、NHKスペシャルと新聞の特集記事だと思います。それはあるボリュームを持って、きちんとロジカルに説明できるから。
でも、万博のパビリオンで同じことをしようとしても無理なんですよ。たとえば、たかが15分くらいの映像ショーでIPS細胞の説明をしたところで、せいぜいフワッとしたステレオタイプのイメージを伝えることくらいしかできない。かといって、NHKスペシャルみたいなものを作るわけにもいかない。

そもそもエンタメの場で、大衆に未来を啓蒙すること自体に無理があるんです。20世紀まではマスメディアの時代だったから、「中央の情報エリートがパッケージにして届ける情報を受け取るだけ」という状況を、僕たちは疑問に思わなかったし、不満もなかった。
でも、いまはそうじゃありません。権力サイドが発する情報を無邪気に受け入れるだけの存在ではない。情報とは「与えられるもの」ではなく、一人ひとりが「捕獲するもの」であり、みなで「磨いていくもの」。
僕が学生の頃はオーディオを買おうと思ったら、オーディオ評論家の批評が唯一の基準だったけど、いまはユーザーレビューの方が格段に信頼性が高い。それが21 世紀の情報観です。

にもかかわらず万博の作り手は、いまだに「未来のありようを教えよう。だから覚えて帰りなさい」という教条的、啓蒙的な構図から抜け出していない。それこそが現在の万博の最大の問題だと僕は考えているんです。

残間
新しい万博を作るには、根本から考え方を変える必要がありそうですね。


(Part4に続く)








Part1 突如よみがえった小六の感動

Part2 大阪万博が生み出した新しい職業

Part3 岐路に立つ博覧会

Part4 岡本太郎をプロデュースする

Part5 還暦から新しいことを始める


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