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今しかできないことをする。 4/5

201901
(聞き手/残間里江子 撮影/岡戸雅樹 構成/髙橋和昭)

Part4 外の世界で感じたこと


生徒に先生にしてもらった

残間
さて、ご両親が待ち望んでいた教師生活ですが、いかがでしたか? 初めてバレーボール以外の世界に出たわけですが。

三屋
やはり、バレーの世界は狭かったんだなあと思いましたね。
赴任先の学校で、とりあえず「バレーなら大丈夫だよね」と言われて教えてみたんですが、私にはバレーを教えるのが一番難しかったです。

私たちはそれまで考えないでバレーをやっていたんです。ボールが来たら自然に体が動いていた。ところが子供たちからしたら、「いつ腕を出したらいいんですか?」という感じなんですね。そう聞かれても私は「いつかな? いつだろうね?」という具合で。「手はどんな形になってるんですか?」と聞かれても、「どうなってるんだろうねえ?」と一緒に首を傾げるしかないんです。

残間
(笑)

三屋
ある程度バレーができる子を強くすることはできたかもしれません。自分たちがやって来たことをそのまま伝えて。でも初心者、できない子をできるようにすることは、ものすごく難しい作業なんだと知りました。オリンピックから帰って来てまだ一ヶ月ぐらいの時です。
残間
どうやるかなんて考えたこともなかったんですね。

三屋
私たちは、考えないで動けるようになるために厳しい練習をしていたんです。要するに技術を忘れるため。自分の技術を意識しているうちは相手と闘えないんです。徹底的に反復練習をして、状況によってオートマチックに体が動くようにする。大脳皮質は使ってないんですよ。

たとえば相手がブロックしてきたら、その小指を狙うんですが、ボールの位置を見ながら、ずっと相手の小指を探しています。そんな時に肩をどう回しているかだとか、左手がどうなってるかなんて考えないです。自分の意識はひたすら相手の小指!
一月前までそういう世界にいたので、「いつ腕を出すんですか?」と聞かれてもわかりませんよね。困ってしまいました。

そういう時に思い出したのが、「人間、考え方ひとつ」。そうだ、子供たちに聞いちゃえと。
子供たちの前で言いました。
「みんなも知っているように、私はこの間までオリンピックで闘ってきました。でも今のところ、みんなの疑問に答えることができません。だから私に教えてください」

希望者だけでいいのでと、生徒と交換日記を始めました。今日の授業のどこが悪かったのか、何がわからなかったのか。何がよくわかったのか。教えてくださいと頼んだんです。
すると生徒が日記に「あの説明ではわからない」とか書いてくるわけです。で、どんな風に言えばわかるのかなと私が書くと、また生徒から返事が返ってくる。

残間
実際に体を動かすのと、言語化はまた違いますからね。

三屋
1年生のうち、200人くらいと交換日記をしていたと思います。

残間
それは大変な作業ですね。

三屋
でもそれが私の仕事というか、勉強ですから。それをやらないと次の授業がプランできない。次はこう教えようとか、ああ、こういうところが面白いんだとか。
だから、私は生徒に先生にしてもらったところがありますね。

インプットがなければ枯渇する

残間
三屋さんはこの後、学習院大学に移って講師になりますが、高校の先生から数えて5年半ほど経った時に先生を辞めて、筑波大学に戻って体育学研究科の大学院生となります。これについては?

三屋
大学院に行くと言ったら、「やっと堅気になってくれた」とホッとしていた両親の肩が、また10センチぐらい落ちました。学習院にいれば70歳まで先生を続けられるのに、お前は30そこそこでそれを放棄するのかと。

残間
(笑)
三屋
先生ってアウトプットの仕事だと感じていたんです。インプットがないと枯渇すると思ったんですね。それで大学に戻りました。勉強し直そうと。

それから大学の講師時代から、テレビ番組でコメンテーターをするようになっていたんですが、そこで自分の意見を言うことを勉強させてもらいました。テレビって人と同じことや誰かの受け売りを言っても意味がない。要するに“私”は何を思ったのか、ということを言わないといけない。
当時はベルリンの壁が崩壊したり、湾岸戦争があったり、世の中が非常に揺れ動いていた時期でした。私が出ていた『サンデーモーニング』も、視聴率がものすごく高かったです。

残間
国際社会が激動の時に、情報の先端にいたわけですよね。

三屋
そこで自分は何を考え、それをどう発信するのかというのを勉強させてもらいました。一緒にコメンテーターをやってたケント・ギルバートさんには「間違ってるか間違っていないかじゃない、それが三屋さんの意見かどうかが大事なんだよ」って言われました。

残間
そのためには、日頃から勉強も必要ですしね。
三屋さんが出ていた番組といえば、『朝ズバ!』も面白かったです。『サンデーモーニング』とはまた違った視点で。

三屋
司会のみのもんたさんから、イレギュラーに質問が飛んでくるんですよ。ですからこちらは引き出しの多さと、その引き出しを開ける速さが求められましたね。コメントの瞬発力というか。
聞かれて「えーと………」とは言えないので、みのさんが質問している間に頭をフル回転させて答えないといけない。あれはあれで鍛えていただきました。

残間
バレーをやっていた時もそうでしたでしょうが、三屋さんは常に自分に課題をを与えるというか、漫然とその場にいるということがないですよね。

三屋
選手として生き残っていくというのは、常にセレクションの世界なんです。大勢集められて、どんどんふるいにかけられていく。すると自分がこのチーム、組織の中でどういう存在だったら生き残って行けるのかと、いつも考えるわけです。ずっとサバイバルなので。

だから今、私はバスケットボール協会にいますが、この組織の中で私の存在意義はなんだろう、というのは常に考えます。会社(女性下着メーカーの株式会社シャルレ)の社長をやった時もそうでした。
それはもしかしたら、15歳で東京に出てきて、誰も頼る人がいない中で闘って身につけた、私の生きる術なのかもしれません。


(Part5に続く)







Part1 バレーではなく何故バスケット?

Part2 考え方ひとつで状況は変わる

Part3 モスクワからロサンゼルスへ

Part4 外の世界で感じたこと

Part5 5年後にやっているのは…


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