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今しかできないことをする。 2/5

201901
(聞き手/残間里江子 撮影/岡戸雅樹 構成/髙橋和昭)

Part2 考え方ひとつで状況は変わる


コンプレックス(長身)が活かせるとバレーの世界へ

残間
長いおつき合いにしては詳しく聞いたことがなかったんですが、バレーボールを始めたきっかけって何だったんでですか? 出身の福井県の勝山中学からこの競技に入ったんですよね。やはり小さい頃からスポーツは万能だった?

三屋
全然、そんなことはないです。中学に入る前はスポーツとは無縁でした。私は小学校の頃までは喘息で、足は遅い方ではなかったですが、走ると後で「ゼイゼイ」となるんですね。親は「運動するな!」という感じでした。私の人生にスポーツがあるなんて、あの頃は想像もしてなかったです。
それから小学校5年生くらいから急に身長がのびて、それがコンプレックスでした。いじめにも遭いましたし。

残間
身長177センチでしたっけ。今は何でもいじめのきっかけになるようですが、当時でも背が高いぐらいでいじめられたんですか?

三屋
やーいデカ女とか、触るな巨人病が感染るとか、どうにもならないことですが、言われれば傷つくわけです。
それに着たいものが着れない。可愛いものとか着たい頃じゃないですか。履きたい靴も履けない。その時の反動なのか、今でも靴がいっぱい欲しくてたまりません(笑)。
とにかく中学に入っても背中を丸めて廊下の隅を歩いているような、暗ーい子でした。

それで私をバレー部に誘ってくれた先生に言われたんですね。
「いくら背が高いのが嫌だと思っても、そこから目を背けているうちは欠点にしかならない。それは変えようがないんだから、何とか使ってみれば」
それで何に使えるんですか? と聞くと、バレーをやれと。その時に思ったんですね。そうか、背が高いとバレーっていいんだ。そんな単純な理由です。

残間
いいですね。人生って、時おりそういう勇気づけてくれる人っていますよね。

三屋
その時に「人間、考え方ひとつだ」とも言われました。その後の私の人生の、いろんなところであてはまることでしたね。

15歳で単身上京、日本一の強豪校で寮生活
残間
そうやって福井でメキメキと頭角を現して、東京の強豪校からお呼びがかかるわけですね。福井に凄いのがいると。

三屋
いえ、そんなに凄くなかったですよ、ちょっとだけ。それで15歳で八王子実践高校という、当時日本一だった高校に一人で行くことになりました。寮生活です。

残間
15歳で単身上京というのは、なかなか大変な決断ですよね。ご両親の反対は? それとも後押ししてくれた?

三屋
両親は大反対です。私は次女だったんですが、家は自営業で、私はいずれ家を出るのだから、女性でも一人前に社会で生きていけるように、という教育方針でした。大学に行って、男女関係なく働ける学校の先生になるのが一番だと。逆に長女の姉には、どんなに大学に行きたくても行かせない。家を継げと。

父にさんざん言われました。福井の山の中でバレーやって、ちょっと褒められたからといっても日本一の学校に行けば、どうせ3年間ボール拾いで終わる。真に受けるなと。
それでも自分で行くって決めました。反抗期でもあったし、親から離れたかった。でも15歳の自分には、親元を離れることがどういうことか、わかってませんでしたね。

残間
そして高校で鬼監督の下、連日の猛練習が始まるわけですね。その辺りは以前ちょっとお聞きしたことがありますが、途中で家に帰りたくはなりませんでした? お正月くらいは帰れたのかしら。

三屋
親の反対を押し切って出てきたので、おいそれと帰りたいとは言えなかったです。正月もなかなか帰れなかったですね。高校のバレー部は12月31日の夕方に練習が上がって、1月1日の夜に集合。2日から練習でしたから。それでも滞在数時間でも、お雑煮だけ食べに帰ったことはあったかな?

残間
東京から勝山(市)に行くのはなかなか大変ですからね。私も一度行ったことがあるのでわかります。
それにしても、ご両親は最初は反対だったとはいえ、後々はオリンピック選手にもなったんですから、最後には「よくやった」と褒めてくれたんじゃないですか?

三屋
それは一度も言われてないと思います。日本代表に選ばれても「まだ辞めないのか」と。


(Part3に続く)








Part1 バレーではなく何故バスケット?

Part2 考え方ひとつで状況は変わる

Part3 モスクワからロサンゼルスへ

Part4 外の世界で感じたこと

Part5 5年後にやっているのは…


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