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今しかできないことをする。 1/5

201901
かつてロス五輪バレーボール日本代表として銅メダルを獲得した三屋裕子さん。その後、教師、コメンテーター、研究者、経営者などを経て、現在は日本バスケットボール協会会長という重責を担っています。お話を伺いながら印象に残ったのは、三屋さんの人生に貫かれたアスリート・スピリッツでした。(残間)

(聞き手/残間里江子 撮影/岡戸雅樹 構成/髙橋和昭)


Part1 バレーではなく何故バスケット?


人生の節目になった川淵三郎さんとの出会い

残間
三屋さんは2016年から日本バスケットボール協会(JBA)の会長を務めていて、もう2期目ですよね。今日も会長室にお邪魔しています。後楽園が見渡せる、なかなか素敵な空間ですね。
ところで、「三屋さんってバレーボールの人じゃなかったかしら?」と思われる方も多いのではないでしょうか。まずは会長就任の経緯からお聞かせください。

三屋
JBAは以前、不祥事というか組織が機能不全に陥りまして、2014年に国際バスケットボール連盟から資格停止という重い制裁を受けています(現在は解除)。それまでの理事は全員辞任することになり、外部からの改革が始まったんです。 その改革の中心になったのが元Jリーグチェアマンの川淵三郎さんで、川淵さんがJBAの会長になる時に副会長のお誘いを受けました。私は川淵さんから引き継いだ形ですね。

残間
三屋さんは以前、サッカーのJリーグの理事(2006年)もされていましたが、これまた畑違いといえば畑違いでした。川淵さんとはどういうご縁があったのでしょう?

三屋
いえ、何もなかったです。ある日突然、チェアマンの川淵さんから電話がかかってきたんですよ。Jリーグを手伝ってくれないかと。
あの頃、バレーボールの実業団チームがバタバタと廃部になっていまして、私は「スポーツは企業だけに依存するのでなく、これからは地域で育てていかないと」という趣旨の発言をしていたんですね。多分、それを耳にして、何か可能性を感じてくれたんだと思います。

残間
Jリーグは当初から地域密着を掲げていましたからね。

三屋
川淵さんとの出会いは、私にとっても大きな節目になりました。Jリーグの理事をやって、スポーツを経営の視点から見たのは新鮮な経験でしたね。

残間
JBAの今の課題はどんなところでしょう。今年はオリンピックもあります。
三屋
オリンピックはオリンピック委員会がやるので直接は関係ないんですが、国際バスケットボール連盟の受け皿はこちらになるので、やはりオリンピック期間中はかかりきりになると思います。

協会やBリーグ(国内バスケットプロリーグ)が持続可能な経営を続けるには、やはり日本代表が強くないといけません。課題の一つはまず、代表強化の資金をどう持ってくるかですね。ですからバスケットの現場に入るよりは、企業など外部との折衝が多くなっています。

でも、やっぱり現場はいいですよ。時々試合や練習を見に行くと、「スポーツの現場はいいなあ、また頑張ろう」って思います。それで元気をもらって、また大人の事情の世界に戻って行くわけです(笑)。

とは言っても、まだまだバスケットは認知度が低いんですよね。そこを何とかしたいと思ってるんですが、これまで周回遅れだと思ってたラグビーに、あっという間に抜かれた感じです。

残間
逆にこれまで沈んでいたものも、戦略によってはあそこまで盛り返せることが証明されたとも言えますよね。

三屋
考え様によっては、まだまだポテンシャルがあるとも言えるんですけれど。まあ、やることは山ほどあります。


(Part2に続く)








Part1 バレーではなく何故バスケット?

Part2 考え方ひとつで状況は変わる

Part3 モスクワからロサンゼルスへ

Part4 外の世界で感じたこと

Part5 5年後にやっているのは…


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