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未来へ、一歩前に出る勇気を 1/3

一柳良雄さんは元通産官僚。退官後の2000年に経営コンサルタントとして独立しています。以来、ベンチャー支援、政策規制コンサルなどに携わって来ました。また『一流塾』を運営し、経営者育成にも力を注いでいます。2020年の最初のインタビューは、日ごろ「日本を元気にしたい」と語る一柳さんにご登場いただきました。(残間)
株式会社一柳アソシエイツ オフィシャルサイト
株式会社一柳アソシエイツ オフィシャルサイト
(聞き手/残間里江子 撮影/岡戸雅樹 構成/髙橋和昭)
Part1 肩書きで仕事はしない
人生は一度きりと、あえて茨の道へ
残間
一柳さんは通産省(現・経済産業省)を1998年に52歳で退官された後、2000年に一柳アソシエイツを設立して経営コンサルタントとして独立されました。以来、ベンチャー支援や、地方自治体の産業振興へのアドバイス、数年前からはテレビキャスター(一柳良雄が問う 日本の未来/BSテレ東)としても活躍されています。
ところで総務審議官まで務めたのですから、再就職しようと思えば、当時ならいくらでも待遇のいい職があったはずですよね。そこをあえて天下りせずに独立したのは?
ところで総務審議官まで務めたのですから、再就職しようと思えば、当時ならいくらでも待遇のいい職があったはずですよね。そこをあえて天下りせずに独立したのは?
一柳
周りからは「バカ」って言われました。退官してから同期の集まりに顔を出すと、みんなは黒塗りの車に乗ってやって来るんですが、私は地下鉄で行ってましたから。でも私は通産省にいた頃から、ベンチャー支援をやりたかったんですよ。ただ、最初の3年ぐらいは厳しかったですね。
残間
そのチャレンジ精神は、どこから来ているんでしょう?
一柳
まず父の影響がありました。私は大阪の八尾高校の出身なんですが、先生に東大を受けたいと言ったら、「何の冗談だ?」って言われました。うちの高校から東大に行く人間なんて、ほとんどいませんでしたから。
だったらもう少し確実な大学にしようかと父に相談したところ、「確かに、少し目標を下げてコツコツやっていく人生もある。でも高めの目標を目指して失敗するかもしれんが、納得して歩める人生もあるぞ。お前はどっちを選ぶ?」って答えたんです。
それで「お父ちゃんならどっち?」と聞くと、「そりゃ後の方だ。だって一回しか人生ないんだぞ。人生はチャレンジだ!」と言うわけです。普段はお酒ばっかり飲んでるような人でしたけど(笑)。
※チャレンジした結果、一柳さんは東京大学教養学科を卒業されています
それから通産省時代、田中角栄さんが通産大臣だった時に、彼の秘書をやったことも大きかったですね。すごい人だと思いました。学校も出てないのに建設会社を起こして大臣にもなった。さらに総理まで狙っていて、実際その後、総理になりましたから。
私は、この人は政治の世界でベンチャーした人、政治家ベンチャーだなって思いました。
だったらもう少し確実な大学にしようかと父に相談したところ、「確かに、少し目標を下げてコツコツやっていく人生もある。でも高めの目標を目指して失敗するかもしれんが、納得して歩める人生もあるぞ。お前はどっちを選ぶ?」って答えたんです。
それで「お父ちゃんならどっち?」と聞くと、「そりゃ後の方だ。だって一回しか人生ないんだぞ。人生はチャレンジだ!」と言うわけです。普段はお酒ばっかり飲んでるような人でしたけど(笑)。
※チャレンジした結果、一柳さんは東京大学教養学科を卒業されています
それから通産省時代、田中角栄さんが通産大臣だった時に、彼の秘書をやったことも大きかったですね。すごい人だと思いました。学校も出てないのに建設会社を起こして大臣にもなった。さらに総理まで狙っていて、実際その後、総理になりましたから。
私は、この人は政治の世界でベンチャーした人、政治家ベンチャーだなって思いました。
残間
その当時、すでに“ベンチャー”という言葉があった?

一柳
一般にはまだなかったですが、通産省周辺ではもうありましたね。それで近畿通産局長の時には大阪の威勢のいい人たちを集めて、ベンチャーの提言書などを作りました。ただ役人の世界は異動があって、なかなか継続的にやれないんです。ならば自分でやってみようかと独立したわけです。
でも独立してみて、肩書きの重さというのを思い知らされました。肩書きがなくなると、人の応対って変わるんですよ。もう潮が引くように周りから人がいなくなりましたから。
9割ぐらいはいなくなりましたね。訪ねて行っても、前は「やあ局長!」とか言って笑顔を向けてた人が、スッと目を逸らしたり。
でも独立してみて、肩書きの重さというのを思い知らされました。肩書きがなくなると、人の応対って変わるんですよ。もう潮が引くように周りから人がいなくなりましたから。
9割ぐらいはいなくなりましたね。訪ねて行っても、前は「やあ局長!」とか言って笑顔を向けてた人が、スッと目を逸らしたり。
残間
いい時は、放っておいても人が集まって来るんですけどね。
一柳
人というものが見えました。やっぱり地べたを這うと、人がよく見えるんですよ。それは自分にも言えることで、それまで肩書きで仕事をしてたってことですよね。よし、これからは自分の名前で仕事するぞって思いました。
そうやって20年。74歳になりました。もう私の同世代の知人は、ほとんどリタイアしています。
そうやって20年。74歳になりました。もう私の同世代の知人は、ほとんどリタイアしています。
残間
居場所もあるようでない………。
一柳
人生90年、100年ですから、まだまだ先があるのに、何もワクワクするものがないように見えます。もっと極端なことを言うと、社会的に期待されてることを何もやってない。それはしんどいですよね。小さなものでも夢を持って、それを社会にぶつけて欲しいです。
私は『一流塾』というものを作って経営者育成の仕事もしてますが、日頃、塾生にも言ってます。もう肩書きで仕事をするのは止めようって。
私は『一流塾』というものを作って経営者育成の仕事もしてますが、日頃、塾生にも言ってます。もう肩書きで仕事をするのは止めようって。
残間
それを50代のうちに気づけたのは良かったですね。
(Part2に続く)

Part1 肩書きで仕事はしない
↓
Part2 一流の経営者が日本を強くする
↓
Part3 過去ではなく未来を語ろう