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流れるように生きてきた 1/2

interview1906
みなみらんぼうさんというと、私にはやはり個性派のシンガーソングライターというイメージです。でも一方で、『山口さんちのツトム君』が真っ先に頭に浮かぶ人もいるでしょう。あるいは山歩きの良き先達と思っている方も多いのでは。さまざまなジャンルで活動しつつ、今も流れるように人生を歩むらんぼうさん。その現在地点を訪ねました。(残間)

みなみらんぼうさんの公式ウェブサイト

(聞き手/残間里江子 撮影/岡戸雅樹 構成/髙橋和昭)

前篇 歳よりも、ちょっと老けていた


サラリーマンにはなってみたけれど‥‥
残間
お久しぶりです。何年ぶりでしょうか。

らんぼう
ご無沙汰しています。

残間
このインタビューの前にらんぼうさんのCDをたっぷり聴いてきました。らんぼうさんというと、朴訥とか淡々とか飄々みたいなイメージがあったんですが、改めて聴いてみると、メロディは穏やかなんですが、歌詞はけっこう激しいものが多いんですね。

特に印象に残ったのが『途上にて』(1977年)
♪風よ運べ燃える思いを 火を放て俺の心に♪
思わず“俺”を“私”に変えて歌いたくなりました。

らんぼう
(笑)若い頃に作った歌ですからね。

残間
らんぼうさんは、私にはシンガーソングライターというイメージなんですが、植物や山歩きにも造詣が深くて、最近はその関連の仕事も多いようですね。今日はこれまでのらんぼうさんの歩みを伺いたいと思います。

法政大学の卒業ですが、そこからシンガーソングライターに至る道をまずお聞きしましょうか。会社勤めはしたんですか?
らんぼう
最初は郷里の宮城に戻って、仙台の広告代理店でコピーライターをやったんです。でも、ほんの2~3ヶ月で辞めました。僕がいるところじゃないと思いましたね。それでまた東京へ。
東京でも少しコピーライターをやったんですが、結局はラジオの構成作家に落ち着きました。

残間
どうして「僕のいるところじゃない」と思ったんですか?

らんぼう
だって普通のサラリーマンですからね。週末の休みに車にコカコーラを積んで、どこかに行くのが唯一の楽しみでしたから。
だけど今、70を過ぎて考えてみると、そういう生き方も悪くなかったと思います。

残間
わかる気がします。そういう時代でしたし、今のお気持ちも。

らんぼう
それでラジオの構成作家をやるようになったんですが、いろんな番組をやりましたね。ラブホテルのルポみたいなものもやりました。

残間
え、ラジオでですか?

らんぼう
ええ。ラブホテルってその頃にできたんですね。話題になってたんで、取材して中がどうなってるとか、番組で紹介したんです。「ラブホテルって何だろう?」みたいに。半分、冗談のような番組でしたけど。

残間
ラジオに勢いがあった時代ですね。

らんぼう
ラジオでは歌謡曲のCM文案を書く仕事もありましたね。
「『夜のため息』森進一の最新ヒット曲、絶賛発売中!」とか、スポットCMみたいなもの。そういうコピーも書いてました。

残間
らんぼうさんは、歌手でデビューする前に、まず作詞・作曲家でしたよね。

らんぼう
自分の番組にタレントさんが出るようになると、僕は番組収録中に、スタジオの外でタレントのマネージャーさんと話をするようになったんですね。するとうちのタレントは歌は上手いんだが、いい曲がないんだよと言うんです。
それで実は僕も曲を書いてるんですよ‥‥という流れで出たのが『酔いどれ女の流れ唄』(森本和子/1971年)です。

残間
あの歌は加藤登紀子さんや八代亜紀さんがカバーしてますね。そうやってラジオ番組の収録の外側で、作詞・作曲家への道が開けたんですね。

らんぼう
あの曲を書いたのは僕がまだ24〜5歳の頃だったんですが、最初にレコード会社のディレクターに念を押されました。
「この曲、本当に君が作ったんだよね。周りのみんなが、いちおう確かめた方がいいって言うんだ」
要するに若造が書く曲にしては、成熟しすぎてる内容だと。

残間
誰かの曲を持ってきたんじゃないかと(笑)。

らんぼう
失礼だよね。

残間
外見がおっとりしたイメージだから。さっきも言いましたが、らんぼうさんってフンワリしているようで、実は歌詞にはけっこう毒や激しさがあるんですよ。
デビュー曲は中村雅俊のために書いたもの
残間
ご自身の歌手デビューは『ウイスキーの小瓶』(1973年)ですね。

らんぼう
僕が29歳の時。あの曲は、同じ宮城県出身の中村雅俊さんとの縁で生まれた曲です。
彼は文学座の出身で、当時、俳優や歌手として売り出し中でした。それでちょっと力になってくれないかと言われて作ったのが、『ウイスキーの小瓶』。僕が吹き込んだテープをうちの下宿で聞かせて、中村さんに覚えてもらいました。

残間
それが中村雅俊さんのデビュー曲になるはずだったんですね。

らんぼう
ところが中村雅俊さんの年齢にしては、この曲はちょっと老けてるよ、という話になったんです。

残間
老けてる(笑)。またしても!

らんぼう
いったん保留というか、ボツですね。結局、雅俊さんは、いずみたくさんが書いた『ふれあい』でデビューして、大ヒット。それで『ウイスキーの小瓶』が宙に浮いたところ、レコード会社のディレクターから声がかかったんです。
「らんぼうさん、一生の思い出にレコード作ってみないか」

というわけで思い出作りに歌ったわけです。こう考えると、僕が歌手デビューできたのも雅俊さんのおかげですね(笑)。

残間
そういう芸能の世界とかアーティストになりたいという気持ちは、昔からあったんですか?

らんぼう
なりたいとか、なりたくないとかじゃなくて、そちらに流れていった感じですかね。

残間
そう、らんぼうさんって、ずっと流れている感じがいいなと思ってました。それも世の中に流されてるんじゃなくて、サラリーマンをすぐに辞めたみたいに、ひとりで流れているみたいで。


(後篇に続く)








前篇 歳よりも、ちょっと老けていた

後篇 70歳の居場所


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