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闇は誰の心にもある 1/2

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デビュー作『花園の迷宮』で江戸川乱歩賞を受賞し、以来、山崎さんは数々の小説を世に送り出してきました。京都府のご出身ですが、こよなく“ハマ”を愛する横浜市民。そして近年は、ノンフィクションという形でこの街を切り取っています。最新作のテーマは「GIベイビー」。今となっては忘れてしまいたい横浜の闇の部分かもしれませんが、その闇は、誰の心の中にもあると山崎さんは言います。(残間)

山崎洋子さんのプロフィールはこちら

(聞き手/残間里江子 撮影/岡戸雅樹 構成/髙橋和昭)

前編 それは私だったかもしれない


根岸外国人墓地に埋葬された800人以上の嬰児
残間
最新刊『女たちのアンダーグラウンド 戦後横浜の光と闇』、読ませていただきました。私が知らなかったこと。忘れかかっていたこと。そんなことがたくさん書かれていましたね。




『女たちのアンダーグラウンド 戦後横浜の光と闇』
山崎洋子/亜紀書房/1,800円+税


この本は「GIベイビー」、いわゆる終戦直後の米軍占領時代、米兵と日本女性の間に生まれた子供たちがテーマになっています。まず、根岸の外国人墓地に800人以上のGIベイビー、それも嬰児が埋葬されているという事実に驚きました。

山崎
最初は山手の外国人墓地にこっそりと捨てられていたんですよね。私も知りませんでした。一番ショックだったのは、埋葬されているのが、私と同じ時期に生まれた子供たちだったということです。
私たちは生きて暮らして、個人的にはいろいろあったにせよ、だんだん豊かになっていく生活を体験したわけです。でもこの子たちはひっそり葬られて、母親もそうですけれど、誰にも知られず街の記憶からも消された。そう思うとたまらなくなります。

残間
育てられない外国人の子供だから外国人墓地、という発想だったんでしょうが、それにしてもすごい数です。
山崎
横浜といえば、今では人気の住みたい街、おしゃれな街というイメージがありますが、終戦直後の横浜は市の半分以上が米軍に接収されて、完全に基地の街。純粋に米兵と恋愛した女性ももちろんいましたが、戦争で焼き払われて何もかも失い、生きるために娼婦になった女たちが、数多くいました。
終戦から5年間で、全国で数万人とも言われるGIベイビーが生まれたという推測もあります。でも彼らがどうなったか、今となってはほとんどわからない。 これは横浜だけでなく、日本全国の米軍基地周辺で起こったことだと思いますが、私は横浜市民ですので、横浜を例にとって書いています。

横浜だと、生き延びた彼らが引き取られたのは、中区のキリスト教系の聖母愛児園という養護施設です。
そこの資料を見せてもらったんですが、すごいですよ。子供を連れてきた母親や身内の名前や住所が全部書いてあります。今でも私の近所に住んでるんじゃないかしらと思ってしまいました。

本にも書きましたが、入所する時に誓約書を書かされるんです。この子がそのまま亡くなろうと、どこかに養子に出されようと、一切文句を言いませんという内容。誓約書の雛形があったんですけど、その通りに書くしかなかった母親の心の内を思うと、本当に切なくなりました。
施設に入った後は、アメリカに養子に行った子が多いんです。大磯のエリザベス・サンダース・ホームもそうです。というより、アメリカ人しか養子にもらってくれませんでした。⽇本⼈は血の繋がりにこだわる⺠族ですから。

それでアメリカに養子に行った子たちがどうなったかは、もうわからないんですね。それこそ働き手として養子にされた子もいたでしょう。でもそれは仕方がなかったんでしょうね。孤児院に入ってるわけだし、日本にいても差別が激しかったし。

残間
うーん‥‥あの時代は確かに日本にいても差別はされたでしようね。

忘れたい記憶に向き合う覚悟を
山崎
聖母愛児園は女性の修道院でしたから、就学年齢になると男の子は神奈川県大和市に建てられた男性用施設に移りました。でも混血児を入れることに地元から猛反発が起き、その子達は長いこと、大和市から横浜市の小学校へ通うことを強いられたのです。

つい今では考えられない、とか言いたくなりますが、戦争やその後の混乱という極限の状況になったら、私たちも自分の子を守るために、同じひどいことをやったかもしれません。竹槍を持って鬼畜米英と言って、上陸してくる米兵を殺したかもしれない。だからその時代の人をとても責めることはできません。

こんなひどい人がいたよ、じゃなくて、これは私だったかもしれない。差別したほうも、差別された方も、夜の街でパンパンと呼ばれたのも、私だったかもしれない。本当に切羽詰まったらやるでしょ。売れるものがあれば。そして子供ができたら、こっそり外国人墓地や施設の前に置いてきたかもしれない。

でも、人間はこういうことをするんですよということを、ちゃんと覚えておかないといけないと思うんです。そのためには歴史を消してはいけない。どんな悲惨な歴史であろうと、悲惨であればあるほど、これをしかねない自分を知っておかないといけない。その意味で私はあの本を書いたんです。

残間
当時の資料を探して行政に取材しようとしても、あまり協力的ではなかったとか……。

山崎
というより逃げられました。理由をつけて会ってくれません。ある職員からは、「そんな歴史を掘り起こして、誰が喜ぶと思います? 事実だったとしても、みんな、忘れたいんじゃないでしょうか」と言われたこともあります。

せっかく明るい爽やかな横浜のイメージ創り上げてきたのだから、暗い歴史は消したいのか。あるいは役所は3年ぐらいで職員の配置が変わりますから、⾃分の任期中は⾯倒に関わりたくないのか。役所の職員としての立場はわかりますが、歴史の中で罪も無いのに消された人々の立場にも思いを馳せてほしいです。
残間
でも忘れたくても、忘れちゃいけないことってありますよね。

山崎
中国や韓国はきちんと民族教育をやっています。日本人から見れば良し悪しあるでしょうけど、歴史をしっかり若者に教えている。韓国は光州事件のことも素晴らしい映画にして、繰り返し上映しています。
しかし自分自身を振り返ると、⼩学校の頃、戦争のことなんて学校でほとんど教えられなかった。私たちの年代以降は高度経済成長する中で、平和ボケもあったかと思います。だからいまだに、民族教育を受けてきた中国や韓国と齟齬があり、噛み合わない部分が出てきたのではないでしょうか。

以前NHKで、中国、韓国、日本の大学生が討論する番組を見たことがあります。その時に日本の女子学生が「日本はなんだかんだ言っても、軍国主義だったことはありませんから」と発言したんです。見ていて驚きました。恥ずかしかった。
番組では中国、韓国の大学生は盛んに発言していましたが、日本の学生は気圧されて何も言えないんです。それでやっと発言したと思ったら、その女子学生の発言。レベルが違う。

残間
………大人の責任でもありますね。

山崎
私だって学生運動が激しかった頃、大学に行っていない自分は学生運動なんて関係ないと、何も知ろうとしませんでした。でも、歴史は消しちゃいけないんだと思います。


(つづく)




前篇 それは私だったかもしれない

後篇 つい暗部の方へ惹かれてしまう


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