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50代で手にした、書き手としての充実 3/4

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vol.3 娘として、母として。それぞれの年月


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梅田
今年うちの娘が17歳になったんです。

書き上げた脚本や小説の最初の読者になってもらうこともあるのですが、読んだ感想がすごく的を射ていて、感心してしまいます。

娘を産んだのは33歳で、厄年だったんです。厄年に女の子を生むのは一番の厄落としらしいですね。今まで生きてきたすべてが浄化される、とまで言われました(笑)。

もちろん、そういうことを意識して生んだわけではないんですが、娘が生まれてから仕事も生活も、すべてが順調に運ぶようになりました。娘がいろんな運を持ってきてくれたのかなあと思っています。本当に娘にはいつも感謝しています。

残間
みかさんが17歳の頃というと……

梅田
ちょうど、10年間続けてきたバレエを辞めた頃です。それまではすべてバレエ中心の生活だったので、抜け殻のようになっていましたね。

もともと私はバレエ向きの体ではなくて、ずっと「このまま続けても、おそらく自分は自分の憧れているようなバレリーナにはなれないだろう」と悩んでいたんです。

父を亡くしたことは、バレエを辞めるきっかけにもなりました。父は、私のバレエをすごく応援してくれていましたから、父がずっと元気でいたら、やめられなかったかもしれません。やめる決断をしたあとも、「私からバレエを取ったら何が残るんだろう」とものすごく苦しかったです。

残間
そのときバレエを辞めていなければ、みかさんの人生はまた違ったものになったのでしょうね。本当に、梅田晴夫さんの死がみかさんに大きな影響を与えているんですね。
お父さんとみかさんって、仲が良かったんですか?

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梅田
そうですね。父は兄にはとても厳しかったのですが、私にはいつも優しくて、ベタベタに甘やかされて育ちました。

……うちの父は、私の母と結婚するまでに5回結婚をしているんです。
といっても、そのうち3回は入籍をしていないんですけど。

父と母が出会ったのは、父の脚本の映画に母が女優として出演したことがきっかけでした。父はそれまでずっと子供を作らないと決めていたらしいんですが、母が兄を妊娠したとき「結婚できなくても、絶対に産む」と言って、それで兄の誕生とともに籍を入れたそうなんです。

……で、生まれてみたら非常に子煩悩だったという、よくある話ですが。

私は父親っ子で、父と過ごした時間も長かったですね。今でも父のかけてくれた言葉を思い出すことがあります。
一番心に残っているのは、私が小学生の頃、学校でいじめにあって家で泣いていたとき、朝起きると部屋の鏡台にメモが貼ってあったんです。
そこに父の字で「白い眼の林の中を生きていけ」と書いてあって。

父自身がこの言葉の意味を説明してくれたわけではなかったのですが、きっと周りに迎合せずに“自分”を持って生きるということは、白い眼だらけの社会をそれでも走り抜けるということなんだ、と。

残間
すごい言葉ですね。
“自分”というものをみかさんが持っていると見抜いていて、さらに「白い眼の林の中」を抜けていけると確信している。子供をよく見て、その子の能力や性格を把握していないと言えない言葉ですよ。

梅田
そうですね。
こうやって娘の17歳を迎えてみて、よりいっそう父が自分に遺してくれたものの大きさを痛感します。
(つづく)

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