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歩き続ける。歌とともに、縁とともに。 1/3
山崎ハコさん(シンガー・ソングライター)

独自の世界観で唯一無二の曲を生み出してきたシンガーソングライター・山崎ハコさん。「暗い曲」と思われがちなハコさんの曲ですが、聴くといつでも私を前向きな気持ちにしてくれます。その秘密は、数々の人々との「縁」(えにし)を受け入れ育む、ハコさんの温かい人生観にありました。(残間)
(聞き手/残間里江子 構成/髙橋和昭 大垣さえ)
vol.1 祖母の言葉を胸に生きてきた
残間
ハコさんとの出会いは、私がライター時代にハコさんを取材した時でしたね。
その取材からずいぶん経って、5年ほど前に新宿を歩いていたら、偶然山崎さんとすれ違ったんですよね。山崎さんが「残間さん」と声をかけてくださって。
その取材からずいぶん経って、5年ほど前に新宿を歩いていたら、偶然山崎さんとすれ違ったんですよね。山崎さんが「残間さん」と声をかけてくださって。
山崎
そうそう。いやぁ、嬉しかったですよ。
残間
私も。久しぶりに会った方があんなに嬉しそうにしてくれるって、なかなかないですよ。
取材したころとは全然イメージが違うから驚きました。昔のハコさんって、「喋らない、うつむいている、暗い」というイメージがありましたよね。
取材したころとは全然イメージが違うから驚きました。昔のハコさんって、「喋らない、うつむいている、暗い」というイメージがありましたよね。

山崎
そうですね。当時所属していた事務所から「喋るな、笑うな、明るくするな」と言われていましたから(笑)。
残間
あれから随分経ちましたね。今年はデビュー40周年ですか。
18歳でデビューして、それからずっと歌手としてご活躍していらっしゃいます。
……ハコさんの子供時代って、どんな風だったんですか? 小さい頃から歌手を目指していたんでしょうか。
……ハコさんの子供時代って、どんな風だったんですか? 小さい頃から歌手を目指していたんでしょうか。
山崎
全然。
私は大分県の日田市出身なんですが、父が郵便局員、母は近くの会社で事務員だったんです。それから、家で田んぼを持っていて、祖母と祖父が兼業農家をしていました。あとは兄が一人いる、普通の家。
母親に「あんたとの思い出がない」と言われるほど、おばあちゃんっ子でしたね。
祖母と一緒にいるのが好きなので、農作業も大好き。ずっと祖母と一緒にいるだろうと思っていました。だから歌手なんて、考えたこともなくて。
ただ、兄がいわゆる「不良」で、音楽をやっていたので、その影響で色んな音楽を聴いたり、ギターを弾いたりはしていましたけどね。
九州全体がそうかもしれませんが、日田市は非常に保守的でした。
同級生からは「ハコちゃんは歌手なんて言っても、紅白出らなつまらんばい」とか言われていましたね。……で、私がNHKに出演すると「すごい」って褒めちぎられる(笑)。
そういう土地でした。
一時期は「日田で好きなのは景色だけ」なんて言っていたこともあるぐらい。
兄は蝶よ花よと育てられた人だったので、いつでも「妹っていうのは兄貴の奴隷なんだ」なんて言われていました。
中学時代に、先生になりたいと思っていたこともあるんですが、先生になるには大学に行かないといけませんよね。すると父から「女の子の進学のために、先祖から引き継いだ田んぼは売られん。教師は諦めてくれ」と言われたり。
母親に「あんたとの思い出がない」と言われるほど、おばあちゃんっ子でしたね。
祖母と一緒にいるのが好きなので、農作業も大好き。ずっと祖母と一緒にいるだろうと思っていました。だから歌手なんて、考えたこともなくて。
ただ、兄がいわゆる「不良」で、音楽をやっていたので、その影響で色んな音楽を聴いたり、ギターを弾いたりはしていましたけどね。
九州全体がそうかもしれませんが、日田市は非常に保守的でした。
同級生からは「ハコちゃんは歌手なんて言っても、紅白出らなつまらんばい」とか言われていましたね。……で、私がNHKに出演すると「すごい」って褒めちぎられる(笑)。
そういう土地でした。
一時期は「日田で好きなのは景色だけ」なんて言っていたこともあるぐらい。
兄は蝶よ花よと育てられた人だったので、いつでも「妹っていうのは兄貴の奴隷なんだ」なんて言われていました。
中学時代に、先生になりたいと思っていたこともあるんですが、先生になるには大学に行かないといけませんよね。すると父から「女の子の進学のために、先祖から引き継いだ田んぼは売られん。教師は諦めてくれ」と言われたり。
残間
辛いとか、寂しいと思ったことはなかったんですか?
山崎
そうですね。「ばあちゃんにわがままを言いたくない」と思っていたんです。
本当に祖母が好きで、尊敬していたんですよね。
たとえば、兄に奴隷扱いされるのが納得できなくて祖母に相談すると、祖母は私を諌めたんです。
「間違っとるけど、あんたが黙っとれば丸くおさまるけん。あんた、勝ったら嬉しい? 気持ちいい?」と。
私は嬉しいとかじゃなくて、言わなきゃいけないと思っているんですよ。でも、「そこで我慢して黙ってたら、あとで、立ててくれてありがとうって大事にしてもらえるやろ」って。
本当に祖母は強い人だ、と思っていました。
本当に祖母が好きで、尊敬していたんですよね。
たとえば、兄に奴隷扱いされるのが納得できなくて祖母に相談すると、祖母は私を諌めたんです。
「間違っとるけど、あんたが黙っとれば丸くおさまるけん。あんた、勝ったら嬉しい? 気持ちいい?」と。
私は嬉しいとかじゃなくて、言わなきゃいけないと思っているんですよ。でも、「そこで我慢して黙ってたら、あとで、立ててくれてありがとうって大事にしてもらえるやろ」って。
本当に祖母は強い人だ、と思っていました。

残間
「勝ったら気持ちいい?」ですか……。人の心理をついた発言ですね。
山崎
私の方は「この気持ちは丸く収まらない」なんて思っていましたけどね。
残間
その「丸く収まらない気持ち」の発散方法が、ハコさんにとっては歌うことだったのかもしれませんね。
山崎
そうかもしれません。……とは言っても、祖母のことは本当に大好きで。
非常に印象深かったエピソードがあるんです。
祖母は毎年一日、必ず決まった日にお赤飯を炊いていたんですね。
でも、特に何がある日というわけでもないんです。「なぜ赤飯なのか」と訊いても、答えてくれない。
それで、私が小学校6年生ぐらいのある日「あんたももう大きくなったから」と言って、理由を話してくれたんですが……
なんと、私が生まれる10年前、1947年に私の家は大火事で焼けたそうなんです。赤飯を炊いていたのはその日だと。
もう、驚いてしまって。どうしてそんな縁起の悪い日に赤飯を炊くんだと。
すると、祖母がこう言うんです。あの頃は戦後すぐで、そうでなくても貧しい時代だった。なのに家が焼けてしまった我が家は、近くの神社に寝泊まりしているような状況。栄養失調で親戚も一人亡くなったそうで、大変辛かったそうなんです。
そういう時代を経て、「あの時の家族が無事に持ち直して、豆ご飯を炊けるようになりました」というのを、神様に報告するのだ、ということらしいんです。
非常に印象深かったエピソードがあるんです。
祖母は毎年一日、必ず決まった日にお赤飯を炊いていたんですね。
でも、特に何がある日というわけでもないんです。「なぜ赤飯なのか」と訊いても、答えてくれない。
それで、私が小学校6年生ぐらいのある日「あんたももう大きくなったから」と言って、理由を話してくれたんですが……
なんと、私が生まれる10年前、1947年に私の家は大火事で焼けたそうなんです。赤飯を炊いていたのはその日だと。
もう、驚いてしまって。どうしてそんな縁起の悪い日に赤飯を炊くんだと。
すると、祖母がこう言うんです。あの頃は戦後すぐで、そうでなくても貧しい時代だった。なのに家が焼けてしまった我が家は、近くの神社に寝泊まりしているような状況。栄養失調で親戚も一人亡くなったそうで、大変辛かったそうなんです。
そういう時代を経て、「あの時の家族が無事に持ち直して、豆ご飯を炊けるようになりました」というのを、神様に報告するのだ、ということらしいんです。
残間
へえー。そういうのって、最も忘れたい日である人が多いのに……。それが「めでたい」というのはすごいですね。
山崎
誕生日って、生まれたことを祝うだけじゃなくて、生きて迎えられたことを祝う日なんですよね。そういうことに気づかせてくれる祖母というのは、本当にすごい人でした。
15年ほど前に103歳で亡くなりました。大往生でした。
私の曲って、祖母の言葉が歌になっていることが多いんですよ。
あんなにすごいことを言っている人がいたのに、誰もその言葉を知らない。なら自分が歌にしよう! と思ったんです。
だから、しょっちゅうライブに来てくださるお客さんからは、「ハコさんのおばあちゃんに会ったことがある気がしてくる」と言われます。
15年ほど前に103歳で亡くなりました。大往生でした。
私の曲って、祖母の言葉が歌になっていることが多いんですよ。
あんなにすごいことを言っている人がいたのに、誰もその言葉を知らない。なら自分が歌にしよう! と思ったんです。
だから、しょっちゅうライブに来てくださるお客さんからは、「ハコさんのおばあちゃんに会ったことがある気がしてくる」と言われます。
残間
まさに日田市、というよりおばあさんの存在が、ハコさんの“原点”なんですね。
(つづく)
vol.1 祖母の言葉を胸に生きてきた
↓
vol.2 歌っているときだけが、自由だった
↓
vol.3 多くの人に支えられて今がある
(つづく)
vol.1 祖母の言葉を胸に生きてきた
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vol.2 歌っているときだけが、自由だった
↓
vol.3 多くの人に支えられて今がある
