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50th:ニューノーマルな日々の中で

2020.07.08

ぱったりと更新が止まってしまい、
読んでくださっている方々からも
「次の更新を楽しみにしています」
「更新はもうないのでしょうか?」と、
ご連絡を頂く始末となってしまいました。
申し訳ありません・・・。

と言いつつも、
そんな風に気にかけてくださって、
更新を待ってくださる方が、
こんなつたないコラムにも
いてくださるのだと、
嬉しくも思ってしまいました。
ありがとうございます。

緊急事態宣言が解除となった6月から、
弊社ではリモートワークを一旦終了させ、
オフィスワークというかつての日常が
戻ってきました。
毎朝、始業の9時30分に
表参道のオフィスに到着するよう、
電車に乗り、通勤しています。

beforeコロナ時は、
時々、東京名物・「寿司詰め満員電車」状態に
なることがありましたが、
少なくとも6月から今日まで、
それは、一度もありませんでした。

また、混雑による遅延も
ほぼ毎日といっていいほど
起こっていましたが、
それもなくなりました。

リモートワークが
引き続き継続されている企業や、
時差出勤などで、
確実に東京の通勤列車の
混雑は緩和されているのでしょう。

やはり、他人と短時間とは言え、
密着せざるを得ない、
満員電車は不快ですし、
それが解消されつつあることは、
素直に喜ばしく思いますし、
感染対策面においても、
安心感を感じます。

乗客は皆、漏れなくマスク着用、
可能な限り人と距離を取ろうとする、
個々の配慮、
なんとなくつり革や手すりには
極力触れないようにしようとしている様子など、
通勤しているだけでも、
「ニューノーマル」の定着を感じます。

プライベートにおいては、
週末に友人と食事に出かけたり、
美容院に行ったりといった、
外出の予定が入るようになりました。
そして、オンライン飲み会は
ぱったりとなくなりました。笑

それでも、かつては毎週のように、
約束もしていないのに、
馴染みのBarでたくさんの知人が集って、
飲んで・騒いでとしていましたが、
そのような、
「無作為に集まる」といったことは
めっきりなくなりました。

LINEのやり取りをする相手も、
限られた「信用できる友人」だけになり、
食事に行くのも、
「腹を割って話せる相手」
だけになりました。

それは私に限った話ではなく、
会う友人は皆、口をそろえて、
「大切な存在と、惰性で会っていた存在が
浮彫になった気がする」と、
話しています。

コロナ禍になってから
開催されるようになった、
「willbeオンラインカフェ」でも
多くの方が、
「断捨離をしています!」と、
お話になるのですが、
人間関係も同じく、
無意識にそれぞれが断捨離しているようです。

もちろん、
自分の人生において、
「大切な人」を見極めることは、
とても大事なことです。
ですが、私個人としては、
だれかに対して、
「大切でない人」のレッテルを
貼ることはとても悲しいことに思えます。

これは我ながら、
きれいごとだとは思いますが、
自分の人生で出会った人に対して、
とても小さくなってしまっても、
私の心の中に「部屋」を用意して、
大切にとっておきたいのです。
「人の断捨離」はしたくないのです。

そんな願いとは逆境せざるを得ない、
今の状況になんとなくの閉そく感や、
どこか地に足がついていないような、
感覚をコロナ禍になってから、
特に、自粛解禁以降、
感じるようになりました。

一体この感覚はなんなのだろう、と
日々考えていたところ、
文藝春秋から発売された、
特別号「コロナと日本人」に
掲載された、
コラムニストの能町みね子さんの
文章を読み、
「そうなの、そうなの!」と
首を大きく縦に振りました。


(以下、引用)
「気づけば役立つことばかりをし、
無駄な時間を削ろうとしていた。
なるべく運動をして健康であろう、
体に良いものを食べよう、
本を読み音楽を聴き
映画を見るときも、
なるべく生活を豊かにし
今後の自分に役立つものを
選ぼうなどと思っていた。」


まさしくこれなのです。
自粛期間にはstay homeの最中、
出来る限り、
自分を律して過ごそうと意識をし、
自分だけに委ねられた時間で
堕落しすぎることのないよう、
普段よりも健康に気を配った食事を
3食自炊し、もちろん外食はなし。

空いた時間には、
ぼーっとスマホゲームをするよりも、
心を豊かにする映画を見たり、
長らくお休みしていた、
ピアノの練習をしたり。

運動は苦手なのに、
YouTubeで筋トレやヨガをしたり。

能町さんが書くように、
「なるべく生活を豊かにし
今後の自分に役立つものを選ぼう」などと、
思っていました。

もちろんそれ自体に後悔はないし、
むしろそんな生活をしていた
「ステキな」自分が、
好きではあるのですが、
beforeコロナの、
そんなに気張らず過ごしていた、
無駄を無駄とも思わない、
生産性のない時間を、
存分に楽しんでいた、
あの時間はもうないことに気づかされました。

「惰性で会っていた友達」も
その一つでしょう。
パッと見、意味のないそれらは、
私の生活をカラフルに彩り、
豊かにしてくれていたのだと思います。

だからなんとなく、
今の「ニューノーマル」な日々は、
色が少なくて、少し物足りなく感じ、
どこか違和感があるのでしょう。

もちろん今の生活も十分だし、
beforeコロナの日々が
贅沢だったのだとも思います。
だけど、やっぱり私は贅沢したいし、
無駄や不必要を楽しみたいです。

「なんとなーく、パッとしないなぁ。
これは一体なんなのだろう。」と、
ずっと宙に浮いた感じがあり、
コラムを書くこともできずにいたのですが、
(これは完全なる言い訳、怠慢ですね。)
その違和感が言語化されたことで、
ちょっとだけ、前向きな気持ちが、
戻ってきた気がします。

「無駄や不必要が生活に戻ってきますように」
七夕の夜に、
私はそんなことを願ってみました。
「願い」があると、
人は前向きになれますね★
wakudamailto