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ジョフロワ江美のパリ便り vol.1

2024.05.30

パリ生活のはじまり


5月のPARIS
PHOTO:Emi.G


1995年春、バブルの余韻が残る東京から、
若さというエネルギーだけを抱えて
パリでの生活がスタートしました。
パリへ来たのは
フランス人男性と結婚したからです。

フランス語は大学時代に
第二外国語として選択し、
ギリギリで単位を習得したレベルなのに、
それが日常会話となる日々に突入です。
早速、日中は語学学校の
初級クラス(Débutant)に通いました。
週5日、午前と午後の授業、
皆さんもよくご存知の
フランス語「ボンジュール」「メルシー」から
レッスン開始です。
クラスメイトの自己紹介は
英語訛り、ドイツ語訛り、北欧訛り、
アジア訛り(私です)……と、多種多様。
クラスに数名の日本人がいたのが救いで、
唯一の息抜きは彼女たちとのランチタイムでした。
駐在員の妻、音楽や美術を学びに来た留学生、
フランスやフランスの文化に
憧れてやって来た若い女性などと
日本語でお喋りしてストレスを発散したものです。
この頃、夫との会話は英語でしたが、
当時のパリには英語を話せる人が少なく
(少し話せても敢えて使わない人も多く)
夕方、語学学校から帰ってくると、
「あゝ、疲れたー」が口癖でした。

新しい「生活文化」と言えば、
結婚と同時に始まったのが
夫婦単位の夕食会です。
フランス人は基本的に
プライベートの会食は
自宅に招くのが主流ですから、
共働き夫婦が多いのにも関わらず、
平日でもお互いの家に招待し合うのです。
しかも、食事のスタート時間は
20時~20時30分。
簡単な料理とはいえ、
アペリティフ、前菜、主菜、
チーズ、デザートと続き、
デザートが終わってもサロンに移動して
喋り続けるのがフランス人達ですから、
慣れるまでは大変でした。
昼間の語学学校、
夕方はフランス語の宿題、
そして夜遅い食事会。
若かったのでしょうね、
ストレスを意識する余裕もなく、
異国での新生活に必死でした。

ところが、結婚した翌年、
我が家での夕食会が続いた後、
「帯状疱疹」を発症してしまいました。
当時、私は「帯状疱疹」という病気を知らず、
湿疹がポツッと出て痒みを覚えた時、
虫刺されだと勘違いをして
ウナコーワをつけていたのですが、
幸い、大事にも至らずに済みましたので
今となっては
なつかしい思い出の一コマです。

人生の約半分を過ごし、
四半世紀を超えたパリ生活。
自己主張が筋金入りの
フランス人に鍛えられ、
勘と度胸は
かなりの飛躍を遂げたかなと
思っています。

せっかくwillbeメンバーの皆さまと、
こうしてご縁が繋がりましたので、
拙き文章ではありますが、
折々「パリ便り」を送らせていただきます。
「ここを取材してください」など、
ご要望がありましたら
何なりとおっしゃってくださいね。
それではどうぞよろしくお願い申し上げます。



セーヌ川右岸よりエッフェル塔を望む
PHOTO:Emi.G






ジョフロワ 江美
1963年広島県生まれ。
神戸松蔭女子学院大学卒業。
1995年からパリ在住。
日本在住時は雑誌『CLASSY』編集部勤務。
渡仏後は雑誌『25ans』の
パリ現地コーディネーター、
ライターを担当。
在仏日本人会「絵本の読み聞かせ」、
生活困窮者を支援するフードバンクなどの
各種ボランティア活動に従事中。



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