▲撮影:佐野篤 ▼デザイン:柳澤篤












ジョージ渡部さんのプロフィールはこちらから









残間 先日、ジョージさんたちが開催した
「ジャパン・サルサ・コングレス2009」を
見させてもらったんですが、ビックリしました。
これまでジョージさんがやっている
レッスンなどは見たことがあったんですが、
すごいイベントですね。
子供から大人までの5千人という来場者、
多くの海外からのゲスト、
そして何といっても素晴しいパフォーマンス!



渡部 ありがとうございます。

※ジョージ渡部さんは15年前に
「サルサ・ホットライン・ジャパン」という会社を設立。
以来、レッスンやサルサイベントを行いながら、
サルサを日本に広めようとしています。
「ジャパン・サルサ・コングレス」は、その最大の年次イベント。
先日行われた「ジャパン・サルサ・コングレス2009」の
模様、映像などはこちらから。







残間

海外からサルサ界の重鎮も来ていましたね。
それで海外のゲストが、みんなジョージさんを
リスペクトしている雰囲気が伝わってきました。
もちろんジョージさんは自分では言いませんが、
あらためて日本サルサ界での、
ジョージさんの"大物"ぶりを思い知らされました。
サルサ・ホットライン・ジャパン(SHJ)も、
あんな大掛かりなイベントを成功をさせるなんて、
すごい組織力ですね。



渡部 組織力といっても、
SHJは社員一人とアルバイト一人だけなんですよ。
あとは全部ボランティア。
今回も140人が手伝ってくれました。



残間 でもボランティアが中心のイベントなのに、
全然地味じゃないし、同じことを広告代理店がやったら、
製作費はゼロがふたつくらい多くなるんじゃないですか? 
揃いのTシャツを着たスタッフが、
本当に嬉しそうに働いてました。
ああいう風に、みんなで作り上げるところは、
クラブ・ウィルビーでも
見習わなきゃと思って見ていたんですよ。






渡部

みんな、ごく普通に手伝ってくれるようになりました。
つまり、僕がMCをやっているわけですが、
別に僕はMCをやりたいわけじゃなくて、
他に人がいないからなんですね。
それから会場のマットについたゴミなんかも
僕が自分で掃除する。他に人がいないから。
そういう所をみんな見ていたからじゃないでしょうか。
もちろん、基本的にみんなサルサが大好きですし。



残間 私がウィルビーを立ち上げた理由のひとつには、
大人たちに居場所というか、
出番を作りたいというのがあったんです。
それぞれに技や思いがあるはずですから。
でも、イベントを一緒に作り上げていくのは
なかなか難しいような気もします。
今も試行錯誤しているところです。

ところで今の日本のサルサの状況って、
どんな感じなんでしょう。
ジョージさんが活動を始めた15年前から
どんな変化がありましたか。



渡部 今の日本のサルサ人口は、
グレーゾーンも含めて
1万人から2万人というところでしょうか。
昔はサルサという言葉を知っている人は
10万人に一人ぐらいでしたが、
今は千人に一人は知っているんじゃないですか。
それでも、まだまだマイナーですけどね。






残間

サルサ・ホットライン・ジャパン(SHJ)は、
最初の頃はどんな人たちが中心だったんですか。



渡部 日本に住み始めていたラティーノ
(ラテン系外国人)たちですね。
そこに起爆剤になったのが帰国子女たちです。
サルサはニューヨークやロスアンゼルスの
ストリートで生まれたものですが、
外は寒いですからクラブで踊るようになったんですね。
そんなクラブ文化として
海外でサルサの楽しさを覚えた帰国子女が、
日本に帰ってきてSHJの催しで踊るようになってきたんです。
でも、そこからさらに広がっていったのは、
僕は経済的な問題だったと思います。



残間 「経済的な問題」ですか?



渡部 だって僕らのイベントって、
最初の頃は1ドリンク1500円で、
六本木で3時間踊って遊べたんですよ。
平日なら800円でした。

それから急激なIT化に対する揺り戻しもあるでしょうね。
人間って、やっぱり皮膚感覚を求めるんですよ。
男女が対になって踊るサルサは、
スキンシップ・コミュニケーションですから。
音楽も今のポピュラーミュージックとしては
珍しくデジタルなしです。
生ベース、生パーカッション、
そして曲はけっこう演歌チックだったりします。



残間 そうそう、盛り上げどころが似ていますね。



渡部 アナログ回帰というのはあると思います。
人間の血ってアナログですからね。

(つづく)