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残間 |
今日は「willbeアカデミー」についても お聞きしたいのですが、やはりまず、 東北大震災のことに触れないわけにはいかないと思います。 三ヶ月経ちましたが、月尾先生は今回の震災を どのように見、何を感じたでしょうか。 日本が抱えていた様々な問題が、 浮き彫りにされたようにも思えますが。 |
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月尾 |
1990年頃から、他の先進国も日本も 巨大な転換を始めました。人口が増えない、 経済が成長しない、中央集権から地方分権に移行する、 自然開発から環境再生に転換するなどという動きです。 その転換に日本は出遅れていましたが、 今回の震災が日本の大転換の契機になってほしいと思います。 震災後、三陸海岸と仙台に行きましたが、 いくつか象徴的な現象に気付きました。 岩手県宮古市に田老(たろう)という地区があります。 1933年の昭和三陸津波で壊滅状態になり、 集落全体を高台に移すという提案があったのですが、 それを拒否して、田老の万里の長城といわれる 延長2.4qの壮大な防潮堤を45年かけて造りました。 1960年のチリ津波の時は完全に集落を護りましたが、 今回の高さ10メートルの防潮堤を超える津波には 全く効果がありませんでした。 一方で自然の中には、 今回の津波にも生き残ったものが幾つもありました。 田老の港を出たところに「三王岩」という 岩手県指定の天然記念物があり、 中央に高さ50メートルほどの石の柱があります。 さすがに今回の大津波には抵抗できなく 倒れたのではないかと思って見に行きましたが大丈夫でした。 また、宮古の港を出たところに「ろうそく岩」という 国指定の天然記念物があります。 高さ40メートルで根本の幅が3メートルしかない細長い石柱ですが、 津波に耐えて無事でした。 人間が作ったものは脆弱でしたが、 自然の造形は強靭だったのです。 |
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僕たちは技術に過大な期待や信頼を抱いていたのですが、 今回の地震と津波は、技術が自然には及ばない ということを明らかにしました。 その最たるものが福島第一原子力発電所です。 これについて興味深い数字があります。 日本では温水洗浄便座が家庭の7割に普及していますが、 朝8時頃に3割くらいの機器が集中して使用され、 ポンプで水を噴き上げるために 470万キロワットの電気を使っています。 一方、福島第一原子力発電所の 一号機から六号機のすべてが稼動した場合の電力は 469万6千キロワットになります。 |
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残間 |
六機合わせると、ぴったりなんですね。 |
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月尾 |
もちろん六機すべてが同時に 稼働することはありませんが、数字上はそうなります。 現代社会は技術に依存し快適で便利な生活を 維持してきたわけですが、今回の震災が、 その構造の脆弱さを明らかにしたということで、 この過度に技術に依存する社会を見直す きっかけにするべきだと思います。 そのような意味で、東日本大震災は 日本のターニング・ポイントになると思います。 |
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残間 |
確かにターニング・ポイントと 捉えることはできると思います。 でも問題なのは、それを受けてどう行動するか、 できるかですよね。 |
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月尾 |
例えば、これまでの公共事業の大半は 自然に対抗する、もしくは自然を征服する技術として、 巨額を投じてきました。 釜石湾の水深60メートルの入り口に、 2千億円かけて長さ700メートルと900メートルの 防潮堤を造りましたが、 今回の津波で完全に崩れてしまいました。 3年前に出来たばかりの巨大な構造物です。 もちろんその防潮堤のおかげで 釜石の被害が軽減されたのかもしれませんが、 本来の目的は達成できませんでした。 |
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自然の力を制圧するという 西洋科学的な哲学を見直すべきだと思います。 本来の日本の思想は自然と共存するということですが、 その価値に気付くべきです。 昨年、名古屋市で 「生物多様性条約第10回締約国会議」が開かれ、 そこで注目されたのが"里山"という概念です。 これは里山だけにとどまらない概念で、 里山に対比した"奥山"と一対のものです。 日本人は自然を大きく二つに分けました。 日常は人が入らない神聖な場所で、 年に一回だけ山頂にお参りすることが許される奥山と、 日常の生活のために木を伐ったり、 山菜を採ったりしていい里山の二つです。 さらに概念が拡大され、奥山から流れ出て 集落を通っていく"里川"。 かつては炊事や洗濯をし、水遊びや釣りをした川です。 その里川が流れていった先にあるのが、 貝拾いや魚取りをする"里海"というわけです。 「奥山」「里山」「里川」「里海」。 この四つが循環しているという考え方は 日本の伝統的な文化でした。 ところが近代技術はこの四つを遮断してきたのです。 例えばダムを奥山に作ると、川を流れてくる土砂は 海岸まで流れ着かないから、海岸がやせ細っていく。 そこで護岸工事をし、場合によっては 砂を埋め戻して砂浜を守る。 魚が遡上できないから、言訳程度の魚道を作りますが、 魚の生態を十分に研究しないために、 魚は遡上できず、一気に数が減ってしまう。 自然は上手く循環していたのに、その循環を 技術は分断してきたという歴史があります。 それが今回の大震災で、方向転換を迫られていると思います。 |
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同じようなことを別の側面から紹介します。 現在、日本の林業は4千億円産業になってしまいました。 20年前には1兆円産業だったのに、6割も減ってしまったのです。 これは木材や副産品である茸や山菜だけの値段です。 ところが、森林が維持されているおかげで、 降った雨はすぐに川に流れ出ず、 時間をかけて川に流れ出るので洪水が防がれている。 また森林があるから、多くの生物が生きていける。 それ以外にも、土砂崩れを防ぐ、 二酸化炭素を酸素に変えるなど、様々な価値があります。 ところが、その価値は現在の経済社会の仕組では 無視されてきました。 簡単に言えば、森林が雨水を浄化し、 土砂崩れを防いでいることについて、林業家に お金を支払ったかと言えば、一銭も支払っていないのです。 林業家は数十年かけて育てた木を切り出して、 ようやく収入を得るだけです。 ところが木材生産だけでは赤字で、 林業は成り立たなくなっています。 |
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残間 |
もう山ごと売ってますよね。 |
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月尾 |
維持できないからです。 我々は目先の利益だけに価値を見いだして来たわけです。 しかし、自然には大きな価値があって、 その一部を分けていただくという考え方で、 長年、自然を維持してきたのですが、 それが近代の発展という時代に消えていってしまった。 今回の震災を契機に、この課題も 考え直していくべきだと思います。 |
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(続く) |
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