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翻訳の“落とし穴”に落ちないために

残間
土屋さんが2年くらい前に翻訳した
『枯れてたまるか!』という本があるんですが、
このタイトルにはちょっとした思い出がありまして、
実は4年前に私がブログを始める時、
社内でいろいろとタイトルを考えたんですが、
一人が「枯れてたまるか」はどうですかって、
提案したんですね。
その時に私は「枯れるとか枯れないとか、
私にはちょっと早過ぎやしない!」と一蹴しまして、
結局「駄目で元々 雨、アラレ」になったんです。
ただの偶然ですが、本が出た時に、
アレッ? と思ってしまいました。
 
土屋
へえー、そうなんですか。
 
残間
この本は、デイヴィッド・ブラウンという
映画プロデューサーが作者なんですが、
50歳から幸せに生きるための法則がいろいろ書いてありますよね。
「汝、仕事をやめるなかれ」「汝、女にマメであり続けるべし」とか、
「女は熟女に限る」とか。

それで私の友人のある財界人が、
この本を“座右の書”にしているんです。
艶聞なんかもチラホラある人なんですが、
私がこの本の翻訳者と知り合いだとわかったら、
「是非一度会わせてくれ!」とうるさいんですよ。

土屋さんにちょっかいでも出されたら面倒なので(笑)、
「そのうちにね」と答えてるんですが、
ウィルビーのメンバーにも、この本を愛読している人が
けっこういるんじゃないかと思います。
そんなこともあって、今回はご登場いただいたんですが、
翻訳という仕事の裏話なども
たくさん聞きたいと思っていますので、
よろしくお願いします。
 
土屋
こちらこそ、よろしくお願いします。
 
残間
まずお仕事のスタートから聞かせていただけますか?
 
土屋
大学を卒業して、まず英語の雑誌を作る会社に
就職しまして、そこに5年くらいいました。
翻訳を始めたのは、その後からですね。
 
残間
英語の雑誌というと?
 
土屋
外務省の広報誌です。
日本の雑誌に掲載されている様々な言論を
ピックアップしてまとめ、
それを英語に訳して在外公館に配布するわけです。
つまり今の日本国内では、どのようなことが、
どのような視点で、どう論じられているかを知らせる。
当時はインターネットがありませんでしたから、
そういうことを雑誌でやっていたんです。
 
 
ですから今の仕事とは逆で、
日本語を英語にする作業でしたけど、
翻訳する時に何に気をつけなければならないかを、
その5年間で学びましたね。
私は下っ端でしたから、
そんなに難しい仕事はしてませんでしたが、
翻訳というものの落とし穴がどこにあるか、
ということを叩き込まれました。
 
残間
落とし穴というと?
 
土屋
その雑誌は、翻訳は日本語の読める
ネイティブが行うんですけれど、まず、その人がちゃんと
原文の日本語を理解できてない場合があるわけです。
それから原文が間違っているという場合もあります。
さらに原文に書いてある内容も全部正しいとは限らない。

だから別のソースからそれが正しいかどうかを
確かめる必要があるんですが、
その結果、たとえ原文が正しかったとしても、
広く情報を得ることによって、
あたかも自分もそれを知っているかのように、
リアリティを持って訳文が作れるわけです。

単純に原文を訳していては生まれない、
文章の幅や深みも出てきますし、
アレンジの仕方も正確かつ自然になります。
ところがそれをしないで、ただ原文にそう書いてあるからと
ストレートに訳していると、インターネットの
翻訳サービスのようなことが起こるわけです。
 
残間
国のことを扱っているんですから、
下手をするとたいへんなことになりますしね。
 
土屋
なりますね。だから普通の出版物よりも、
かなり厳しいチェックだったんだと思います。
そこは一級品でした。
 
残間
もしかしたら、そういうことを見越して就職したとか。
 
土屋
そんなことはありません(笑)。
ろくな就職先がなかったんですよ。
そもそも英語というより、
最初は文章を扱う仕事がしたかったという感じでした。
ですから大手の出版社に入ろうとしたんですが、
当時は出版不況でコネでもない限り、
なかなか入れなかったんですよね。
 
残間
では、どの辺から翻訳家への道を目指したんでしょう。
 
土屋
やっぱり5年ぐらい勤めてると、飽きてくるんですね。
それから就職して、すぐに結婚していましたから、
そろそろ子どもも欲しかったですし。
でも、それまで夜も昼もないくらいに働いてましたから、
「子どもが出来たので、早く帰らせてください」とは
言えないんですよ。職場はそういう雰囲気。
そのことが自分でも悔しいし、
もっとやろうと思えばやれるのに、
それ以下の働きをするわけにもいかず、
結局そこは辞めることにしました。

それで何のあてもなく辞めたんですけど、まあ妊娠しまして、
ある時、本屋さんで翻訳関係の雑誌を見ていたら、
新人翻訳コンテストの告知を見つけたんですね。
 
残間
妊娠中に?
 
土屋
ええ、「オエッ」ってなってる時です。
安定期に入るかどうかという頃。
 
 
それでコンテストで自分の力を試してみようと思ったんです。
というのも、私はそれまで翻訳をしたことがなかったんですね。
商品となる本を訳したことがなかった。
でも、出来ると思ってたんです。
 
残間
コンテストはどんな課題だったんですか?
 
土屋
「A型人間、B型人間」みたいな本が昔あったでしょう? 
A型は心臓病で死にやすいとか、そんな内容のものでした。
とにかく、商業ベースでの翻訳で、
私の力量ってどれだけのものなのか知りたかった。
それまで人に論評してもらうという機会もなかったので。
 
残間
それで結果は?
 
土屋
佳作でした。
ところが、その時に審査員をやっていた
大手出版社のノンフィクション部門の人から、
結果発表の前に私に直接電話がかかってきたんです。
「翻訳やらない?」って。ありえない話ですよね。
変わった人でしたね。

それで佳作を取って、いろいろとその出版社の方と
話をしたんですが、私はもうお腹がこんな状態なわけです(笑)。
出産二ヶ月前くらいかな。

出産も翻訳の仕事を受けるのも初めてですから、
どうなるかわからないわけです。
結局お断りしたんですね。
ところがその方も太っ腹でして……
 
残間
臨月間近な妊産婦に太っ腹なオッサンが!(笑)
 
土屋
(笑)太っ腹というより、向こうにしてみれば
質のいいリーダーが引っかかったと思ったんでしょうね。
リーダーというのは商品として作品を翻訳するかどうかを、
事前に見極める役です。
 
残間
翻訳が無理でもリーダーなら出来るだろうと。
 
土屋
一本、2~3週間で出来るし、原稿用紙に
レジュメと評価を書いて送ってくれればいいと。
そのリーダーを子育てしながら3年ぐらいやったんですが、
これがすごく勉強になりました。
リーダーは翻訳家を始めてからもしばらく続けて、
全部で200冊ぐらいはやったと思います。
 
残間
勉強になったというのは?
 
土屋
学生の頃はなかなか一冊通して本を読むことってないんですね。
授業だと章単位でチビチビ、チビチビ読むわけです。
それで仕事として一冊本を翻訳する時というのは、
まず本全体のトーンを考えたり、
全体の世界を作ったりということが必要になるんです。
まず一冊の本を把握する力。
そういうことは誰も教えてくれなかったんですが、
リーダーをすることで身についたと思います。
 
残間
子どもを横においてリーダーをやっていたわけですね。
 
土屋
私は身体が大きいせいかお産が軽かったんですが、
子どもがまた、よく寝る子で助かりました。
寝ない時はねんねこでおんぶしながらやってましたね。
 
残間
家事や子育てとの両立は、割とうまくいったんでしょうか。
 
土屋
子どもが幼稚園に行き出してからは、
子どもはお弁当を食べて1時か2時に帰ってくるわけです。
それで晩ご飯を食べて寝るまでの夜の7時くらいまでを、
私の知性が一番働いてない時間に合わせようとしました。
子どもの相手に知性なんていらないから(笑)。

だから私が一番ヘロヘロな時間に家事をして、
子どもに夕ご飯を食べさせて、子どもとどっちが先かってぐらいに
添い寝しながら一緒に寝てしまうんです。
それで夫が夜の11時か12時頃に
「ただいま」と帰ってきて、私は「おかえり」と言いながら、
夫と入れ違いに仕事にかかるわけです。
誰にも邪魔されず夜中に仕事して、朝になったら、
そのまま子どものお弁当を作ると。
朝寝坊もしないので確実です(笑)。
 
残間
(笑)子育ては、
もっとも知性が働かない時間帯に済ませていたって………
 
土屋
そう、必要なのは体力だから(笑)。
 
残間
まあ、確かに子育ては“作業”といえば、作業です。
それで子育てが一段落したところで、
いよいよ翻訳家デビューとなったわけですね。
 
土屋
例の出版社の方から、「そろそろ出来るでしょ?」という感じで。
作品は、『地球を救うかんたんな50の方法』(講談社/1990年刊)。
3月に依頼が来て、5月までにやれ! と言われまして、
とにかく時間がなかったのは覚えています。
 
(つづく)