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日本にランドスケープ・アーキテクトがいなかった理由

残間
今日はランドスケープ・アーキテクトという、
あまり一般的ではありませんが、
街づくりにはなくてはならない職業についてうかがいます。
なかなか言葉で説明するのが難しいところもあると思いますが、
よろしくお願いします。
 
宮城
こちらこそ、よろしくお願いします。
 
残間
「ランドスケープ」というと、だいたい「景観」と訳されますが、
これを構成・設計することをランドスケープ・アーキテクチュア。
それをやる人がランドスケープ・アーキテクト。
大きな土地開発の際に、建物の配置や構成、緑や水も含めて、
景観全体を監修する仕事とでもいいましょうか。
単にデザインだけでなく、
植物や地形地質などの知識も必要とされる職業です。

日本でランドスケープという言葉が
意識されるようになったのは、都市計画とか都市開発が
さかんに言われるようになってからだと思います。
私がこの言葉に出合ったのは、
80年代の初頭、バブル直前ぐらい。
あちこちでリゾート開発が行われた時でした。
 
宮城
そうかもしれませんね。
 
残間
その時にホテル開発の仕事で、宮城さんと同じように
ハーバードでランドスケープ・アーキテクチュアを
学んだ日本の方と、仕事をする機会がありました。
 
宮城
バブルの時というのは開発の規模が拡大したんですね。
ほとんどがリゾート開発でしたけど、
点ではなく面の、土地の広がりのある開発になった。
すると建物はポツポツとしか建たない。
「あとの敷地はどうするんだ?」ということになったわけです。

それまでの日本にも“公園”はあったんですよ。
戦前の東京ならば日比谷公園とか神宮外苑とか。
でもリゾートって公園じゃないんですよね。
パブリックじゃないから。
要するにプライベートな景観の演出をやれる人というのが、
それまで日本にはいなかったんです。
それで当時はプラザ合意で為替相場が超円高になっていましたから、
外国人を雇ったわけです。
 
残間
そうでしたね。
それからランドスケープ・アーキテクトって、
単に景観をデザインするだけではなくて、
開発地の付近住民との公聴会とかも仕切るんですよね。
近隣との整合性というか、せっかくステキな建物があっても、
その近くにある看板がグチャグチャだったりすると台無しです。
でも当時の日本では、そういう意識も低かったですね。
自分のところだけきれいにしておけばいいや、という感じで。
今はだいぶ変わりましたけど。
 
宮城
ええ、最近は“エリア・マネジメント”という、
特定の場所やプロダクツだけじゃなくて、
地域全体の価値を上げようという考え方が主流ですね。
 
残間
宮城さんは京大の農学部のご出身ですが、
こういう仕事があることは、
学生の頃、すでに知っていたんですか?
 
宮城
知ってました。
僕が京大の大学院を出る頃というのは、
オイルショックの後ぐらいですが、
あの後、日本の経済はしばらくスローでしたよね。
1980年代の前半くらい。
「普通に就職してもねえ……」みたいな気分だったんですね。
それでこういう道に進んでみようかと、
ハーバードの大学院に行ったわけです。
 
残間
そのまま現地で就職しようとは思わなかったんですか?
 
宮城
しましたよ。アメリカには4年半いましたが、
大学院が2年、現地の設計事務所に2年半勤めました。
面白かったですね。
 
残間
やっぱり当時だと、
日本でそういう事務所を開くのは難しいと。
 
宮城
そうですね。
特に僕がアメリカで勤めたのは大きな事務所でしたし、
あのやり方は日本では難しいだろうなとは思ってました。
 
残間
それで帰ってきてからは、
まず千葉大の先生になったんですよね。
千葉大は園芸が有名ですけど。
 
宮城
自分が景観のデザインを勉強しようと思った時に、
そういう場所が日本にありませんでしたから、
そこは何とかしたいと思ってました。
ただ、入る時に生意気なんですが条件を出しました。
僕は大学で教える一方でデザインの仕事を続けたかったので、
いわゆるアカデミシャン(学者)にはならないと宣言したんです。

三十前の小生意気な若造がそういうことを言うと、
だいたい反発をくらってはじかれるんですけど(笑)、
ラッキーなことに僕がついた教授がいい人で
自由にやらせてくれました。
千葉大には12年いて、その間に
自分の事務所をスタートさせたわけです。
 
残間
どうしてそれまで、
日本にはランドスケープ・アーキテクトという
職業がなかったんでしょうね。
 
宮城
いくつか理由はあります。
ひとつは、やはり建築家が強すぎました。
いや、それは正確じゃないな。

日本に建築基準法という法律があるでしょう。
あれは敷地があるとすると、その真ん中に
ポンとひとつ建物があるといい、というものなんですね。
お隣さんとは隙間がきちんとあって。
これを“敷地主義”という言い方をするんですが、
そういう考え方が強い。
 
残間
(笑)それだとランドスケープ・アーキテクトの出番が、
あまりありませんね。
 
宮城
もうひとつは、日本の資産としての土地の
評価の仕方なんですが、更地で、自由に建物が建てられて、
それで利便性が良いという土地が資産価値が高いとされるんですね。
ところがアメリカはそうではないんです。
もちろん、そういう要素も大事ですが、
どういう所にその土地があるのか、ということが重要なんですね。
 
残間
周りに何があるか、ということですね。
人工・自然を問わず。それでその土地が
周囲をどう活かしているか、活かされているか。
 
宮城
そうです。その周辺部分の活かし方も価値になるんです。
要するに不動産の評価の仕方みたいなところが、
大きく影響していたと思います。
今はだいぶ変わってきましたけどね。
ちょっと例えは違いますが、
住所で「港区白金」って書けるか書けないかが、
実は重要だったりするでしょ。
 
残間
グッド・アドレスですね。

ところでランドスケープ・アーキテクチュアという考え方は、
アメリカだけじゃなくヨーロッパにもあるんですか。
 
宮城
ありますよ。
 
残間
あちらはガーデニングみたいなものが、
根っこにありそうな気がしますが。
 
宮城
もちろんそうです。
ただ“ガーデニング”というのは、
特定のクライアントのために為される行為なんですね。
権力者がいて、その人のためにきれいな庭をつくる人はいました。

一方で産業革命が起こって都市化が進んで人口が増えると、
どうしても環境が悪くなります。
パブリックな空間でそれを補う必要が出てきます。
ニューヨークのセントラル・パークもそうですね。
イギリスの場合はロイヤル・ファミリーが、
一種の博愛主義的な考えで自分の土地を開放していったわけです。
 
残間
“女王陛下の土地”というやつですね。
 
宮城
そうそう、ロイヤル・パークと言われるのは、みんなそうで、
王室が市民に土地を開放するという考え方でつくっていくわけです。

でも、そういうことになると一個人の、
例えば「残間さんの好みに合わせた庭」ではダメなんです。
公園なんですから。
つまり税金を使うわけです。
税金を使うということは説明が要ります。
根拠が必要になります。
そのバックボーンには科学的な何かも必要かもしれません。
そういうことをちゃんとプロフェッションとしてやれる人たちを
育てなくちゃいけない、となったのは、
19世紀後半からでしょうね。
 
残間
ベルサイユ宮殿のように、
王様の好みに合わせたものとは、
違う手法が必要になったんですね。
 
(つづく)