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残間 |
『グレ』開店から10年経って、 陶器のお店を出したり、 90年にはイタリアンレストランも開いています。 これはやがて『グレ』をやめることとも、 つながっているのですか? |
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光安 |
まず、他のことをやりたかった、というのがあります。 私は元来、飽きっぽい性格なので。 それから水商売の世界に"入った"わけですから、 いつかは"抜ける"ことを意識していたと思います。 |
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残間 |
"入る""抜ける"というと……… |
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光安 |
昔は水商売とそれ以外の世界に、 垣根があったと思います。 |
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残間 |
今はそのハードルが低いですよね。 六本木の人気キャバクラ嬢に、 普通の女の子たちが憧れたり。 陶器のお店やイタリアンレストランは やってみてどうでした? |
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光安 |
『グレ』を始めて10年ぐらい経った頃、 たまたま陶器に凝っていたんですね。 それで縁があってパレスホテルに 『遊』というお店を出すことができました。 ただやってもつまらないので、 作家モノの器を扱うことにしたんですが、 高いということもあって全然売れませんでした。 それで展覧会形式をとって 何とか軌道に乗せましたけど、 なかなか難しいです。 幸いやりたいという方がいるので、 このお店も近々譲るつもりです。 |
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残間 |
その後のイタリアンレストランですが、 どうしてレストランだったんでしょう。 同じ水商売ではないですか? |
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光安 |
私にとってレストランは水商売じゃないんです。 レストランはちゃんと 実体のあるものを売っていますから(笑)。 こういう考え方って、 やっぱり私が田舎の出だからかもしれません。 それから六本木に『まっくろう』という レストランがありましたよね。 あそこのマダムに私は憧れていたんです。 美術に造詣が深くて、私たちよりも ちょっと年上の(残間と光安さんは同学年)、 素敵な女性でしたよね。 『グレ』を誰かに譲って、秘かに レストランのマダムになるつもりだったんです。 イタリアンレストランは9年半続きましたが、 お店が入っていたビルの都合で閉店しました。 |
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残間 |
それにしても銀座のお店を経営し ママを務めている一方で、よく陶器のお店や レストランをやるヒマがありましたね。 |
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光安 |
隙間の時間はたくさんあるんですよ。 お店では私は気も使わずに飲んでるだけですから。 お客さんと一緒に遊んでいるようなものです(笑)。 |
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残間 |
いえいえ、光安さんは、 その「一緒になっての遊ばせ方」がプロなんですよ。 さて、30年以上ママを務めてきた『グレ』は、 昨年の3月に新しいママに引き継がれ、 今、光安さんは新しい道を踏み出そうとしています。 そういえば、その新しいママというのが、 また評判の美人ママなんですよね。 |
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光安 |
安心して店を譲れる人がいないかと思って、 銀座で仕事をしている呉服屋さんに頼んで 1年がかりで探してもらったんです。 で、この人がいいと言われて、 すぐに「この人だ!」と思いましたね。 最初は断られたんですが、3年かけて口説きました。 彼女は私が昔いた『ピロポ』という店の後輩で、 入って半年でナンバーワンになった娘です。 この世界の水が合っていたんだと思います。 会った当時はまた20代でしたが、 クラブのママとしては、たいへん有能です。 |
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残間 |
念には念を入れて、 何でも家族面接もなさったとか。 |
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光安 |
娘を心から応援している、いい親御さんでした。 お父さんは会社を辞めて何かとサポートしているし、 お母さんもいろいろと支えてくれています。 店は一昨年に譲っていたんですが、 新しいママの希望もあって、 私も一年間は顧問として残って、 時おり店に顔を出していました。 |
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残間 |
新旧のママの交代をこんな形で実現させたのは、 銀座で初めてらしいですね。 たいていママ同士は、ライバル意識が強いみたいで。 でも新旧のママが一緒にいると、 昔からのお客さんも安心しますよね。 |
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光安 |
その顧問も昨年3月で終わって、 『グレ』は完全に新しいママのお店になりました。 本当は50歳で引退するつもりだったんですけど、 10年遅れてしまいましたね。 |
(つづく) |
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