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とにかく料理人になるんだと、思い込んでいた

残間
1957年生まれですよね。
 
土井
えー、昭和32年ですから、そうなります。
 
残間
私たちの世代だと、
お父様の土井勝さんも思い出深いんですが、
料理の世界に入られたのは、
やはりお父様の後を継ぐという流れだったんでしょうか。
 
土井
そういうわけではないです。
私は父に料理を習ったことは、ほとんどありませんし。
父は子どもの進路には何も言わなかったですね。
完全に放任主義でした。兄と妹がいますが、
一時的に父の料理学校を手伝ったことはありますが、
今は二人とも料理とは関係のない世界にいますから。
(編集部注:以下、土井さんの発言は
関西イントネーションでお読みになると、感じがでます)
 
残間
じゃあ何がきっかけで。
 
土井
それが不思議で、物心ついたころから
「料理」をやるんだと思っていましたね。
高校生の頃には「料理人にならなければ」と、
あせりのようなものまで感じてました。
まだ料理が何なのかもわかっていなかったのに。
 
残間
大阪のご出身ですが、ちなみに子どもの頃、
家ではどんな食事をしていました?
 
土井
(笑)皆さん、その質問をなさいます。
私が小学生の頃には父はテレビとかに出て、
料理の先生の大家でしたから、
「家では何食べてる?」と昔からよく聞かれましたね。
 
残間
(笑)すみません。それで、どんなものを?
 
土井
ごく普通の家庭料理ですよ。
お肉っていったって、あの時分のことですから、
すき焼きくらいで。
 
残間
家ではお母様が料理を作っていたんですか?
 
土井
母も作りましたが、父の料理学校を手伝っていたんで、
お手伝いさんがいました。
おばあちゃんもいて、それから他に親戚も住んでいました。
家にはいろんな人間がいましたね。

そういえば、おばあちゃんの姉弟で、
元相撲取りのおじさんがいました。
「ひらのがわ」という四股名で、
優勝したこともあったと聞いてます。
その相撲取りのおじさんなんかは、
庭でスズメを捕まえて焼いて食べたり。
 
残間
えー!
 
土井
私を連れて市場に行って、海老を買ってきたりね。
 
残間
ちゃんこも作ってくれたり。
 
土井
そうやって家で遊んでましたね。それから賭事とか。
遊び人だったのか、そういう事にも通じてたんですね。
 
残間
ふーん。
そういう親ではない、
ちょっと距離のある身近な大人というのが、
子どもにある種の影響を与えたりするっていいますね。
“異文化”を連れて来るというか。
 
土井
確かにそうですね。
「くじょうのオッチャン」っていうんですが、
私を散歩に連れて行くと言って、
麻雀屋やパチンコ屋に行ったりするような人でした。
 
残間
そういうオッチャンやオバチャンの影響って、
大きいんですよね。
 
土井
何で「くじょうのオッチャン」なのかも
分からないんですけどね。
 
残間
どういう字を書くんです?
 
土井
それも分からないですけど、
とにかく「くじょうのオッチャン」なんですよ(笑)。
 
残間
そういう多彩な人の出入りのある家だったんですね。

話は戻りますが、
土井さんが料理を志すことになったきっかけって、
何だったんでしょう。
「土井勝の息子」という見られ方もして、
「料理」を意識をすることは多かったと思いますが。
 
土井
不思議なんですが、なぜか物心ついたころから
料理人になるとは思ってました。
ふだん父はあまり家にいなかったせいなのか、
父を追いかけていた、という面はあったかもしれません。

行きたいと言うと、
父は仕事の現場に連れていってくれたんです。
NHKの料理番組の収録にもよく行きました。
スタジオのすみに椅子を置いてもらって、
父を見ていたものです。
こういう事をしていたのは、兄弟では私だけでしたね。
 
残間
やっぱり興味があったんでしょうね。
それで大学に入ってから、フランスに留学することに。
 
土井
自分が何も出来ないということは、分かっていましたから。
まあ、さっき言ったように、そもそも
「料理」が何かも分かっていなかったんですが。
 
(続く)