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16歳のアメリカ留学。鼻をへし折られ、真っ裸にされる!?

残間
ようこそお出で下さいました。
今日はとても楽しみにしていました。
安藤さんはお忙しいので、こういう場でも作らないと、
なかなかゆっくり話せませんので。
 
安藤
こちらこそ、よろしくお願いします。
 
残間
今年でテレビ報道の世界に入って
34年になるそうですね。
 
安藤
そうらしいですね。(笑)
人から言われて気づいたんですが、
フジテレビと契約してからでも、
今年で25年になるそうです。
 
残間
しかも局アナを経験せず、
ずっとフリーランスですからね。すごいキャリアですよ。
最初にテレビ朝日に出ていた頃は、
まだ学生だったんですよね。
渋谷のパルコでエレベーターガールのバイト中に
スカウトされたというのは、本当なんですか?
 
安藤
本当です。派手な制服を着てやってました。
3台エレベーターがあったんですが、
当時はコンピューター制御なんかありませんでしたから、
1台が上の方にいる時はもう1台は
下の方にいなくちゃならなくて、
残りは真ん中あたりにいるようにやってましたね。
時おり外に出て他のエレベーターの位置を確認して。
 
残間
意外ですね、
どうしてエレベーターガールを選んだんですか?
 
安藤
時給が良かったんです。
当時で一日4,500円。
お金を貯めて留学しようと思ってました。
 
残間
留学は高校の時になさってますよね。アメリカに。
 
安藤
ええ、本当はそのまま
アメリカの大学に行きたかったんです。
入学試験も受かっていましたし、
奨学金ももらえることになっていました。
でも親が、特に母親が大反対したんです。
どうしても行くなら、
アメリカ人になってしまいなさいと言われまして。
要するに縁を切っていけと。
当時は“アメリカナイズ”という言葉が、
とても否定的に取られる時代で、親たちにしてみれば、
“アメリカかぶれ”に近かったと思います。
 
残間
やっぱり戦争を経験した世代ですからね。
 
安藤
高校時代の留学の時も大変だったんです。
隠れて留学生試験を受けて、
途中までは保護者面接には姉に行ってもらってたんですが、
最後にどうしても親が出なくてはならなくなって。
「実は‥‥」と切り出したら、
隠していたこともあって激怒されました。
まるで隠れて悪事を働いていたような感じでしたね。
最終的には応援してくれましたけど。
 
残間
高校時代のアメリカ留学については、
本にもお書きになってますが
(『あの娘は英語がしゃべれない』)、
実際どういう感じだったんですか。
1970年代ですよね。
 
安藤
やっぱり私の人生ですごく大きかったと思います。
同期の留学生は40数人いて、
サンフランシスコにいったん全員集合するんですが、
その先は全米各地の留学先に
一人で行かなくちゃいけないんです。
私はデトロイトでした。
 
残間
当時だと、高校生で一人で
アメリカ留学というのは、心細くなかったですか?
 
安藤
今みたいに気軽に留学なんかできない時代ですからね。
もう一世一代というか、“洋行”という感じですよ。
実際、私たちの前の世代は、
二十日間かけて船で行ってましたから。
でも、ドキドキはしてましたけど、
ワクワクもしていましたね。

それでデトロイト行きの国内線に乗り換えたんですが、
ここからは正真正銘の一人です。
当たり前ですが、周りは全部外国人だし、
みんな英語だし、スチュワーデスさんは怖いし。

実は私、その機内でスチュワーデスのお姉さんに、
服の上にコーヒーをこぼされたんです。
それもポットごと。まず熱いわけですよ。
スチュワーデスさんもびっくりして、
「Are you all right?」って聞くんです。
それで私、「I'm OK」って言ったつもりなんですけど、
するとスチュワーデスさんはダーッとキャビンに走っていって、
「She doesn't speak English」って言ったんです。
「彼女は英語がしゃべれない!」って言われて、
えーっ、私しゃべってるのに!
 
残間
そうかそうか、
それが本のタイトルになったんでしたよね。
ずいぶん前に読んだものですから。
 
安藤
熱かったけど、気を使って私は一生懸命、
大丈夫って言ってるのに、彼女は同僚に向かって
「She does't speak English」って叫んでるんですよ。
「英語がしゃべれないから、どうしよう!」という感じで。
コーヒーの熱さより、よっぽどショックだったですね。
そうか、私は英語がしゃべれないんだと。
 
残間
勉強して、難関の留学生試験に受かったのに。
 
安藤
本当にヘコみました。
あれは私の、その後のすべての原体験になりましたね。
 
残間
いろんな意味で。
 
安藤
もう、とことん鼻をへし折られました。
 
残間
自分が思うほどには、自分はできないんだと
思い知るのは、その時はショックでしょうけど、
今みたいな仕事をする上では良かったんじゃないですか。
 
安藤
確かに良かったですよ。
私、あのまま行ってたら、
鼻持ちならなかったと思います。
何か留学生試験受けたら受かっちゃって、
意気揚々と行ってたら。
 
残間
火傷は?
 
安藤
ちょっとはしましたけど、それよりも、
その時に私が着ていたのは、母が頑張って買ってくれた、
真っ白いワンピースだったんですよ。
一世一代のご洋行ですから。そこにコーヒー。
 
残間
まあ‥‥。
 
安藤
航空会社はクリーニングのチケットをくれて、
たいへん丁寧な口調で着いたらこれを使ってくれ
みたいなことを言ってましたが、ずっと黙ってました。
何しろ私は「英語が話せない」んですから(笑)。

それでデトロイトに着いたんですが、
また空港で一悶着あるわけです。
迎えに来てるはずのホームステイ先の
ホストファミリーが、どこにもいないんです。
大きなサムソナイトのトランクを二つ持って、
ドロドロのワンピースを着た女の子が一人。
 
残間
(笑)‥‥失礼。
 
安藤
本当にこれ、笑うところですよね。
自分でも笑っちゃいます。
それから空港のロビーで3時間ですよ。一人で待ちました。
ホストファミリーが到着時刻を間違ったんですね。
その時の心細さって、たとえようがないですよ。
電話をかけようにも、かけ方がわからない。
どこに何セント入れていいかもわからないし、
番号もわからないし、それでワンピースはドロドロ。
どうしようと思いました。
 
残間
確かにその3時間は長いですねえ。
 
安藤
ひどい状況ですよね。
私、デトロイト空港の絨毯の
シミになりたいと思いましたもの。
 
残間
(笑)ワンピースはもうシミだらけだし。
 
安藤
(笑)本当に消えてなくなりたいと思いましたね。
すると写真で見たことのある
ホストファミリーがやって来たんです。

向こうも驚いたんじゃないですか。
ドロドロのワンピースを着た女の子が
駆け寄って来たんですから。
それで私、ジョイスというお母さんに飛びついて、
大泣きしたんですよ。
向こうも持ってたクリーニングのチケットを見て
察したようですが、衝撃的な出会いでしたね。
空港には夫妻と私と同い年の娘と下の弟も来ていたんですが、
みんな一生忘れないって言ってました。
 
残間
なるほどねえ‥‥、
あまりに劇的な異文化との出会いというか、
その後にも大きな影響があったんじゃないですか。
 
安藤
もうあまりに追いつめられて、
真っ裸になってしまったんですね。
だから一気にハードルが取り払われてしまったんです。
ホストファミリーとの間柄も。
留学前の研修では、ホストファミリーと最初に会ったら、
「How do you do」と言うこと、とか習ってたんですが、
いきなり首根っこに飛びついてワーワー泣いたわけですから。
それが私の最初のアメリカ体験でしたね。
 
残間
私はあの本は(『あの娘は英語がしゃべれない』)
留学記として読んでましたから、
何となく痛快な印象があったんですが、
ご本人の口から聞くと、だいぶ違いますね。
でも、やっていけるという
自信にもつながったんじゃないですか。
 
安藤
すごくサバイバル能力がつきました。
その後、テレビの仕事をするようになって、
けっこう海外の過酷なところにも行きましたけど、
スケジュールの関係上、ほとんど一人で行ってたんですよ。
スタッフとは現地集合にして。
ポーランドやソビエト連邦とか、乗り継いで行くんですけど、
ため息をつきたくなる時があるじゃないですか。
荷物が出て来ないこともあるし、
英語なんか通じるとは限らないし。

たとえば中東のアブダビで、
一人で乗り継ぎを待ってたりするわけです。
二十歳そこそこの女の子が、
普通、そんなこと考えられないじゃないですか。
つい「どうして私、アブダビなんかにいるんだろう」と
思いがちになるんですが、デトロイト空港の経験があるので、
「まあ、なんとかなるだろう」と思えちゃうんですよ。
 
残間
そういう経験をすると、
完全に外国アレルギーになるか、
安藤さんみたいにどこに行っても生きていけると
度胸がつくか、どちらかでしょうね。
 
安藤
私の場合は、16歳という年齢も
関係したかもしれませんね。
16歳って乾いたスポンジみたいに、
何でも吸収するじゃないですか。
だからアメリカのいいところも悪いところも、
同時に吸収するわけですよ。
母が恐れていたアメリカかぶれ的なものも、
もちろん吸収したし、アメリカ人になりたくてなりたくて、
どうしようもない時期もありましたから。
 
残間
安藤さんでもアメリカ人になりたかったんですか?
 
(つづく)