
残間 |
今日は2011年の12月22日なのですが、 掲載は2012年早々となります。 旧年のことを振り返りつつ、新年に向けたお二人の思いを お聞かせ願えればと思っています。 よろしくお願いします。 |
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クミコ・三屋 |
よろしくお願いします。 |
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残間 |
まず2011年についてなんですが、 やはり「大震災の年」ということになると思います。 お二人はこれに真正面から取り組みました。 |
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※三屋裕子さんは震災直後から 「東日本大震災プロジェクト」を立ち上げ、 避難所や仮設住宅に暮らす被災者のため、 継続的に運動などの健康指導を行っています。 一方、クミコさんはたまたま訪れていた石巻市で被災。 現地で一夜を過ごすという経験をしています。 その後、石巻市で歌による復興支援活動、 あるいは津波被害から再生されたピアノを使っての コンサートを開催しています。 |
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残間 |
三屋さん、実際にボランティア活動に取り組んでみて、 いかがでしたか。何か心境の変化などは? 被災地にはずいぶん行きましたよね。 |
三屋 |
3・11以降は、自分の考え方も、 自分の取るべきだと思う行動も、 それまでとはずいぶん変わりましたね。 |
残間 |
具体的には、どのへんが一番変わりましたか。 |
三屋 |
阪神の時も、募金ですとか、物質的な支援ということを すぐに考えたんですが、 今回の場合は、とにかく「行かなきゃ」 という気持ちになりましたね。 |
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残間 |
お二人の活動には、私も何度かご一緒させてもらいましたが、 やっぱり身体を使えることって、凄いなと思いました。 三屋さんの運動、そしてクミコさんの歌。 |
クミコ |
三屋さんの活動を伝える残間さんのブログを読んでいて、 本当にみんなに喜ばれるだろうなって思いましたよ。 一緒に身体を動かしながらコミュニケーションを とっていくのって、とてもいいと思います。 私みたいに歌なんか歌ってもねえ………。 |
三屋 |
でも当初は被災者の方は、まず衣食住の確保でしたから、 いくら避難生活の中で起こる不活発病、 身体を動かしていないと動けなくなるんですが、 その面で力になりたいと説明しても、 なかなか理解してもらえませんでしたね。 夏を過ぎてからですよ。 最初は高校の先生を頼りにして、 高校の体育館が避難所になっているところから 始めていきました。 |
残間 |
三屋さんは男子バレーの選手を 連れていったりしたんですよ。 すごく身体の大きな人が現れると、 まず、みんな「おっ」という感じになって、 何が始まるんだろうという雰囲気になりますし、 彼らが子どもたちに「肩車しようか」と言うと、 「するする!」となるのよね。 それから三屋さんがボールをポンと投げると、 やっぱりみんな、思わずそれに反応する。 "身体"の持つ力というのは大きいなあと思いました。 |
クミコ |
なるほど。 |
残間 |
だから私なんか三屋さんと現地に行くと、 無力感にさいなまれるというか、 こっそりトイレの掃除するぐらいしかないんです(笑)。 でも、そんな三屋さんでも、最初は被災者の人に 声をかけられなかったって言ってましたよね。 |
三屋 |
今でも最初に声をかける時はドキドキですよ。 特に今は避難所じゃなくて仮設住宅なので、 最初のコミュニケーションは取りづらいです。 |
残間 |
室内に入っちゃってるから。 |
三屋 |
避難所の体育館を訪れた時も、 入り口に立つと、本当に入っていいのかな? って思いましたもの。 |
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クミコ |
うーん、聞いてるだけでドキドキします。 |
三屋 |
皆さん、下を向いている方も多くて、 眼を合わせてもらうところからですから。 |
残間 |
三屋さん、どれくらいの頻度で行ってます? |
三屋 |
だいたいひと月に、一泊二日を1〜2回という感じですね。 |
残間 |
三屋さんは自分で運転していくんですよね。 |
クミコ |
そりゃ大変だ。 |
三屋 |
先週、先々週は、二週続きで気仙沼、陸前高田だったので、 さすがに、ちょっと………来ましたね(笑)。 |
クミコ |
でも、行かざる得ない気持ちに なっちゃってるわけでしょ? そこが凄いな。 |
三屋 |
クミコさんも石巻に何度か行ってるんでしょ? |
残間 |
クミコさんは実際に被災してるから。 |
クミコ |
震災の時にたまたま石巻に居合わせて、 それで裏山に逃げたんですよ。 当り前なんですが、そこから東京に帰ってきたので、 すごく「置いてきちゃった」という感じが残ったんです。 |
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生まれて初めて行った場所だし、別に公演もしてないし、 友達もいない。 避難したのは山の採石場で、 他にも避難してきた人は何人かいたんですが、 言葉を交わすような状況でもなかったです。 でも東京に帰ってきて映像を見たとたん、 「ここに、みんながまだいるんだ!」 という気持ちになりました。 だけど自分はあったかい部屋にいて、 あったかいお風呂と布団があって、ご飯が食べられる。 私はそのギャップでやられちゃったというか、 しばらく立ち直れなくなりましたね。 |
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三屋 |
私は4月から避難所に行くようになったんですが、 私たちは被災者の方と違って、 帰るところがあって申し訳ないというか…… |
クミコ |
そうなの。 現地に行って「じゃあね」と言って、 戻る時の後ろめたさというのが、 どうしてもあります。 被災地の人たちとは同じ土俵じゃないわけで、 向こうもそれはお見通しです。 そこはつらかったな。 |
残間 |
でも、向こうの人たちには、 それを責める気は全然ないですよね。 |
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クミコ |
もちろんそうなんだけど、 こっちはいつも胸のあたりにモヤモヤとして、 申し訳ないなあというか………。 だって、全てをなくしちゃった人がいるわけです。 私もあそこに居合わせなかったら、また別の関わり方を してきたかもしれませんね。 変な言い方かもしれませんが、「慰問」して、 なんとなく歌でも歌ってたかもしれません。 でもあそこにいた私としては、 「歌? そんなのいらないよ。それより食べるもの、 着るものだよ!」という気持ちになってました。 |
(続く)