残間というわけで本日は
   ウィルビーのサポーティングメンバーの中から、
   寅年のお二人をお呼びしました。
   私も寅年で、しかも全員3月生れです。
   年末のお忙しい時にお集まりいただき、ありがとうございます。

   注:このインタビューは2009年12月28日に行われました。



奥田今日、ここに来るために、
   クリスマスイブは一生懸命芝居しましたよ。
   無事来れて本当に良かったです。

   注:実は奥田さんはこの時、三億円事件を題材にした映画
   『ロストクライム-閃光』(2010年上半期公開予定)の
   撮影が追い込み。取材日の28日は、
   撮影が延びた場合の予備日となっていたのでした。
   奥田さんの奮闘の甲斐あって、無事クランクアップ。



残間では、まず再会に乾杯しましょうか。乾杯!



奥田・吉永乾杯!







残間奥田さん、ちょっと見ないうちに
   痩せたんじゃないですか。



奥田そうですか? 
   2009年は俳優業に専念してましたからね。
   やっぱり顔を世間に見せていると、
   少し引き締まるのかもしれません。



吉永私も毎週テレビに出てるけど、
   ちっとも締まらないんだけど(笑)。



奥田今やってる役柄が刑事なんで、
   そういう事も関係あるかもしれません。

   注:ちなみに奥田さんの役柄は、
   渡辺謙さんの長男・渡辺大さん演じる
   若手刑事とともに犯人を追う、定年間近の老刑事です。
   奥田さんもそういうお年なわけですね。



残間奥田さんは2010年はどんな年になりそうですか。



奥田実は僕たちは2010年から天中殺なんですよ。
   この時期は大きなプロジェクトの立ち上げは
   良くないんですって。
   だから自分が監督でやりたい企画はしばらく暖めておいて、
   今年みたいに俳優業が中心になると思います。
   天中殺が終わる2012年の節分までは、
   雌伏の期間ですね。じっくり力を蓄えようと。







吉永ええっ! 私たちみんな天中殺なの? 
   それって、もっと早く聞きたかったなあ。
   新年の計画が狂っちゃう。

   注:よく調べたところ、残間だけは
   誕生日の関係で違っていました。



残間監督はまったくやらないんですか?



奥田他所から、原作つきの作品を監督してくれ
   という依頼は来てるので、それはやります。
   でも自分の企画で、自分のプロダクションを動かすような、
   リスクを負うようなことはしないつもりです。



残間突然、天中殺と言われて、ちょっと動転していますが、
   我々は新年は様子見した方が………、
   ということなんですかね。
   吉永さんは2009年はどんな年でしたか。



吉永私はね、これまで60年、
   ほぼずっと自由業で来たんですけど、
   この頃、ふと雇われ人の経験をしてみたら
   どうだろうって考えたりして。
   人には「もう定年の歳なんだから無理です」とか
   言われるんですけどね(笑)。
   
   女性が継続的に組織内で生きることがむずかしかった
   時代的な背景や個人の事情で、結果的に一匹狼やってきたけど、
   もしかしたら枠を感じつつその中で最大限に何かを動かすっての、
   けっこう向いてるかなって気もしててね。
   青天井からいろいろ見てきた今だからこそ、
   若い時の勤め人とは違う何かができそうな気もするし……



奥田うんうん。(深く頷く)



吉永どうも私は自由に無からなにかを生み出すというより、
   人間関係のしがらみや様々な制約がある中で、
   何とか算段したり、抜け道を探したり、
   状況を反転させたりするのが向いてるみたいな気がするんです。
   っていうか、この年になってやっと自分の本当の姿が
   自分で把握できかかっているというか……
   だとすると、それって個人の領域というより
   組織の方が生きるんじゃないかって。
   そんなことも考えるんですよ、還暦にあたっては。



残間ふーん、なるほどねえ………。



吉永だいたい、私は生れた時から、
   自分から望んで何かをやったということが
   ほとんどないんですよ。



奥田本当は何がやりたかったんですか。



吉永何かがやりたいというより、
   いつも生活や親子関係なんかのギリギリの状況の中で、
   何かをやらざるを得ないということの連続だったんですね。
   だから危機からスルリと身をかわすのは得意なんです。
   我ながらよく今まで生き延びてこられたなあと思いますよ。
   でも、それは仕事とは別の話でね。
   
   実は私は書くことが子供の頃から嫌いで、
   作文の時間は逃げてたくらいだったのに、競馬の世界で
   生きて行くには競馬記者になって書くしか道がなかった。
   仕方ないから書くことも厭わず!って書いていたら、
   競馬との関わりが競馬関係者との結婚で変質して、
   気がついたら書くことが残っていた。
   
   田舎に住んで家族抱えて、これが最後の仕事と思いつつ、
   これも気がついたらここまで繋がっていた。
   そういう感じの60年でしてねえ。
   でも、これからも、このまま行っていいのかなあと、
   ちょっと考えてます。







残間私たちもそうだけど、
   吉永さんは特に激動の人生だったからね。



吉永でもまあ、生活もあるし、
   全力でひとつの豆をつかむと次の豆が納豆のようについてきて、
   それもまた全力でつかむ。
   したたかなような、流され続けてきたような……
   様々なことから解放される年になって、
   さて自分でどんな豆が食べたいのかって
   初めて考えているのかもしれないな。
   だからさっき天中殺って聞いたし、それにかこつけて、
   ちょっと沈静化させて「私って何?」ということを
   じっくり考えてみるのもいいかもしれない。



(つづく)