icon_zamma.jpg2月5日(日)22時51分
第1277回

今日の母は、
1ヶ月半ぶりに美容院へ行って、
ご機嫌だった。

美容院へ送って行ったのは、
息子だった。
「13時過ぎに迎えに来るので、
それまで支度してをして待っていてね」と、
言い置いて、
買い物に出かけたのだが、
帰宅が13時半になりそうだったので、
13時15分に出先きから、
母の部屋に電話を入れたところ、
コールサインだけが鳴り響き、
母は電話に出ないのだった。

どこに行ったのだろう。
もしかしたら一人で行ってしまったか......。
(実際、金曜日には一人で行こうとしたので)
美容院へ電話を入れたら、
「お孫さんが送って来ましたよ」とのこと。

急いで家に帰ってきた私と、
入れ違いに戻ってきた息子によれば、
「1時を過ぎたら、バアバが『行かなきゃ』と、
僕に電話をしてきて、
僕が乙女美容院へ電話をしてみたら、
「午後とだけ伺っていたので、
いついらしても構いませんよ」と、
言ってくれたので、
『すぐ里江子さんが帰るから、
もう少し待っていようと』と、言っても、
バアバは『1時に行かなきゃ駄目なのよ』と、言い張って、
一人で行こうとしたので、
僕が送って行ったんだけど、
バアバは最近いったん思い込むと、
引き返せなくなるんだね......」
と、哀しそうに言うので、
「何で15分が待てないのかしら!」と、
口元まで出かかった、
私の愚痴は言えなかった。

それでも、
息子はすぐに気を取り直して、
「今日は友達の家で節分の延長で、
『豆料理を食べよう』という会を開くんだけど、
僕が料理担当なので、
これからチリコンカンを作らなきゃならないんだ」と、
玉葱のみじん切りを開始した。

かくして、
台所は玉葱とニンニクと牛挽肉の匂いが充満し、
流し台にはレッドキドニービーンズ缶やら、
ホールトマト缶などが散乱し、
私の仕事がまた増えた。
(出来たての熱々だったからか、
なかなか美味だった)

その後、
夕食前に母が、
一時行方不明になるという「事件」が起きた。

「日没後は外には出ないでね」と、
言ってあるのに、
どこかに出てしまったらしい。
ポストか花屋かスーパーか。
急いで外に出て、
付近を探したところ、
近所のスーパーで買い物をしている母を発見した。
夕食は私と二人で、
家ですき焼きを食べることを、
忘れてしまったらしく、
夕食用のお総菜を買っていた。

「行くと言ったら、何が何でも今行く!」
「買い物に行きたいと思ったら、
後先考えずに出て行ってしまう」
母はどんどん自分の思い(欲望)に、
素直に従って行っているみたいだ。

あまりに慌てていたので、
コートを着るのを忘れて飛び出したせいで、
どうやら風邪を引いたらしい。

明日は午前2時半起床の日。
過日メリー喜多川さんにいただいた、
超濃厚ヨーグルト酒を飲んで、
早めに寝むとしよう。

icon_zamma.jpg2月4日(土)37時42分
第1276回

☆母の3食と、
家事・雑事で時間割はグチャグチャ、
まだ時間配分が上手く出来ず、
ブログのUPも遅くなっています。
ご容赦ください。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

作り置きの蕗の煮物(母の朝粥の友)も、
残り少なくなってきたので、
作ることにしたのだが、
柔らかくするためには、
茹でるだけで約4時間、
そのあと調味料を入れて(市販のものだと、
お砂糖が入っているのを嫌がるので、
鰹、昆布のダシの他には日本酒とお醤油だけ)
1時間ほど煮込むので、
頭の中に「蕗、煮ている」と、叩き込んで、
(途中パソコンを打たなければならなかったので、
パソコン台にも「蕗、煮ている!」と、
書いた紙を貼っておいた)
常に蕗の存在を忘れないようにしながら、
他の作業をしないと、
うっかり焦げつかせでもしたら、
数時間が水の泡なのである。

無くなる時は、
全てが無くなるようで、
白菜の漬け物と糠味噌漬けも、
あと少しでなくなりそうだ。
糠味噌の中に、
キュウリ2本と大根を4片を足しながら、
ニシダさんのサポートがないと、
こんなにも大変なのかと、
またまたニシダさんの存在の大きさを思い知った。

白菜に唐辛子と柚子を入れている時に、
ナカヤマが、
書類を取りに我が家に来た。
「漬け物女」と化した私の姿を見て、
呆れたと言わんばかりに、
こう言った。

「残間さんのこの姿は、
誰も想像出来ないでしょうねぇ。
ただでさえ忙しいのに、
わざわざ漬け物を漬けたり、
蕗を煮たりして......。
こういう姿を見ると、
あゝ、残間さんはやっぱり、
東北の人なんだと思いますよ。
東北の人は、
漬け物とか煮物が好きですものね。
講演の90分前に、
糠味噌の中に手を入れている、
ワーキングウーマンとかってフレーズ、
何かのキャッチコピーにありましたよね」

(あれは十年ほど前、
新宿区の高層住宅企画の時に、
企画委員会を作って議論をしていたら、
ある女性委員が、
「ここに住むと、
糠味噌をかき回した1時間後には、
新国立劇場で、
オペラを愉しんでいられますよね。
作りようによっては、
まさに現代のワークングウーマンに相応しい、
居住環境ですよね」と、言ったことがあったのを、
ナカヤマは思い出したのだろう)

ともあれ、
糠味噌の手を洗い、
慌てて支度をして、
講演会場(すみだリバーサイドホール)に向かった。

今日は、
久しぶりの東京での講演会とあって、
willbeメンバーの何人かが、
来てくださると聞いていたので、
ちょっと緊張していた。
(落ち着かない感じ)

私は講演会場に知り合いがいると、
恥ずかしくて、
話に勢いがなくなるきらいがあるのだ。

地方での講演は一人で行くことにしているのだが、
(交通費が余分にかかったりして主催者に悪いのと、
一人で飛行機や新幹線に乗るのが好きなので)
今日はパンフレット配付係の、
ナカヤマが会場にいるのも、
落ち着かない理由「その2」なのだった。

会社のスタッフには、
都内の講演会というので会場に来たとしても
(私がイヤがるので、我が社のスタッフは、
ほとんど私の講演を聞いていないのである)
出来るだけ私の視野に入らないところを選んで、
座るようにと「厳命」してあるので、
ナカヤマも隅っこに、
うずくまっていることが多いのだが、
これが、結構見えるのである。

ナカヤマは今日は、
「ステージの裏で聴いています」と、言うので、
ホッとしたのだが、
willbeメンバーのみなさんのお顔は、
バラバラに座っていたのに、
ほゞ全員、
しっかり把握することが出来た。

一瞬「あゝ、どうしよう!」と、思ったのだが、
......アラ不思議!
照れ臭いことは照れ臭いけれど、
友人や知人、
ましてやスタッフとは違う感覚なのでる、

友人・知人は、
昔からの私を知っているので、
カッコをつけるわけにもいかず、
ともすれば自虐的な話になってしまいがちだし、
スタッフは身内中の身内ではあるのだが、
基本的には雇用関係にあるので、
「上司としてみっともないことをしてはいけない!」という、
立場上の見栄がはたらいて、
ついつい肩ひじを張ってしまいがちなのである。

ところが、
willbeメンバーのみなさんは、
近しい感覚はあるのだが、
人と人の距離感を、
わきまえた大人たちばかりなので、
それとなく励ましの視線を送ってくれたり、
さりげなく同意の表情を浮かべてくれたりと、
話している私を、
いい気持ちにさせてくれるのだった。
(だからと言って、病みつきになっても困るが......)


帰途、吾妻橋の近くで、
内閣府の助成金をもらって、
市街地活性化のための、
「空き店舗対策プロジエクト」で、
「発明ショップ」を展開している、
willbeメンバーの方のところにお邪魔して、
お話を伺った。
(他のwillbeメンバーはこのあと、
近くで懇親会をやると聞いていたのだが、
母の夕食作りがあったので、
中座も失礼だと思い、伺うのを断念したのだった)

発明ショップは、
文字通りアイディア商品を並べてあるのだが、
責任者の男性(willbe メンバー)からは、
講演会の何日も前から、
何度も「一目だけでもいいから見てください」と、
ご要請があったので、
ほんの僅かな時間だが、
立ち寄らせていただいたのだった。

ショップの裏の小部屋では、
近くのアラ還、アラ古稀とおぼしき男性たち、
5,6人が集会を開いていて、
何やら熱心に討議していた。

ショップに別れを告げて、
吾妻橋角にある佃煮屋さんで、
母にシジミの佃煮を買って、
帰宅した。

明日は、
年末に転倒して以来、
すっかりご無沙汰の美容院に、
白髪を気にしている母を連れて行く予定だ。

icon_zamma.jpg2月3日(金)29時41分
第1275回


★(黒星!)穴があったら入りたい!
昨日のコメント欄を拝読して、
みなさん3人ものお子さんを、
立派にお育てになっているというのに、
たった1人育てたぐらいで、
ホント、お恥ずかしい限りです。

でも、
みなさんのお言葉が、
「全国のyさん」を、
励ましたのではないかと思います。

willbeメンバーには、
自分の意見はしっかり持っているのに、
それでもお説教がましくもないし、
押しつけもしない人が多い気がします。
それどころか、
絶えず相手の立場にたって、
相手の「奮起」を促し、
励ましてくれる人ばかり、

私も本当にいろんなことを考えさせられ、
教えていただいています。
またもや、
感謝・感激・雨、アラレです♡

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

今日は、
以前この欄でご紹介させていただいた、
「仙台フィル絆コンサート」が、
サントリーホールで開催された。

コンサートに先駆けて、
17時からは、
接隣するANAコンチネンタルホテル東京で、
「2012 仙台の夕べ〜感謝......そして復興へ〜」
が、開かれ、
私も奥山恵美子市長の、
復興経過についてのプレゼンテーションのあと、
拙きスピーチをさせていただいた。


仙台市と、
仙台商工会議所の主催で行われた会は、
「復興支援に対する感謝」が、
主旨だったのだが、
会場には、
さまざまな領域から、
更なる復興を願い、
「仙台を励まそう!」との、
思いを持った方々が大勢いらしていて、
いつもはなかなかお会い出来ない人たちと、
近しくお話することが出来た。
これもまた、
被災し、
犠牲になられた方々が、
引き合わせてくれた「ご縁」だと思い、
重く受け止めた。

中に、
仙台伊達家18代当主・伊達泰宗氏が、
いらしていたのだが、
風貌からして、
いかにも「お殿様」という感じがした。
私が「我が残間家も(......というほどの家ではないのだが、
一応「身分」を考えて)
家来だったという文献があるそうです」と、
申し上げると、
優雅な風情で頷かれたのであった。

広いボールルームの中を、
埋め尽くしていたのは、
仙台名物・塩仕込み牛タンをはじめとして、
鮪や平目、ホッキ貝などのお寿司やお寿司、
巻海老や鱚、穴子などの天麩羅、
仙台芋煮、青葉餃子にずんだ餅など、
我が故郷の美味しい食材で、
来場者を喜ばせていた。

東京にいるとあまり感じないが、
地元産の食材のいくつかは、
未だ「風評被害」に苦しんでいるのだという。
かくなる上は、
故郷を離れている私たちこそが、
率先かつ積極的に、
「食さなければなるまい」と、思いながら、
お隣のサントリーホールに移動した。

カラヤン広場中央には、
willbeメンバー各位にチケットをお渡しすべく、
ナカヤマが「一人プレイガイド」を開設、
本日の参加者11名をお待ちしていた。

(奥山市長にも「仙台の夕べ」の時に、
「今日はこのあと、私の仲間たち13人で、
仙台フィルの『絆コンサート』に行くのですよ」
と、報告したら、大層喜ばれていました)

......そして、
このコンサートが、
実に、実に、
素晴らしいコンサートだったのである。
(多分行かれた方が書いてくださると思うので、
私は多くは書かないが......)
休憩後の第2部、
サン=サーンスの、
交響曲第3番、
 ハ短調作品78「オルガン付き」のラストで、
ティンパニの音が、
ホールに響き渡るのを聴いた瞬間、
震災で命を落とされた方々の声を、
聞いたような気がして、
(恨みや辛みではなく、
私たちを逆に励ましてくれている気がして)
涙が溢れた。

いつまでも鳴り止まない拍手の中、
常任指揮者のパスカル・ヴェロさんは、
(この人の指揮をする姿の美しいことと言ったら、
「さすが、フランス人」と言いたくなるほど、
sexyでcoolでsmartだった)
何度も何度も頭を下げ、
その姿に、
また涙が流れたのだった。

これほどまでに、
観客とオーケストラが、
一体となったあたたかなコンサートは、
初めてのような気がした。

余韻冷めやらぬまま、
家に帰り、
朝から気になっていた豆まきをした。
息子は帰宅していなかったので、
「独り豆まき」だったが、
「福はうち〜」と、言っているうちに、
胸の中の澱のようなものが、
溶けていくのを感じた。

明日は立春、暦が変わる。
さぁ、いい年にしなくちゃ!

icon_zamma.jpg2月2日(木)32時21分
第1274回


♥昨日のコメント欄のyさん、
お気持ち、
よく解ります。

でも、
子供はいつかは大きくなって、
いつかは「育児担当者」は不要になります。
(やがては親でさえも、要らなくなるのですよ)
それまでは、
時間もパワーもお金もかかりますが、
それがその子の「素地」を創るのだと思えば、
少しは頑張れるような気がします。
(少なくとも、私はそう思っていました)

「金銭的見返り」は無しですが、
この先のこの国を、
あるいはこの地球を、
創ってくれる(時には救ってくれる)
担い手に対する「投資」だと思って、
大人は踏ん張るしかないかもしれませんね。
yさんも、過度に犠牲的精神を、
持つことはないと思いますが、
手伝ってあげられる範囲で、
「投資活動」に参加してみてはどうでしょう。

こんなところで、
書くことではないかもしれませんが、
.........私は、
自分で選んで、
シングルマザーになったので、
先ずは「一人で育てる」ことを、
確立しなければなりませんでした。

生後3ヶ月目から、
保育園のお世話になりましたが、
37度の発熱があると、
「返還」されてきますし、
(よく高熱を出す子で、体温計が振り切れることも、
しばしばでした。1週間に2,3度、
深夜の救急病院へ運んだ時期もありました)
シーツに名前をつけてくださいとか、
(アップリケとか刺繍をしたりする人もいるのですよね)
布おむつにしてくださいとか、
ワーキングマザーを支援してくれる、
施設(のはず)なのですが、
結構それなりに手はかかりました。

また、
当時通っていた保育園は、
17時には迎えに行かなければならなかったのですが、
仕事を本格的に再開するにしたがって、
どうしても迎えに行けない日も出てくるようになり、
ナカヤマに頼んだりもしましたが、
これではいけないと思い、
お迎えの人を頼むことにしたのです。

お迎えの人が夕食の準備をしてくれた頃に、
帰る約束だったのですが、
時に突発的なことが起きて、
18時や19時には、
帰れないことも増えてきたのです。

私の場合、
クライアントとの会食も。
打ち合わせを兼ねていることが多いので、
大事な仕事なのですが、
出産が表面化してからも、
(出産は「私的」なことだと思っていたので、
ごく一部の人を除いては極秘で生んだので、
生まれて3ヶ月目までは、
ほとんどの人が知らなかったのです)
「子供がいるので......」と言って、
会食や打ち合わせを、
断わるわけにはいかなかったのです。

躊躇いながらも、
お迎えの人と、
バトンタッチをしてもらうということで、
夜の時間をベビーシッターさんに、
お願いすることにしました。

この時の「躊躇い」は、
「母親神話」が大きく影響しています。
「母親なのだから自分が生んだ子は、
自分の手でみなければならないのではないか」
というものです。
さらに、当時は「3歳までは母の手で」という、
「3歳神話」も生きていたので、
ハードボイルドウーマンを目指していた私ですら、
随分悩みました。

その頃、講演をすると、
年に一人か二人、
「そんなに子供をほったらかしにしていたら、
息子さんは間違いなく不良になります!」と、
自信をもって断言する、
良妻賢母の雛型みたいな方から言われたものです。

それでも冷静に考えてみれば、
しっかり仕事をしないと、
母子共倒れになってしまいますので、
覚悟を決めて、
シッターさんにお願いすることにしたのです。

最初は18時から20時まででした。
でも、ほとんど毎日、
鼻の頭に汗をかきながら、
走って帰っても、
20時半近くになってしまうのです。
(なまじ「19時半ぐらいまでは大丈夫」と思うので、
18時からの打ち合わせを入れると、
相手が遅れてきたり議論が白熱して、
20時になっても終わらなかったりで......)

3ヶ月後、
21時までにしました。
でも、これでも遅れることがあるのです。
この頃は、時間的余裕がなくて、
いつもイライラしていたような気がします。
「これでは息子も駄目になる!」と、思い、
さらに3ヶ月後、
躊躇いをふり捨てて、
22時までにしたのです。

こうしたら、
22時前に帰れる日もあるので、
気持ちがラクになって、
仕事にも育児にも負担感がなくなりました。

お金も大変でした。
毎年税金の申告に行く時に、
1年分のシッターさんの領収書を持って、税務署に行き、
若くて「将来」がありそうな、
そして子育て中くらいの年齢の男性署員を探して、
領収書の束を見せました。

「お気の毒ですが、
これは控除の対象にはなりません」と、
言われたので、
「ええもちろん知っています。
でも、職場に子供を背負ってはいけない人って、
沢山いると思うんですよね。
いつの日か全額でなくともいいので、
シッターさんのお金を控除の対象にしてくれたら、
助かる人が多いと思うので、
領収書を持ってきたのです」と、
ニッコリ笑いながら言ったものです。

海外出張などがあると、
22時から朝6時までは超過料金がかかるので、
1週間だと50万円ぐらいはかかりました。

子供を一人生んだぐらいで、
「仕事が駄目になった」などと言われたくないという、
「意地」もあって(40代になっていたので、
仕事にも以前より「責任」が生じてもいたのです)
それまでの人生で一番よく働きました。

数年間だけでしたが、
1年間に1千万円近くかかったこともあり、
家賃とシッターさん代で、
収入の大半は消えてしまいました。

男性たちの会合で、
このことを言うと、
一様に「ひぇ〜」と驚くので、
「みなさんは生んでくれた、
当の母親(つまり奥さん)に託していられるのですから、
安心して働けることでしょうし、
外でゆっくりお酒も飲めますが、
奥さんがやってくれていることを、
お金に換算したら、
こんな高額になるんですよ。
感謝するだけでなく、
助けてあげないとバチがあたりますよ」と、
若き税務署員にしたのと同様、
「啓蒙活動(?)」に勤しんでいました。

最近は「イクメン」も増えてきましたし、
国の少子化対策も、
前よりは本気になっていますが、
yさんのように、
私の時代とさほど変わらない、
厳しい状況を抱えている方もいるのですから、
まだまだ課題は山積していますよね。

でも、
子供の場合は、
「これが永久に続くわけではない」と思えましたから、
毎日「いつかは終わる、いつかは終わる」と、
呪文のように唱えているうちに、
いつしか終わってしまいました。
(小学校入学時に数えてみたら、
のべ130人のシッターさんのお世話になっていました)

そして、今、
babyシッターさんではなく、
ba〜ba(バアバ)シッターさんを、
お願いする日が近づいているような気がします。

ニシダさんは、
母を病院へ連れて行ってくれたり、
美容院につき合ってくれたり、
(介護まではまだいっていませんでしたが)
何かと面倒をみてくれていたので、
ニシダさんの入院を知った母は、
すっかり元気をなくし、
今さらながら、
その存在の大きさを感じているようです。

今夜も、
「ニシダさんのお見舞いに行きたい」という、
母からの手紙が、
ドアの隙間から届いていました。

icon_zamma.jpg2月1日(水)28時51分
第1273回

気がつけば2月。
本来なら昨日から伊東の断食道場で、
心身とものメンテナンスに、

続きを読む

icon_zamma.jpg1月31日(火)29時01分
第1272回

♥清永さん、mikako さん、いっこんまさん、
コメント、ありがとうございました。

続きを読む

icon_zamma.jpg1月30日(月)24時11分&30時18分
第1271回

♥s.kazuさん、
初コメントありがとうございました。
さまざまお気遣いくださった上での、
端的なコメント、
これからも期待しています♥

続きを読む

icon_zamma.jpg1月29日(日)27時21分&33時33分
第1270回

♥昨日のコメント欄を見て、
みなさまのお心遣いに、
感激しています。

続きを読む

icon_zamma.jpg1月28日(土)26時19分&30時14分
第1269回


「willbe新春の会」は、
皆さまの多大なるお力添えのお蔭で、
滞りなく終わることが出来ました。

続きを読む

icon_zamma.jpg1月27日(金)30時55分
第1268回

明日はいよいよ、
「willbe新春の集い」というので、
またもやスタッフは、
今夜も「終電コース」です。

続きを読む

フォトアルバム

1月30日(月)

photo_nikki
こんなに美しい富士山が、爆発の怖れ?



1月29日(日)

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銀座の歩行者天国で。ちょっと可哀そう・・・。



1月28日(土)

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椿山荘「オリオン2」で開催した、クラブ・ウィルビー創立三周年記念「ウィルビー新春の集い」

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初めにご挨拶をしてくださった、寺島実郎さん。

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夜の便でパリへ旅立つという、隈研吾さん。

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乾杯のご発声は、安藤優子さんと萬田久子さんのお二人に。

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浮き球△ベースボールの創設者でもある、椎名誠さん。

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メンバーと談笑する藤田宜永さん。



1月25日(水)

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今年で41回目の開催となった「フジサンケイグループ広告大賞」の審査会。

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審査委員の漫画家・弘兼憲史さんとクリエイティブディレクター・箭内道彦さん。



1月24日(火)

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本日発売されるファミリーマートの「おとなのおやつ」。“おとなコンビニ研究所”の商品割引券でお買い求め頂けます。

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初夏に新刊を出版される浅野史郎さん。この日は2時間立ったままで講演された。



1月19日(木)

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「第四回ウィルビーおとな塾」の講師、秋岡榮子さん。



1月16日(月)

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こんな葉書が届きます。表面。

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裏面。



1月15日(日)

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グラウンドに到着すると、丁度ナカヤマが打席に。

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真剣に練習に打ち込む「南青山ぼちぼち団」のメンバー。

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フジタさんが沖縄の伊江島で拾ってきた浮き球を手に持つアライさん。

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練習後、メンバー全員でグラウンド整備。

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自主練に参加したメンバーの皆さんと記念写真。



1月14日(土)

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東京・青山の片隅で、寒さに負けずに咲いていた水仙の花。

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毎年この季節お馴染の、石焼いものおじさん。



1月9日(月)

photo_nikki
「ご心配をおかけして申し訳ありません。左側を打ったのですが、大分よくなりました。今年は年女なので頑張ります!」(母より)



1月5日(木)

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石原プロモーションの「新春仕事始め寿ぎの儀」。

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新年の挨拶をするまき子夫人。



1月3日(火)

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赤坂見附の交差点には、白梅が咲いていた。



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書籍情報

人と会うと明日が変わる

人と会うと明日が変わる  残間里江子

【著者】
残間里江子
【出版社】
イースト・プレス
【価格】
1,470円

引退モードの再生学

引退モードの再生学 残間里江子

【著者】
残間里江子
【出版社】
新潮社
【価格】
500円

モグラ女の逆襲
~知られざる団塊女の本音~

モグラ女の逆襲 ~団塊女の知られざる本音~ 残間里江子

【著者】
残間里江子
【出版社】
日本経済新聞出版社
【価格】
1,575円

それでいいのか 蕎麦打ち男

それでいいのか 蕎麦打ち男 残間里江子

【著者】
残間里江子
【出版社】
新潮社
【価格】
1,470円

プロフィール

残間 里江子【プロデューサー】

1950年仙台市生まれ。アナウンサー、編集者などを経て、企画制作会社を設立。 プロデューサーとして出版、映像、文化イベントなどを多数手がける。著書多数。