2月2日(木)32時21分
第1274回
♥昨日のコメント欄のyさん、
お気持ち、
よく解ります。
でも、
子供はいつかは大きくなって、
いつかは「育児担当者」は不要になります。
(やがては親でさえも、要らなくなるのですよ)
それまでは、
時間もパワーもお金もかかりますが、
それがその子の「素地」を創るのだと思えば、
少しは頑張れるような気がします。
(少なくとも、私はそう思っていました)
「金銭的見返り」は無しですが、
この先のこの国を、
あるいはこの地球を、
創ってくれる(時には救ってくれる)
担い手に対する「投資」だと思って、
大人は踏ん張るしかないかもしれませんね。
yさんも、過度に犠牲的精神を、
持つことはないと思いますが、
手伝ってあげられる範囲で、
「投資活動」に参加してみてはどうでしょう。
こんなところで、
書くことではないかもしれませんが、
.........私は、
自分で選んで、
シングルマザーになったので、
先ずは「一人で育てる」ことを、
確立しなければなりませんでした。
生後3ヶ月目から、
保育園のお世話になりましたが、
37度の発熱があると、
「返還」されてきますし、
(よく高熱を出す子で、体温計が振り切れることも、
しばしばでした。1週間に2,3度、
深夜の救急病院へ運んだ時期もありました)
シーツに名前をつけてくださいとか、
(アップリケとか刺繍をしたりする人もいるのですよね)
布おむつにしてくださいとか、
ワーキングマザーを支援してくれる、
施設(のはず)なのですが、
結構それなりに手はかかりました。
また、
当時通っていた保育園は、
17時には迎えに行かなければならなかったのですが、
仕事を本格的に再開するにしたがって、
どうしても迎えに行けない日も出てくるようになり、
ナカヤマに頼んだりもしましたが、
これではいけないと思い、
お迎えの人を頼むことにしたのです。
お迎えの人が夕食の準備をしてくれた頃に、
帰る約束だったのですが、
時に突発的なことが起きて、
18時や19時には、
帰れないことも増えてきたのです。
私の場合、
クライアントとの会食も。
打ち合わせを兼ねていることが多いので、
大事な仕事なのですが、
出産が表面化してからも、
(出産は「私的」なことだと思っていたので、
ごく一部の人を除いては極秘で生んだので、
生まれて3ヶ月目までは、
ほとんどの人が知らなかったのです)
「子供がいるので......」と言って、
会食や打ち合わせを、
断わるわけにはいかなかったのです。
躊躇いながらも、
お迎えの人と、
バトンタッチをしてもらうということで、
夜の時間をベビーシッターさんに、
お願いすることにしました。
この時の「躊躇い」は、
「母親神話」が大きく影響しています。
「母親なのだから自分が生んだ子は、
自分の手でみなければならないのではないか」
というものです。
さらに、当時は「3歳までは母の手で」という、
「3歳神話」も生きていたので、
ハードボイルドウーマンを目指していた私ですら、
随分悩みました。
その頃、講演をすると、
年に一人か二人、
「そんなに子供をほったらかしにしていたら、
息子さんは間違いなく不良になります!」と、
自信をもって断言する、
良妻賢母の雛型みたいな方から言われたものです。
それでも冷静に考えてみれば、
しっかり仕事をしないと、
母子共倒れになってしまいますので、
覚悟を決めて、
シッターさんにお願いすることにしたのです。
最初は18時から20時まででした。
でも、ほとんど毎日、
鼻の頭に汗をかきながら、
走って帰っても、
20時半近くになってしまうのです。
(なまじ「19時半ぐらいまでは大丈夫」と思うので、
18時からの打ち合わせを入れると、
相手が遅れてきたり議論が白熱して、
20時になっても終わらなかったりで......)
3ヶ月後、
21時までにしました。
でも、これでも遅れることがあるのです。
この頃は、時間的余裕がなくて、
いつもイライラしていたような気がします。
「これでは息子も駄目になる!」と、思い、
さらに3ヶ月後、
躊躇いをふり捨てて、
22時までにしたのです。
こうしたら、
22時前に帰れる日もあるので、
気持ちがラクになって、
仕事にも育児にも負担感がなくなりました。
お金も大変でした。
毎年税金の申告に行く時に、
1年分のシッターさんの領収書を持って、税務署に行き、
若くて「将来」がありそうな、
そして子育て中くらいの年齢の男性署員を探して、
領収書の束を見せました。
「お気の毒ですが、
これは控除の対象にはなりません」と、
言われたので、
「ええもちろん知っています。
でも、職場に子供を背負ってはいけない人って、
沢山いると思うんですよね。
いつの日か全額でなくともいいので、
シッターさんのお金を控除の対象にしてくれたら、
助かる人が多いと思うので、
領収書を持ってきたのです」と、
ニッコリ笑いながら言ったものです。
海外出張などがあると、
22時から朝6時までは超過料金がかかるので、
1週間だと50万円ぐらいはかかりました。
子供を一人生んだぐらいで、
「仕事が駄目になった」などと言われたくないという、
「意地」もあって(40代になっていたので、
仕事にも以前より「責任」が生じてもいたのです)
それまでの人生で一番よく働きました。
数年間だけでしたが、
1年間に1千万円近くかかったこともあり、
家賃とシッターさん代で、
収入の大半は消えてしまいました。
男性たちの会合で、
このことを言うと、
一様に「ひぇ〜」と驚くので、
「みなさんは生んでくれた、
当の母親(つまり奥さん)に託していられるのですから、
安心して働けることでしょうし、
外でゆっくりお酒も飲めますが、
奥さんがやってくれていることを、
お金に換算したら、
こんな高額になるんですよ。
感謝するだけでなく、
助けてあげないとバチがあたりますよ」と、
若き税務署員にしたのと同様、
「啓蒙活動(?)」に勤しんでいました。
最近は「イクメン」も増えてきましたし、
国の少子化対策も、
前よりは本気になっていますが、
yさんのように、
私の時代とさほど変わらない、
厳しい状況を抱えている方もいるのですから、
まだまだ課題は山積していますよね。
でも、
子供の場合は、
「これが永久に続くわけではない」と思えましたから、
毎日「いつかは終わる、いつかは終わる」と、
呪文のように唱えているうちに、
いつしか終わってしまいました。
(小学校入学時に数えてみたら、
のべ130人のシッターさんのお世話になっていました)
そして、今、
babyシッターさんではなく、
ba〜ba(バアバ)シッターさんを、
お願いする日が近づいているような気がします。
ニシダさんは、
母を病院へ連れて行ってくれたり、
美容院につき合ってくれたり、
(介護まではまだいっていませんでしたが)
何かと面倒をみてくれていたので、
ニシダさんの入院を知った母は、
すっかり元気をなくし、
今さらながら、
その存在の大きさを感じているようです。
今夜も、
「ニシダさんのお見舞いに行きたい」という、
母からの手紙が、
ドアの隙間から届いていました。