8月26日(木)24時46分
今日は本来なら、
「新現役ネット」の、
定例フォーラムに行くはずだったのだが、
「皇室の20世紀」企画で、
急なインタビューが入り、
行けなかった。
「皇室企画」は隔週刊で全40巻なので、
制作は来年までかかるのだが、
ここに来てようやくリズムが出来てきて、
原稿の締め切りは、
ほヾ金曜日ということになってきた。
ただインタビューだけは、
先方の都合があるので、
「急に」ということが多いのである。
今日は「歌会始」に関するインタビューで、
和歌を詠み上げる際の「発声」「講頌」を、
長年お勤めになっていらっしゃる坊城俊周さんと、
披講(歌を詠み上げること)の仕切りをする、
(歌会始全体の進行は式部官長の仕事なのだが)
「読師」(どくじ)の経験者でいらっしゃる、
松平宗紀さんにインタビューをした。
坊城家は名家の家格を有する公家で、
藤原北家観修寺流。
1884年に伯爵を授けられたという家柄。
「読師」を務めた経験を持つ松平氏は、
越前松平家20代当主で、
古今和歌集、後撰和歌集、拾遺和歌集、
後拾遺和歌集、金葉和歌集、詞花和歌集、
千載和歌集、新古今和歌集までの八代集を、
諳んじているのだとか。
(八代集を暗誦していないと「読師」にはなれない)
何分にもこのあたりの話とは、
無縁に生きてきた身なので、
どんな展開になるのか想像もつかなかったのだが、
編集者によれば、
坊城氏はかなり厳格な方で、
事前打ち合わせの際には、
とても緊張したのだという。
インタビューの場所は霞会館。
ロビーには鹿鳴館の模型が飾られてあった。
坊城氏は、
私に会うなり、
「一昨日の『おはよう一直線』聴いたよ。
......うん、やっぱり元アナウンサーだね。
声の出し方が違うものね」と、
おっしゃったのだった。
同行の編集者もだが、私もびっくりして、
「いえ、はるか昔のことですし、
もう声を出す訓練もしていませんから、
ひどい喋りになっています」と、
申し上げたのだが、
歌会始の発声・講頌の中でも、
「美声中の美声」と言われていた坊城氏だけに、
人の声には敏感なのだろう。
私の話し方はひどいものなのだが、
ここから場は一気に和らいだ。
ただ私は、
坊城さんがかつて、
フジテレビの編成局長をしていらした時代を、
ちょっと知っていたので、
厳格ではいらしても、
恐い人ではないと思っていたのである。
坊城さんは現在「宮中歌会始披講会会長」を、
務めていらっしゃるので、
歌会始の歴史はもとより、
和歌の世界に精通しているのだが、
思った通り、
雅びな話をジャ−ナリスティツクに色付けして下さるので、
私のようにその道について何も知らない人間にも、
解りやすい表現で話をして下さるのだった。
松平さんは、
吉宗より8代目という徳川家の方なのだが、
実に軽妙洒脱で、
時に「べらんめい調」のような話し方をしたかと思うと、
突然「坊城さま」とか、
「あなたはそうでいらしたでしょう?」などという、
品のいい話しぶりをなさるなど、
変化に富んだ楽しいひとときにして下さった。
このあと、間に合うどうかギリギリだったのだが、
マンダリンオリエンタルで開催されていた、
「海の玉三郎」という催しに顔を出した。
これは日本ロレックスと坂東玉三郎さんのコラボレーションで、
「海」をテーマにしているのだが、
ボールルームに設えられた、
360度のスクリーンいっぱいにダイビングをする、
玉三郎さんの姿は、
海と同化したかのような流麗な美しさで、
目を見張る映像だった。
私は、玉三郎さんがこれほどまでに、
ダイビングの達人だとは知らなかったので、
ただただ驚いていたのだが、
お兄さんが湘南でダイバー関係の仕事をしていて、
小さい時から海とは親しんできたのだという。
ただ、兄弟の中で、
玉三郎さんは「潜る」ことは禁じられ、
「泳ぎ」だけに留まっていたらしいのだが、
ここ何年かは甥御さんの指導を受けて、
本格的にダイビングをすることになったのだという。
今日見せて貰った映像は、ロタ島で撮影されたもので、
ボンベなどの道具をつけて潜るのではなく、
シュノーケルをつけただけの素潜りなので、
「潜り」というよりは、
海の中を舞っているとしか思えないのだが、
とりわけ地上の光を求めて浮上する映像は、
天女が光の帯に巻かれながら、
厳かに昇天するような感覚を覚えた。
日本ロレックスの社長のブルース・R・ベイリーさんは、
栗原はるみさんを通して仲良しになった人なのだが、
今日はいつもの気さくな親日家イメージに加えて、
博識の側面を見せつつ、
とても奥行きのある司会進行ぶりだった。
「この企画は玉三郎さんの、
ダイビングの映像を見せていただいて、
その上でやりましょうということになったのでもなく、
玉三郎さんもロレックスで何かをやりたいというので、
私に会ってくれたわけでもなく、
二人で食事をしたり、旅をしたり、話をしたり......、
10回以上会ったでしょうか......そうしていつの間にか、
このような企画に収斂していったのです」と、
ベイリーさんが流暢な日本語で説明していたが、
二人のトークから、
玉三郎さんがベイリーさんに全幅の信頼を寄せて、
この企画が練り上げられて行った様子を、
窺い知ることが出来た。
映像のあとは、
「海」を主題にした詩を玉三郎さんが朗読したのだが、
玉三郎さんは30年以上前に詩集も上梓しているそうで、
自作の詩2編は、
人と自然の未来を的確に言い当てていて、
やわらかな声音で読んでいるのに、
力強いメッセージを含んでいた。
ベイリーさんに御紹介していただいた玉三郎さんは、
そばで見ると肌はいっそう美しく、
頬から顎の線が繊細優美で、
今年還暦を迎えたとは思えない若さだった。
確か小さい時に小児麻痺を患い、
(私たちの世代にはこの病気が多かった)
リハビリに苦労したという話を何かで読んだことがあるが、
年齢を超越した造形美の裏側には、
たゆまざる努力があったのだと思う。
同い年とは言え、このあまりの違い。
.........今からでは遅いとは思うが、
鍛練すれば、(すれば.........の話だが)
少しは何とかなるかも知れない、
いや、無駄な抵抗はすまい.........等々、
玉三郎さんの輝くオーラの横で、
心は千々に乱れるのだった。

















































残間さん自身が 鬱でいらっしゃるのだと
思います。 それは、このblogで十分に
カミング アウトされています。
要職、あて職--沢山の役割をお持ちになって
逃げ出したくなることもおありだろうに、又、
しょって--ほつれないうちに、本当の残間さんの
お気持ちで活動できるそんな日を願っています。
私たち世代の女性の役割大きいですもの。
正直に生きたいですね。心のダメージは身体にも
現れます。お大事にしてください。
62才で隠居などという言葉も死語の勤め人。何歳くらいからは不明で、誰がつけたか「老人性鬱病」にかかる年頃。
かすみさんのご意見は残間さんの働き過ぎと思える頑張りを危惧し、心配されての厳しく、やさしい発言と受け取りました。私も皆さんと同じで心配しています。きっと残間さんはご自身の幼児の経験や志半ばで失ったたくさんの友人達を思い、元気なうちは全力で働くのが当然と思っていられるのかなと勝手に思いこんでいます。またどこかに無償性という考えをお持ちなのかなと思ったりします。(残間さん、勝手な短絡的、妄想的思い込みすいません。)
うつ病は軽うつからいろいろあるみたいで困ったものです。私なども昔夏休みが終わって学校が始まるときと同じで、土日や夏休み後の通勤は若干暗いうつです。もっとほっといてほしい、遊びたいと思います。月曜の終わり頃にやっとペースが戻ります。年取ったら寝不足は心まで暗くなります。かすみさんのことばに従い強そうにせずに弱い自分に素直になりたいです。でも格好つける性格治せないですね。お許しを。
素敵な1日で……もし残間様に鬱?の心配がおありだとしても、それも自然体と思います!それもらも含めて、今の残間様が生きてご活躍なさっていられる!!凄い 「一度しかない人生だから……」燃え続けて下さいませ。玉三郎の(道成寺 ……この世のものと思えない!姿)のように残る!残間様が好きで尊敬しております。昨日膝の手術をなさった方お医者様が…○○さんは不死鳥かな〜?と…4年間の間に悪化していたとの事でした。(開けて、びっくり) 労りながら、頑張って下さい。