3月7日(日)25時51分
今しがた、
「直島・犬島アート鑑賞ツアー」から戻ったところだ。
今回の参加者は25名。
アテンド役のwillbe事務局3名を入れて、
(私の他にナカヤマ、ミノヤの2名)総勢28名の旅だった。
旅行窓口は法規上JTBにお願いしたのだが、
規模が規模なので添乗員は付かず、
全行程のオペレーションは、
私たち3人が担当させていただいた。
「どよう楽市」が終わるや、
東京駅に直行して、東海道新幹線で岡山へ。
岡山から小一時間タクシーに乗って、
宇野港まで行き、
そこからフェリーで直島に渡ったのだが、
結構長い道のりだった。
途中何度かナカヤマに電話を入れ、
現地の様子を聞きながら移動をしていたのだが、
直島・犬島のアートプロジェクトを管理・運営している、
ベネッセのみなさんのお蔭で、
旅は順調に進行しているようだった。
直島・宮浦港に着いたのが16時50分。
東京駅から4時間40分の行程だ。
降水確率80パーセントの予報通り、
雨模様ではあったが、
霧雨と小雨中間程度なので、
まぁ「好し」としなければならないだろう。
ベネッセハウスに到着するや、
着替えもそこそこにホールに向かい、
「直島プロジェクト」の全容に関して、
ベネッセサイドから「特別レクチャー」を、
受けることになっていた、
willbeメンバーに合流した。
今回の参加メンバーは25名。
willbe企画に初参加という方が17名もいたので、
「willbeに入ったことを、
後悔させたり落胆させたりしたくない」
という気持ちが強く、
さらには旅先ということもあって、
私は、いつにも増して神経質になったいた。
そのあたりの空気を察して下さった、
星久人特別顧問をはじめとして、
ベネッセハウスの菊田支配人などが、
何度も打ち合わせに参加して下さり、
随所で便宜をはかって下さっての、
企画実現だったのである。
17時半からの笠原事業室長によるレクチヤーは、
既に7、8回直島を訪れている私にとっても、
「へぇ、そうだったのか」という話が多く、
とても参考になった。
私ははっきり聴いたことはなかったのだが、
何となく「直島プロジェクト」は、
ベネッセホールディングスの現会長である、
福武總一朗氏が発案したものだと思っていたのだが、
実際は1986年に急逝された、
總一朗氏の父・福武哲彦氏の思いから発した企画を、
總一郎氏が具体化させたのだと知り、
感慨を新たにした。
と言うのが、
私とベネッセのそもそものご縁は、
福武哲彦氏との出会いからだったのである。
1980年に私が山口百恵自叙伝「蒼い時」を、
プロデュースして間もなくの頃、
一般には「どこの馬の骨か解らない」という、
認識しかなかったような時代に、
ある日突然、
福武哲彦さんから電話が来たのだった。
「あなたのことを、
何となく面白いと思っている者なのだが、
一度ご飯でも食べませんか」
当時ベネッセは福武書店という社名で、
1955年に哲彦氏が生徒手帳の発行から始めた会社が、
「進研ゼミ」の成功や、
文芸誌「海燕」を基軸にした新領域も順調で、
哲彦氏は次なる歩みを探している、
時期でもあったようだった。
一度会食をして以来、
岡山の本社をお訪ねしたり、
氏の知人・友人に御紹介下さったり、
ずいぶんいろんなことを教えていただいたような気がする。
1986年の春、
岡山の会社で社員に向かって、
お話をしている時に倒れて帰らぬ人になったのだった。
その後、息子さんの總一郎さんとも知己を得て、
私の自主企画イベントにご協賛下さったり、
ベネッセの新人研修の講師をしたりと、
付かず離れずの関係が続いているのである。
直島プロジェクトの沿革を、
パワーポイントで見せていただいていた中に、
懐かしい哲彦氏の写真があり、
亡くなる直前まで、
直島のことを考えていらしたと伺って、
これまで以上に直島への思いが深まるのを覚えた。
夕食後、特別にテラスラウンジを開放していただいて、
willbe恒例(?)の交流懇親会があった。
今回の参加者も多彩な顔ぶれが揃っていたのだが、
「現地週集合・現地解散」にしたこともあって、
中国・九州からの参加者も多かった。
先週勝山でお会いした私と同学年の男性も、
神戸から参加して下さっていた。
willbe入会時のエントリーシートに、
「青天の霹靂だったのですが、
人生も遊びもともに楽しんできた妻が1年半ほど前に脳腫瘍になり、
会社を早期退職して看病に当たっています。
ただ残念ながら妻の生命は終わりを告げかかっている状態です。
ほどなく独りになった時のことを考えて、
妻を心配させないためにもwillbeに参加することにしました」と、
書いてあったのだが、
勝山や直島に来ることが出来るということは、
「もしかしたら奥さんは.........」と思ったのだが、
勝山では聞くことが出来なかった。
今回、直島で伺ったら、
「明後日で亡くなって丁度半年目です。
willbeに入会して間もなく亡くなりました。
妻は最後まで泣き言一つ言わず頑張りましたし、
私もずっとそばについていましたから悔いはないんです。
今は大学院を出た娘と二人暮らしですが、
娘も忙しいので僕が家事をしています。
それだけだと内に引きこもってしまいますから、
昔好きだった旅をもう一度復活させようと思って、
旅に出るようにもしています。
先週は勝手に追いかけていっただけですが、
今週willbeの旅に参加して、
新しい世界が拓けたような気がします。
早速5月9日のフォーラムも参加申し込みをしました」
メンバーの皆さんも温かい拍手で励ましてくれていた。
他にも、
母娘旅行が1組、母と息子の旅が2組。夫婦が2組。
あとのみなさんは一人ずつの参加だ。
しみじみ世代を感じさせたのが、
介護を兼ねて出て来たという女性2人。
「いつも親の世話をしてくれている、
実家のきようだいの手伝いをして、
そのあとwillbe の旅に行って、
帰京するいう旅行プランなんです」
一人は実家が広島、もう一人は岡山に、
90歳と85歳の親御さんがいるのだと言う。
男女比は、
willbeのメンバーと同じで、
やや女性が多かった。
「主人は犬島が特に魅力的だったらしく、
『めったに行けないところなんだから絶対に行きたい!』と、
言ったのを、『この旅行企画は女の人だけだから駄目っ!』って、
言って申し込みをさせなかったんですが、
こんなに男性がいるのを知ったら、怒られますねぇ。
私、楽しい企画は、女だけに決まっている、
と思い込んでいたものですから.........」と、
言ってくれた女性もいたが、
直島ももちろん素晴らしかったが、
犬島は私も大変感激した。
犬島は、
精錬所が稼働していた1900年代初頭には、
人口が膨らみ一時は1000人にもなったということだが、
近年とみに過疎化が進み、
100戸の集落に今や50人しか住民はおらず、
空き家が増え続けているのを、
ベネッセが新たなアート空間にすべく、
建築家の妹島和世さんに依頼して、
ユニークな創造空間に変換しているのである。
その妹島さんが、
今回の旅の「サプライズゲスト」として、
来てくれることになっていたのだが、
急遽NYでの設計コンペに際してのインタビューが入り、
(これに参加しないと選考対象から外されるのである)
来られなくなったため、
自らベネッセに許可申請をしてくれて、
現場を仕切る建築会社の所長に、
今はまだ未公開の「犬島・家プロジェクト」を、
ご案内してもらえるよう手配をしてくれたのだった。
さらには、
案内をしてくれたベネッセの女性スタッフが実に素晴らしく、
説明も簡潔で解りやすかったし、
危険区域の立ち入り禁止区域の注意事項など、
聞きようによっては冷たく聞こえる話の仕方など、
全てに配慮が行き届いていた。
一人は宮崎駿のアニメに出て来るような、
利発な女の子といった風情、
もう一人は「犬島のチェ・ジウ」(又は「犬島の仲間由紀恵」)
といった感じの女性で、
このような人を擁しているということからも、
「直島・犬島プロジェクト」は前途有望だと思った。
*旅の模様は、
同行したミノヤが写真付きで、
今日中に「clubwillbe」のHPで立ち上げることになっているので、
是非そちらをご覧ください。
「現地集合の現地解散」を原則にしたのだが、
実際にはマイレージを利用して行った人もいたが、
大半は東京からグループでツアーを組んで行ったので、
15人との最後のお別れは羽田空港になった。
帰りの飛行機が雨雲の影響で、
数年来で一番凄い揺れに感じた。
いつもは「揺れ」にこそ飛行機の醍醐味を感じる私が、
「どうか神さま、仏さま、
無事にみんなが家に帰れますように」と、
心から手を合わせていた。
20時20分、羽田空港に無事着陸。
道中、少しでも居眠りをしかかると、
私に叩き起こされていたナカヤマが、
隣席で眠っていたのだが、
最後の最後なので「少しぐらいはいいか」と、
大目に見ていたのだが、
「あゝ、よかった!無事着いて。行きの飛行機も、
もしかしたら東京に引き返すというアナウンスがあったりしたから、
みなさんが今夜中に帰れるかしらと心配で、心配で.........。
それにしても、この機長、運転がうまかったわね。」と言った時、
あゝ、ナカヤマも私と同じ気持ちでいたのだと知った。
(「運転」は、「操縦」と言ったほうが、
より緊張感は感じたと思うが.........)
メンバーの皆さんがどう感じてくれたのか、
次回の参考にもしたいので、
感想を書き込んでいただけたら嬉しい。

































初めまして♪
本州最北端の半島からです。
数日前にこちらを知り、少しだけ読ませて頂きました。
私と同世代の残間さんのことは、時々聴く『どよう楽市』を通してと、他のメディアを通して少し存じ上げておりました。
willbeの活動は全く知らなくて、あぁ、こんな事もされているんだ・・・と、ちょっと嬉しく力強く思いました。
いわゆるアラ還世代は、仕事、親、子、家族・・・と、そのアラウンドには、色んな問題が大なり小なり渦巻いていると思います。
今日の記事を読んで、何か知らないけどジンワリし、残間さんと同学年の男性の方のお話、勝山では聞けなかったその方の奥様のことを直島で訊かれたこと、今のその方の様子を知ることが出来、「あぁ、良かった・・」と。
介護をする立場にいることの多いのも又、アラ還世代の特徴のひとつだと思いますし、今回のツアーに参加されていた方たちのように、介護の合い間にと言うのも、いいなと思いました。
義父を見送り、義母との同居が始まって1年が過ぎ、今は一日一日を積み重ねて行くことを思って過ごしていますが、そんな生活をしているのは私だけではないと思います。
ちょっと自分を解放すること、自分に優しくしてやること、自分へのご褒美を与えること(ゆっくり飲む紅茶一杯でも)を忘れないように過ごしていますが、willbeも人生のそんな空間であればいいな、自分の知らないアンテナを張ってくれる手助けをしてくれたらいいなと、入会していないのに書いてしまいました。
残間さん、今日はむつ市だったのですよね?!
今朝起きたら気温がグンと下がり、午前中は雪、今は陽射しがあり、全く見えなかった釜臥山が姿を現しました。
『どよう楽市』の後、このツアーで、そして又今日は北国^^;
私だったらとっくにダウンの強行スケジュールです。
くれぐれもご自愛下さい。
そして北国が良い旅でありますように♪
今回のツアーは想定以上に内容があり都度の説明も非常に分かりやすく説明していただき参加して良かった。 5日程前に金沢21世紀美術館に入館して作品を見ましたが説明なしで理解が浅かったので余計に今回のアートツアーの良さが際立ちました。 関係者の方、有難うございました。 又機会があれば数年後に再訪したいと思います。
私の友人は、ご主人の仕事の都合で転勤転勤なのですが、先日、ウィルビーを、すすめました。koro様も気楽に入会されても宜しいかと思います。全国にメンバーいらっしゃるから、活動もこれからもっと広がると思います。私も、どよう楽市も、拝聴し、ブログ楽しみにしている一人です。みんな悩みあるけど、先日の桁外れに元気な人に会うこと実行中の私です。
次回の直島ツアーでは、岡山から北上して備中高梁や伏屋を組入れるプランをお勧めします。高梁は「男はつらいよ」で二度のロケ地となった懐かしい風情、伏屋はベンガラで盛えた紅い街並み、広兼邸・西江邸は山城とみまがう豪商の屋敷です。首都圏からの観光ツア-にないせいか、とても静かに過ごせます。銅の採掘で盛えた西江邸の庭園で「昔はどうやって鉱山を見つけたんでしょうか」と素朴な疑問を西江夫人に投げかけると、「夜になると、金の眠る山は金色に、銀の眠る山は銀色に、金属に応じて山がぼーっと光るんですのよ。特に、湿気の多い季節には」と興味深く教えて下さいました。
残間さん、お疲れ様でした。
息子の勧めがあり、いつの日にか行って見たいと思っていましたが、
その機会が思いがけなく早く訪れました。
どの場所でも丁寧な説明があり、
ツアーに参加して良かったと思っています。
また犬島で案内して下さった<宮崎駿のアニメに出て来るような風情>の方、
温かい雰囲気が漂っていて忘れられません・・・
willbeの企画には二度めの参加でしたが、
ひとりでも不安なく参加できました。
そして今回の企画が現地集合・解散で、
私は帰省を兼ねて参加できたこと嬉しく思っています。
☆千里香さんお勧めは、
高梁市吹屋(ふきや)ではないでしょうか?
今村昌平監督の肝臓先生でエキストラで犬島にいったことがあります。あれ以来そこに行ってません。今は残間さんも引き付ける何かがあるのでしょう、もう一度機会をつくって・・いってみたいです。岡山で是非見ていただきいのが千里香さんがお薦めの吹屋です。毎年私も5月頃、たった一軒の喫茶店の長尾さんを訪ねるのが楽しみです。今年も計画してます。里江子さんにも是非、訪ねてほしいです。その時は連絡を・・・お伴さしてください。