3月22日(月)25時39分
故郷・仙台から帰ってきた。
初めは行くつもりはなかったのだが、
日ごとに目が見えなくなっているという、
伯母(父の姉)の病状が気掛かりだったところに、
少し前に小学校時代の親友エイコちゃんが、
図書館に行って探して出してくれた、
古い地図を眺めているうちに、
急にこの目で、
「私の原産地」を確かめたくなったのである。
母によれば、
私が産声をあげたのは、
鉄砲町にあった今泉産婦人科という病院なのだが、
現在の地図には見当たらなかった。
そんな話をエイコちゃんに話したところ、
1964年の地図を見つけ出し、
コピーを取って送ってくれたのである。
1964年と言えば、東京オリンピックの年。
我が家が仙台を去り、
静岡県富士市に転居して2年後である。
もしも「生誕の地」が見つかったなら、
記念写真も撮りたいし、
何よりも「道連れ兼証言者」が欲しいと思ったので、
韓国旅行が中止になって時間が出来たという、
ナカヤマを誘って行くことにした。
東京駅でナカヤマと待ち合わせをして、
9時16分発の東北新幹線に乗った。
前の晩、ほとんど寝ていなかったから、
眠いはずなのだが、
まったく眠くならないのは、
どこかが緊張しているのだろうか。
11時過ぎに仙台駅に着いて、
荷物をホテルに置き、
急いでタクシーに乗った。
何しろ私が生まれたのが正午だから、
うかうかしていると間に合わなくなるのである。
運転手さんに古い地図を見せると、
「昔は鉄砲町も商店街だったんですが、
今は店なんかないですよ」
と、いかにも気の毒そうに言うのだが、
前も後も知らない私にはイメージが湧かない。
.........着いた鉄砲町は、
意外にも仙台駅にほど近い、
駅構内から車で10分足らずのところにあった。
よくある話ではあるが、
道幅は想像していたよりもかなり狭かった。
道路というよりは小道という感じだ。
そして.........たしかに運転手さんの言う通り、
道の両側は大規模な宅地開発が行われていて、
後背地には既に何棟ものマンションが建ち並び、
道に面している部分はほとんどが更地だった。
昔の地図を見ると、
武田製麺所、遠藤八百屋、板橋時計店、新沼タイル店など、
商店がひしめいているのだが、
今は面影すらない。
それでもしばしタクシーを走らせて行くと、
鉄砲町の丁度中間あたりに、
映画のセットのような古めかしい瀬戸物屋さんが、
一軒だけポツンと建っているではないか。
その陶器屋さんは、
正面前方の壁面に堂々とした表札が掲げられ、
「早坂忠元」と記されてあった。
店内を覗くと、
当の忠元さんらしい人がハタキを持って、
陶器についた埃をはらっていた。
年のころは60代後半といったところか。
一目で人がよさそうな感じに思えたので、
躊躇うことなく声をかけた。
「このお店は何年くらいになるのですか?」
「400年になるなぁ」
「えっ、そんなに前から?」
「うちは伊達の家来だからな」
(昔は鉄砲鍛冶でもしていたのだろうか)
「このあたりに、昔、今泉産婦人科ってなかったですか?」
「ウーン、聞いたことあるなぁ.........。
あっ、そうだ、あのあたりだ。
ホラあそこに新しく出来たクリーニング屋が見えるでしょ?
たしか、あのあたりだったような気がするなぁ。
だけどあんた、何でそんなところを探しているの?」
「実は今日が誕生日なので、産まれた場所を探訪しているんですよ」
「えっ、あんた、今日が誕生日なの?オレもだよ。
オレも今日が誕生日なんだよ。あんた、いくつ?
オレは今日で57歳になるんだよ。
ホラ、見てみぃ、証明書だ」
差し出された運転免許証には、
昭和28年3月21日生まれと記されてあった。
と、いうことは、私より3歳も下。
アラ古希だとばかり思っていたのに.........ショック。
しかし考えてみれば、
私もこういう年齢ということなのだ。
たしかに自分の姿は鏡に映してはいるが、
自分の真の姿は見ていないからなぁ.........。
これも何かの縁と、
記念写真を一枚撮らせてもらって、
早坂さんが言ったあたりに歩いて行った。
クリーニング屋さんは定休日で、
店にはカーテンが掛けられている。
沢山のマンションが建ったので、
そこに新規開業をしたという感じの店だ。
しかし、古地図と重ねて見ると、
ここではないような気がする。
「ここだと思うわ!」
ナカヤマが言い放った。
「小田原弓の町に通じる道路から類推すると、
ここしかないと思うのよ」
そこまだ開通していない、
広大な造成地を貫通する道路だった。
何が苦手といって、
地図を見ることが何より苦手なナカヤマが言うことだし、
第一、昔の地図を見ると、
そこには道はないのである。
「だから、これは区画整理をしてこの道路が新設されたのよ。
今泉産婦人科からこの丸田そば屋と庄司理容の間にかけて、
新しく造ったに違いないわ。絶対にここよ。
いいじゃない、産まれた場所が道路になっているなんて。
未来に向かって道が拓かれているって感じがして」
そうでもあるような、そうではないような、
確信はなかったが、
そろそろ12時だし、
どっちにしろ昔のイメージは皆無なのだし、
「還暦からは過度にモノゴトにこだわるのは止めよう」と、
誓ったことでもあるし、
何よりも道路の専門家でもないのに、
「区画整理事業」まで持ち出してキッパリ断言する、
ナカヤマの毅然とした態度に敬意を表して、
ここを私の「生誕地」に認定しようと決めた。
東京から持参したシャンパンの栓を抜くと、
「この保冷袋は何かと思っていたら、シャンパンだったのね」と、
ナカヤマは少し驚いたらしいが、
道路の側溝の縁に座って、
グラス代わりの紙コップで乾杯をした。
地図上では、
私の本籍地の二十人町もすぐ近くだったので、
せっかくここまで来たのならと思って行ってみたのだが、
そこはさらに大規模な開発地域となっており、
大きな土山があちこちに出来ていた。
「親たちはここで、貧しい新婚時代を過ごしたのね」と思おうにも、
昔の家は一軒もなく、
想像の手がかりは何一つないのだった。
このあと、
懸案の伯母のお見舞いをして、
(伯母は思ったより元気で安心した)
夜は、
生涯の友である、
初代の親友・エイコちゃんと、
2代目親友を務めていてくれるナカヤマとが合流して、
みちのく料理屋さんで、
小宴を催した。
さぁ、これで、
私の原点とも言うべき「想い出探しの旅」はおしまい。
ここからは、
新しい自分を築いていかなければならない。
鉄砲町の開発が、
はたして町の進化なのか退化なのか、
今はまだ答えは出ていないが、
私は今しばらくは進化の道しるべを探しながら歩きたいと思う。
長々と、
「還暦の旅」におつき合いくださって、
ありがとうございました。

















































昔、テレ朝で放送された、『ルーツ』を、思い出しました。私も、産まれた産院は、もうありません。私も、ルーツの旅へ出掛けて見ようかと思いました。思い出に残る誕生日となりましたね。
仙台も黄砂の吹き荒れた日でしたね。
瀬戸物屋さんで同じお誕生日のご主人と
お会いしたなんて、出来すぎ!
実はうちの夫の家がそのあたりにありました。
今は都市計画で消えて、更地になってるけれど。
残間さんが仙台にいらしてる日だな、と
思っていたら、夕方姪っ子が来仙。
仙台生まれ、東京育ち、いまは九州で医者をしてるのですが、おしゃべりのなかで本籍地の話になりました。
残間さんの番地を云ったら、それから20ひいた番地の
本籍で同じところ。ずーっと変える機会がなく
そのままにしてるというので、これも不思議な話。
なんとも記念すべき還暦の旅、おめでとうございます!
お見事還暦おめでとうございます。
当り前に思える毎日も私はこの年齢まで生きて奇跡とさえ思えるのです。
既にクラスメートは事故や病気で8名も物故者名簿者に移っています。
私も沢山の持病持ちですが、歩き回れる事や好きな物を食べられる今日に本当に感謝です。
残間さん、お仕事のご苦労や、病気のご苦労や苦しみと
闘いながらの日々偉いものです。
及びもつかない私ですが、
奇跡に感謝しながら、今後の人生を生きて行きましょうね。
お誕生日、おめでとうございます。わたしは、大学進学で、東京に出る時、母に言われて、わたしをとりあげてくれた産婦人科の先生をお訪ねしたことがあります。生みの母が癌の末期で、わたしを生むことが命を縮めることになるというのを、新しい命を残すことに尽力してくれたとのこと。あの時の赤ん坊か、と大変に喜んでいただきました。
そのような機会をくれ、生みの母への感謝を教えてくれた母は偉いとおもいました。
残間さん、素敵ですね。生地を訪ねる旅。しかもナカヤマさん同行で。
実は、僕もずいぶん昔にやりました。一歳半までしか居なかった生家を訪ねたのですが、既に昔の家は無く、二軒の戸建てに変わっていました。
その一歳半までかわいがってくださった、お向かいのおばさんには、亡くなる少し前に会うことが出来ましたが、いずれも記憶が無いのでこちらは淡々としたものでした。濃い血縁の方々や、生まれた時からの親しいご近所さんの中で育った方々が、故郷を熱い思いで懐かしむのがうらやましくなることがあります。自分はどうやら一生さすらいの旅を続ける星なのかと妻と語ることがあります。私も進化の一里塚で息をつきながら歩み続けたいと思います。
自分の生まれた場所、というのは不思議なチカラを持っているものですね。ぼくの場合は、鬼子母神(池袋の)なのですが、今は東京音大の校舎になっています。ただ、鬼子母神境内の樹齢700年の銀杏の樹を見上げると、何故か落着くので、時々逢いに行きます。
こどもの頃は蹴飛ばして遊んでいたんですけど…笑。
インフルエンザに今頃かかりましたあ(涙)。
ポニョさん、巨木というのはすばらしいですね。
僕が一歳半から育った家の裏庭には、樹齢400年の欅の大木があって、台風などで倒れると危険だなどと云っているうちに、ある実業家の方が買いに来て、一番太くてよいところをごっそり使って、彫刻でおみこしを造り、神社に寄贈しました。
その完成のお祝いに、祖父母が招かれて、帰り道祖父が脳溢血になりました。
今から、思うと、その木のたたりではなかったかと思います。少年時代にはその大きな木が怖くて、強い風のときは、天地を揺るがすようなゴーッという音が響き、特に台風の夜など、布団にもぐりこんでしのいでいました。
人生の折々をイベント化できる人はきっとこの大木のように、何もしないでも存在感のある方に限られるのではないでしょうか?誰がやってもイベントになるということは無いように思いました。