3月15日(月)26時02分
今日は19時から、
浦安ブライトンホテル・トークサロンのコーデイネーターを務めた。
題して「艶やかに、美しく。
~あなたらしく輝いて生きるためのヒント~」
ゲストはピーターさんと萬田久子ちゃん。
二人とも日本人の「50代イメージ」を大きく変えてくれた人だ。
ピーターさんは、大きなワゴン車を自分で運転し、
助手席ににマネージャーを乗せて現われた。
今や自分のことはすべて、
自分でやることにしているのだと言う。
地唄舞の人間国宝を父に持ち、
3歳で初舞台。
家元を継ぐべく、
父親から毎日厳しい稽古をつけられるのだが、
6歳で両親が離婚をして、母親と暮らすことを選び、
母方の実家のある鹿児島に行き、
名門ラサール学園に進学。
しかしそのまま受験戦争に身を投じるのを潔しとせず、
家出を敢行、大阪を経て東京へ行き、
原宿でゴーゴーボーイをしている時に、
舞台美術家の朝倉摂さんにスカウトされて、
映画「薔薇の葬列」でデビュー。
その後歌手デビューも果たし、
いわゆるアイドル路線で活躍していくのだが、
25歳の時「このままでいいのか」と悩んだ末、
仕事を辞める覚悟で単身NYへ渡り、
「自分のやりたいことをやるためには、
自分で動かなければいけない」と悟り、
帰国後は積極的に意思表示をするようになったのだと言う。
「家出も渡米も、
人が敷いたレールの上を歩きたくなかったから。
芸能界は周辺の人がいろんなことをしてくれるけれど、
それに甘んじていると、それだけのことになるのよね。
いつだったかパリのエルメスで、
偶然スピルバーグ監督に会った時、
『あなたは黒澤明監督の「乱」に出ていましたよね。
名刺下さい』と、言われてビックリしたの。
日本では芸能人は名刺なんて持たないけれど、
海外では、大スターと言われるような人でも、
自分の履歴書とか連絡先を書いた、
ポートフォリオを持ち歩いているのよね」
それらの出来事を経て、
セールスプロモーションもエージエントと契約はしているが、
マネージャーに頼らず、
自分から働きかけることにしているのだという。
萬田さんも言う。
「私も独立して自分のオフィスを持つようになってから、
このプロデューサーと仕事をしたい、
このディレクターと仕事をしたいと思ったら、
出来るだけ自分で出向きたいと思うようになったわね」
二人の元気な会話は続く。
「結局、自分でやらなきゃ駄目だよね」
「自分でやれば、誰のせいにも出来ないからね」
「大人なんだしね」
「そのためにも『ひとり上手』にならなきゃね」
昔、中島みゆきの歌に「ひとり上手」というのがあり、
私もしばしば「♪ひとり上手と呼ばないで♪~、
♪~ひとりが好きなわけじゃないのよ~♪」と、
淋しく歌ったものだが、
思えば、私もあの頃は「ひとり」が嫌いだった。
あの頃.........1980年。
私は30歳。
多分「独り」でいるのが(なるのも)怖かったのだと思う。
今は「一人」も「独り」も大好き。
年をとるのも悪くはない。

















































楽しきかな人生。
知らないエピソードを知る事によって
その人の見方が変ってくる。
何気なく笑っている奥に、色んな人生を
かかえて過ごしてあるのだなと感じました。
さあ!背伸びせず、無理をせず、怒らず
人生を自分らしく自分で生きなくっちゃ!
今日のブログいっきに読みました。
ありがとう!
1980年というと、残間サンが「蒼い時」をプロデュースされた頃ですよね。
ぼくは当時18歳でしたが、はっきりと覚えています。
その位、鮮烈でした。
プロデューサー・残間里江子の名前を、一発で覚えました。
独りといえば、山口百恵サンもスポットライトを浴びて歌っている時も、聴衆に媚びず、凛として「独り」の世界を感じさせる方で、そこがまたカッコよかった。
独りで立つのが「独立」。
様々な分野の方たちと交流・協力するけれど、決して群れない。
男女を問わず、そういうひとって、いいな、と思います☆