1月17日(日)24時15分
阪神・淡路大地震から15年目の今日、
ハイチ地震の悲惨な映像と重なって、
地震発生後一週間目に大阪港から船で神戸に入り、
現地視察に加わったあの日のことが蘇って来た。
氷雨が降る中、烏龍茶のダンボール箱を傘代わりにして、
破壊された町をただひたすら歩いたものだ。
わずか15秒で決まってしまった生と死の境界。
生きることを許されている限りは、
一生懸命生きなければと、瓦礫の町で誓ったあの日。
私はあの日からの15年をしっかり生きたと言えるのだろうか。
今日一日、そんなことを考えながら過ごした。
あの時、私は44歳。
何を思い、何をしていたのか、
具体的には思い出せないのだが、
今とさほど変わらぬ忙しさの中で、
まだまだ若い気でいたような気はする。
言葉の上では、
「人生の折り返し点を過ぎて.........」
などと言ってはいたが、
さほどの実感はなく、
この先に可能性を感じてもいたし、
恋心も失ってはいなかったような気がする。
あれから今日までの日々、
今、改めて、
震災で亡くなった人たちに、
恥じない生き方をしているかと問われれば、
即座に「はい」とは言い難いが、
あの震災が大きなきっかけで、
常に、先に逝った人たちを思いながら生きているとは言える。
お線香を7本立てて、
亡くなった6434人の方々に手を合わせた。
.........お昼は母にお好み焼きを作り、
食後、母の手と足の爪を切った。
爪切りがまだ爪に触ってもいないのに、
想像力が母の痛点を刺激するのか、
爪切りを構えただけで、
「アッ、痛っ!」などと声を上げる。
その度にドキッとしながら、
目を凝らして母の爪を見る。
母の爪は93歳の爪とは思えないほど、
まるで生命力の証しのように、
猛々しいと言ってもいいくらい堅くて強い。
怖くて目を瞑っている母が可哀想な気がしたので、
慎重な上にも慎重に爪を切り揃え、
荒れた手足に貼り巡らされた救急絆創膏を剥がして、
保湿クリームをたっぷり塗って、
マッサージをした。
若い頃からあかぎれがひどかった母は、
昔はよく膏薬を貼っていたのだが、
最近は手に入らないため、
尿素入りのクリームと手袋・足首が苦しくない靴下を渡し、
「これを塗ったあと、手袋と靴下を穿いて寝てね」と、
言い置いているのだが、
面倒なのか、うまく出来ないのか、
皮膚が切れるとすぐ、
救急絆創膏を貼ってしまうのである。
手にも足にも、
何枚のもの救急絆創膏が貼られてあるのだが、
ただ貼っているだけで、
薬を塗っていないので治るはずもなく、
血行が悪くなった指先が変色し始めていたのである。
ついに先週は、
毎週一回通っているデイケアセンターから、
(先々週の「杖の丈が合っていないです」という「注意」に続いて)
「お母さまの手の荒れのひどさにお気づきでしょうか」
という内容の「報告」が来てしまった。
お気づきも何も、時間が許す限り、
尿素クリームでマッサージをしているのだが、
忙しさのあまり、数日間目を放すと、
またもや救急絆創膏(だけ)を貼るので、
なかなか治らないのである。
「これは膏薬ではないの。
ただの絆創膏で、薬効はないのよ」
と、何度説明しても、
記憶(思い違い)の更新が出来ないみたいで、
「これは膏薬だ」と思い込んだまま、
買い続け、使い続けているのである。
多分、明日はまた救急絆創膏を貼っていると思うが、
それはそれで仕方がない。
また気がついた時に、
クリームマッサージをすることにしようと決めて、
母の部屋を出た。
部屋に戻り、
気持ちを切り替えるべく、
一番お気に入りのシャンペングラスにシャンペンを注ぎ、
仕事部屋の仮眠用のリクライニングチェアに座って、
近々お会いする予定になっている、
櫻井よしこさんの半生記「何があっても大丈夫」を読み直した。
この本は2005年に出版されたもので、
以前も読んだのだが、
今回は吉行和子さんが絶賛していたので、
お会いする前に、
もう一度丁寧に読みたいと思ったのである。
わずか1時間半の至福の時ではあったが、
気分爽快になったところで、
買い物に行き、
夕食は母と二人ですき焼きにした。
すき焼き自体はまぁまぁの味だったが、
ふと「私の人生って、このまま母と、
すき焼きに舌鼓を打ちながら終わるのかしら」
という思いに襲われた。
平和だし、不幸でもないが、
何か、ちょっとねぇ.........という感じ。
「阪神・淡路大震災」の追悼の夜に、
こんなことを考えるなんて、
不謹慎だなと思いながら、
母を送り、
NHKスペシャル「巨大地震メガクエイク」を観た。
この番組は震災の「15秒の謎」を解く、
というドキュメンタリーで、
地震学者などが登場したのだが、
研究のために証言者になった、
庄野さんという女性の姿が胸を打った。
数時間前まで楽しく語らっていた母と息子が、
わずか15秒で、
庄野さんには傷だらけではあったが生が、
29歳の息子さん・聡さんには死がもたらされたのである。
淡々と15秒を語る庄野さんの姿。
細い腕には大きすぎる息子さんの形見の時計をつけながら、
今日も耐震車の前で子どもたちに地震の怖さを語る姿に、
私も「甘えてはいられない」と衿を正した。
このあと、
23時からは震災特集ドラマ「その街のこども」を観た。
佐藤江梨子と森山未来の、
日常会話のような演技とドキュメンタリーのような荒れた映像が、
震災のリアリティーを浮き彫りにしていた。
「何はともあれ、生きているって素晴らしいじゃない!」
そう思った時、不意に母の厚ぼったい爪を思い出した。
「もっと、もっと長生きして欲しいなぁ」と、
しみじみ思った。

















































身近な家族と言い争いしてしまうとき、自分でも意地を張ってるなーと思いつつ、ああ、もっと深いところで理解しあえたらというような期待感も相手にぶつけている気がします。それがかなえられないと身近なだけに直接的な怒りになってしまうのかも知れませんね。なんか悲しいことだなーと思うけど、むずかしいですね。近すぎるとむずかしいですね。でも関心も充分持ってて、あきらめていない証拠でもありますよね。そう思っておくことにしましょう。でも妻が死んでから、やっぱりあのときのけんかしないほうがよかったな、悲しかったなと思うことはありますね。どっちがどうというのではなくて。
母が死んで2年、年老いた父と二人無我夢中で生きてきた様に感じます。何もかも任せきりだゆえ、良い年をして残された二人は、妙に連帯感というか、結束を持って頑張ってきたがここに来て、すこーしづつ・・・ほんと家族ってむずかしいです。
ふじたさんのおっしゃる意味胸にジーンと来ます。
あきらめないから・・・そうなんです。
あきらめるということほど、難しことは、つらいことはないのでは・・・・
なんだか支離滅裂な文章ですみません。
今は昔よりもっと昔、
オイラがまだ幼かった頃、
長いこと口もきけず寝たきり状態の父を、
ずっと看病していた母が、食事や排泄の世話をしている姿を思い出した。
そういえば、生きているんだから髪の毛も伸びれば爪も伸びるはずだが、母が父の散髪や爪切りをしている光景は忘れていた。
オイラも母に爪を切ってもらっていたはずだが、
さすがにこちらの方は忘れているというより、
思い出すことが出来ない。
今は当たり前のように「自分で」出来る爪切りも、
いつか切ってもらう日が来るのだろうか?
その時どんな顔をしているんだろう?
どんな言葉で思いを伝えているんだろう?
爪切りという何でもない出来事の中に、
今私達は「生きているんだ」というメッセージを、
オイラは受け取った。
じっと爪を見る。
シワは、顔だけでなくここにも忍び寄っている。
いとあはれ!