12月15日(火)23時51分
日常的に親しい友人の「作品」というものは、
案外しっかりと把握はしていないもので、
何かの拍子に見たり、読んだりして、
「あゝ彼女は今、こういう事に関心を持っているのか」とか、
「知らない間に、こんな領域までカバーしていたんだわ」と、
感心したり、敬服したりすることが、
最近とみに増えている。
私が忙しいせいもあるが、
親しい間柄だと、
よほど特筆すべきことがない限りは、
「ね、凄い小説を書いたから読んでよ」とか、
「いい作品に仕上がったから必ず見ておいてね」とは、
言わないものなのである。
さて、今週は「年末身体検査の週」と決めているので、
(先週行った病院は「甲状腺炎」の治療のためで、
今週はあくまで検査だけ)
午後、山王病院のボイスセンターに、
咽喉の定期健診に行った帰り、
(昔、声帯ポリープの手術をして以来、
定期的に検査をしているのである)
近くのギャラリーで開催されている、
「隈研吾展~kengo kuma Studies in Organic」を、
覧ることにした。
10月15日から12月19日までの長い会期だったので、
「いずれそのうちに......」と思っているうちに、
とうとう今週限りとなってしまったのである。
目下15カ国にまたがる仕事をしていることも、
北京とパリもオフィスを構えていることも知ってはいたが、
実際に展示してあったスタディー模型や、
実験的な構造システムによる未来の仮設住宅、
さらには現在進行中のスペインの、
「グラナダ・パフォーミングアーツセンター」などの、
ダイナミックな作品模型を覧たら、
ここ数年隈さんの作品を、
きちんとは観てはいなかったことに気がついた。
時々世界の町々や村々から、
雑談のような電話はかかってくるが、
一年のほとんどが海外で、
一流オペラ歌手と同じように、
一番長く滞在しているのが「飛行機の中」という感じなので、
「何処にいるのか」は判っていても、
「何を創っているのか」については、よくは知らないのである。
1997年、一緒に仕事をした、
宮城県登米町の伝統芸能伝承館「森舞台」で、
建築界の芥川賞と言われる、
「日本建築学会賞」を受賞してから12年、
私がドメスティックな仕事に明け暮れている間に、
我が友は、これほどまでに飛翔していたのか.........。
「すげぇ、こんな建物が出来ちゃうんだ!」と、
いかにもアーティスト志望らしいファッションに身を固めた青年が、
歓声をあげるのを聞きながら、
私は嬉しいような哀しいような、不思議な感覚を味わっていた。
仲良しの向井万起男さんが、
慶大病院の病理診断部の部長職にありながら、
エッセイ賞を受賞し、
睡眠時間が同じ数時間というので、
明け方のメル友となっている幸田真音ちゃんは、
ファッション界を描いていたかと思えば、
今度は医学の世界、次はエネルギーの世界と、
新刊が送られて来る度に新境地を開拓している。
「能力格差」と言ってしまえばそれまでだが、
それにしても、みんな本当に凄いと思う。
不意に石川啄木の歌を思い出した。
「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
花を買ひ来て 妻としたしむ」
思い出しながら、
「妻」が(=夫でも恋人でも何でもいいが)いない自分にも、
思いが至り、なおさら淋しくなった。

















































隈さんも、向井さんも、今年の夏の講座で初めて身近にお話しを伺い、講座料金では替えられない素晴らしいお話しと人柄にふれることが出来ました。
この日曜日には、NHKの日曜美術館で隈さんの設計による新根津美術館のお話しを伺い、近く久し振りに根津美術館に行こうと楽しみにしています。
向井さんのお話しは、あの講座の中でも一番笑いの多かった内容でしたが、私の耳に残ったのは、毎日母親のお弁当を持って私鉄で律儀にお勤めに向かう息子に対して『万起男を残して死ねない。』という母子の絆でした。
かように残間さんのお仕事は、多くの方々の心の中に長く残り、人生をつかさどる上での、大小さまざまな価値あるものを提供してくださっているものと思います。WILL BEは、形の無い価値を多くの方々に提供してくれるものだと思っています。
10月に仕事仲間の研修旅行で山形の銀山温泉に行き、隈氏が設計された藤屋旅館を(泊まったのでなく)見学してきました。
この夏のアカデミ-に参加しなかったら、ただなんとなく通り過ぎてしまったであろう景色も、予備知識のおかげで隈氏の講義を思い浮かべながら、感慨深くじっくりと見学できました。
ここのところ元気のない建築界ですが、若者に夢を与えてくれる彼のような建築家がもっとたくさん現われるといいですね!
他人と自分を比較して、今の自分がどうのこうのと考えても疲れるだけなような気がします。上昇志向が必要な場面もあるかもしれませんが、人は人、自分は自分で、あるがままが一番だと思います。
啄木は実生活のなかからしか歌わなかった夭折の歌人ですが、短い生涯のなかで残間さんに引用されるような「表現」ができたことで、今に残っているのはすごいなと思います。表現で啄木が「われよりえらく見ゆる」気がします。わたしには残間さんもそう見えるのですが・・
作家・赤坂真理さんの、週刊誌のあるコラムから・・・
私も敬愛する、須賀敦子さんのNHKの特集テレビ番組の中から、次ぎのような感想を寄せられていました。
『須賀敦子が、イタリアで仕事をする日本人の年下の友人に、異国で仕事をすることの壁の事を相談されて意外な答えをした、という証言が番組には出てくる。
「私もまだ、どうやって生きていいかわからないの」
これには、私は、たとえようもなく心を打たれた。誰よりも遠くまで歩いたような人が「わからない」と言うこと。なぜかこれほど安心できる先達のメッセージを、私は受けたことが無かった。』と。
なぜ、今、須賀敦子がこれほどまで求められるかというと、『考え続けた』からだと思う。
真に人間らしい生活とは何か、どうしたら手に入るのか、そもそも手に入るものなのかと・・・
須賀敦子さんの話はすてきですね。テレビでわたしも見ました。図書館で本借りたりしました。考え続けるということ、なりたい自分との自己対話をずっと沈黙のなかで続けること、それが須賀さんの生き方そのものだったような気がします。答えとしても降り方がいいなと思います。
親鸞も歎異抄のなかで弟子の唯円への答え方が同じですね。そのときもさすがと思いました。なかなかできない答え方ですね。低くなるのはむずかしい気がします。