10月9日(金)22時38分
「どよう楽市」の打ち合わせのあと、
会社でミーティングをしてから、
来週13日に開院する、
山王メディカルセンターの病院見学会に行った。
新築なった山王メディカルセンターは、
予防医学センターや人工透析センターなど、
高木邦格理事長が提唱する、
新しい概念に基づいた医療施設なのだが、
私が感激したのはこのセンターが、
女性腫瘍と婦人科疾患を中核に据えている点である。
数年前にアメリカのメディカルディストリクト、
(医療タウンのようなもの)を視察した折り、
どの地域もウィメンズホスピタルとチルドレンズホスピタルが、
中核施設だったのを見て、
アメリカの医療にも問題がないわけではないが、
それでも女性と子どもを医療の主軸にしているあたりは、
少子化を嘆きながらも女性と子どもを、
さほど大事なこととして扱ってはいない日本の医療現場とは、
やはり違うなぁと思っていたのだった。
高木氏は大分前からその重要性に気がついていて、
構想5年をかけて実現させたというのだから、
このへんが「医療界の風雲児」と言われる所以なのだろう。
8階建てのメディカルセンターには、
PET-CT、,3.0テスラMRI、デジタルマンモグラフィ等の、
最新医療機器が導入され、
随所に目を見張るものがあったのだが、
私には、施設を巡りながら、
また別の感慨があったのである。
2000年11月19日、
山王病院が乃木坂に新築移転した丁度その日、
父がこの地に建っていた旧山王病院の一室で亡くなったのである。
移転当日、院内は朝から引っ越し準備で、
誰もが忙しく立ち働いていたのだが、
前夜、病状が急変した父の病室だけは、
移転とは別種の緊張感が漂っていた
病状が思わしくなかった父の転院は、
人工呼吸器など救急医療機器が必要だったため、
最後の方に予定されていたのだが、
私には、新しい病院までは持たないのではないかと思えた。
それでも病院側は、
「新しい病室の準備は完了しています。
温度も湿度も調整済みです。
お花も飾ってありますよ」と言ってくれたのだった。
母に相談すると、
母は「生涯地味に生きて来たお父さんは、
これから開新しくスタートする病院で死を迎えることは、
望まないのではないか。むしろみんなに囲まれて最後の日々を過ごした、
この病室で死を迎える方がお父さんらしいと思う」と言うので、
旧病院で最期を迎えさせることにしたのである。
父の病室があったとおぼしき場所を歩きながら、
私はこの間の時の流れの早さと、
この間の私自身の歩みについて考えさせられた。
(「死にもの狂いで生きている」などと言いながら、
あまりしっかりとは生きてこなかったような気がしたのだ)
このあと、ホテル・ニューオータニに場所を移して、
開院記念祝賀会が開かれた。
会場には政治家も沢山来ていたが、
自民党のお歴々のほとんどが、
肩書の前に「元」が付くのを聞いていると、
そこにも「時の流れ」が感じられた。
私もいつの日か最期の時を迎えるのことになるのだが、
そこまでは気を抜かずに生き切らなければと、
在りし日の父の笑顔を思い出しながら、
「鏡開き」をした。

















































山王病院の移転とお父上の最期が重なったとのお話、
その時の周囲の方の思いやりには、心に響くものが
ありました。
高木氏が医療の世界では異色(出色というべきでしょう)
の経営者として著名ですが、後に続く方がもっともっと
現れてほしいですね。
それにしても、
「私もいつの日か最期の時を迎えるのことになるのだが、
そこまでは気を抜かずに生き切らなければと、
在りし日の父の笑顔を思い出しながら、・・・」
との残間さんの末尾の言葉には、なぜか切ないものを
感じました。
ここまで思いつめて、ハードスケジュールで邁進して
いる残間さんだから、多くの人を魅了するのだと思いますが・・・
これからも素敵な笑顔で、時には一息つきながら、
刺激を与え続けてください。
気を抜かずに私も生きていきます。いつも貴女を糧にして…心の底にあるものに同じもの感じるのです。たまには気を抜きなさいと言われても 抜くことができないのです。