10月23日(金)26時33分
18日の「浅草シティウォーキング」に始まって、
21日は「仙台フォーラム」
翌22日には「栗原はるみさんの料理ショー」があって、
明日は「蕎麦打ち教室」と、
一週間に4回の自主企画イベントを実施するというのは、
さすがにちょっとキツい感じだ。
さらにはここに加藤和彦さんの急逝、
横浜旭区での講演会、
いくつかの会議や社内ミーティング等の、
日常業務が重なったので、
なかなかの過密スケジュールなのだった。
この1週間、
ほとんど顔を合わせていない母からは、
一日おきに「メモ代わり」と称する、
平均便箋3枚にわたる手紙が届いていた。
筆ペンで書かれた草書体に近い崩し文字を、
推測しながら読んでいる精神的ゆとりはないのだが、
読まずに放置していられるほど神経が太くもないので、
時間を気にしながら読んでみると、
「忙しいでしょうけれど、そんな時こそ、
私と話すことで、気持ちが晴れやかになると思います。
たまにはゆっくりお茶でもいただきませんか」
などというピントがズレた悠長な手紙で、
「淋しいのだろうな」とは思うものの、
イライラしないといえば嘘になるのである。
まあ、しかし時は過ぎていくわけで、
愁いも惑いも後悔も、
全ては過去のものとして遠ざかっていくのである。
私の人生は、
「時間」によって支配されているようにも思うが、
よく考えてみると「時間」については、
熱さと冷たさ、両極で捉えているようなところがあって、
瞬間に集約するエネルギーを信じ、頼みにもするのだが、
それもいずれは終わるものと、どこかで突き放して見ているので、
「時間」は自らを奮い立たせるために使っている、
一種の「道具」に過ぎないような気もするのである。
(タイムリミットを作って、自らを追込むという感じ)
とにかく昨日までは、
言わば「いっぱいいっぱいの状態」だった私なのだが、
ここを過ぎさえすれば、あとは乗り切れると思っていたので、
昨日の「栗原さん企画」が何とかいい形に終わったことで、
(「いろんな人のお力添えがあったればこそ」なのだが)
今朝は久々心軽やかに目覚めることが出来たのだった。
それでも、
気にかかることは沢山あって、
この一週間の中で、お世話になった人たちに、
御礼状が書き切れていないのが、気になって仕方ないのである。
それ以前にお世話になった方々にも、
まだ全部を出していない有りさまで、
毎日、便箋やハガキを持ち歩いているのだが、
書く時間がなくて、積み残したままなのである。
(仙台では絵葉書を買って、何人かに書いたのだが、
ポストが見つからず、東京に戻ってから投函となってしまった)
今夜も「1枚でもいいから書かなければ」と思っていたのに、
関西在住の女友達から電話が入って、
ついつい長電話になってしまい、
私の貴重な空き時間はサラサラとこぼれ落ちて行った。
このご時世、女が独りで生きていれば、
悩みが尽きないも解るが、
アドバイスを欲しがっているようなことを言うから、
それらしきことを言うと、
「それは、違うのよ」となり、
結局は自説を滔々と並べ立てるのを聞いているだけなのである。
そういえば、最近、自分の思考回路で話を勝手にまとめ上げ、
他者からの「異論」を即「反論」と見なして、
抗議したり、攻撃したりする人が増えているような気がする。
誰にでもいいから「丸ごと認められたい、認めて欲しい」
と思う気持ちがそうさせるのかもしれないが、
人に自分を認めて貰うには、
自分の方が先に相手を丸ごと認めないと、
難しいんだけどね.........。
自説を曲げない強力な女友達につき合っていたら、
またしても深夜になってしまった。
秋の夜は長く、
淋しい女は一瞬の狂気に駆り立てられるみたいだ。
(私も含めて.........)

















































> 人に自分を認めて貰うには、自分の方が先に相手を丸ごと認めないと、、、
独自の主張(価値観)を素直に聞くには、『“自身と違う何か?”が無償でゲットできる!』と考えて臨むと理解できる事があります。そうして知り合った人とは、意外と長く、お付き合いできるのも不思議です。
※理解できた多くが、同じ価値観を違う語句(文脈|事例)で言っていただけ!・・・かも?
> 加藤和彦さんの急逝、
しばらく「時間」を経て、報道内容(遺書の文言)から、心の病からは出るはずの無い関係者への深い配慮が感じ取れるので、『少し早いが、ちょっと先に逝かれただけなのかも知れない』・・・と感じています。
※深く詮索しないで!・・・との意向が、それを現しているのでは?
自身の周りも時節(時間)と共に、色々な事柄が確定して行きます。ウイルスが猛威を広げる最悪の環境下でも無事に外孫が授かり、息子が来月に結婚します。相続税対策(補填策)も終え、決めなければならぬ課題(時間)は、自身の終焉までの「時間」と「過ごし方=暇つぶし」のみとなっています。まだ社会(周囲の他人)から生かされています???ので、暫くは現世に留まる(苦言や悪態を尽くす!)覚悟ですが、、、
(text end)
【コメントの続き】
> 「淋しいのだろうな」とは思うものの、、、
母親は夏過ぎから、時々様子を見に来る娘二人や私の嫁が、初孫の話題ばかりなので、「もっと私の事を、気遣ってちょーよ!」・・・と、ご機嫌ななめですが、、、血を分けた親子の情(常)からか、私を含め皆が無視!・・・しています。
今日は早朝からお寺さん縁日(市場開設)なので、仲良い連中(意地悪?婆!仲間)と露店での冷やかしの後、喫茶店に入り込み、娘と嫁の悪態を出し尽くしてから、ご帰還される予定。田舎は、これらのガス抜き機能が完備?しているので正直、助かっています。
(text end)
残間さんの揺れる気持ちが素直に表現されていますね。
周りの人をいたわりながら、この率直な吐息(?)が魅力
なのだと思います。
「この1週間、
ほとんど顔を合わせていない母からは、
一日おきに「メモ代わり」と称する、
平均便箋3枚にわたる手紙が届いていた。」
思わず、今、話題の歌、樋口了一さんの
『手紙~親愛なる子供たちへ~』と二重写しに
なりました。
以前から感じておりましたが、かわいいお母様ですね。
私も、年をとっても知性あふれるかわいいばあばになりたいものです。筆文字で草書体でメモ代わりで便せん3枚なんて、感激です。残間さん、お母様お大切に。(いわずもがなですが)