10月17日(土)21時21分
「どよう楽市」を終えて、
楽しみにしていた黒柳徹子さんの、
「ベッドルーム・ファンタジー」をル・テアトル銀座に観に行った。
いつもながらの素晴らしい舞台で、
またまた黒柳さんへの尊敬の念を強くした。
この作品は、世界10カ国で上演されているということだが、
「黒柳さんが一番エレガントに演じてくれた」と、
この作品を書いたジョン・トビアス氏が絶賛したのだという。
夫婦のセックスレスがテーマの芝居なので、
台詞の中にはきわどいものもあるのだが、
ひとたび黒柳さんが口にすると、
軽妙洒脱で、大人の言葉の遊戯といった風情で、
黒柳さん以外の女優では演じ切れるものではないと思った。
今日は特別に終演後に黒柳さんのトークショーがあったのだが、
これまたとても楽しいトークで、
抱腹絶倒、愁いも憂さもいっぺんで吹き飛んだ。
楽屋にお邪魔して、少しだけお話をして劇場を後にした。
時間的に間に合ったら、
「私の中のあなた」を観ようと思ったのだが、
明日は「ウォーキングイベント」もあることだし、
早めに帰宅することにした。
日比谷からタクシーに乗って、
国会議事堂を抜けた時、
ナカヤマから電話が入った。
加藤和彦さんが軽井沢で亡くなったのだという。
それも自死で.........。
加藤さんとは、
来週21日の水曜日、仙台でご一緒する予定だった。
軽井沢で亡くなったというので、
「もしかしたら」と思い、市川猿之助さんの事務所の、
藤間文彦プロデューサーに電話を入れてみた。
電話はすぐにつながり、
藤間さんは、加藤さんのマネージャーの内田さんと一緒に、
ご遺体とともに東京へ帰る途中だという。
電話を代わった内田さんは泣き声で、
私に「すみません、すみません」と言うばかりだった。
私が「もしかしたら」と、思ったのは、
加藤さんにとって、
軽井沢は大切な場所だと思ったからなのだった。
今から丁度20年前、
私が横浜市制100周年記念イベントの、
総合プロデューサーを務めた時、
劇作家の斎藤憐さんと一緒に、沢田研二・大地真央を主演に、
2000人の市民参加による「スーパーオペラ」を企画した際、
猿之助さんに演出を、加藤和彦さんに音楽をお願いしたことで、
猿之助さんと加藤さんの友情の歴史が始まり、
以来、2人はしばしば軽井沢にある猿之助さんの、
創作のための別荘で一緒に仕事をしていたのである。
私もお訪ねしたことがあるのだが、
それまで六本木のスタイリッシュなスタンジオで、
如何にもカッコいいライフスタイルを実践していた加藤さんが、
軽井沢では、ジャージのカジュアルウェアで、
猿之助さんと連れ立って、
近くの町の植木市に行ったりしているのを見て、
和と洋がうまいバランスで溶け合っている、
素敵な関係だなと思ったものだった。
加藤さんも何かの折りには、
「猿之助さんを紹介してくれたのは残間さんだからね」と、
嬉しそうに言ってくれていたので、
2人が一緒に作品を創る度に、
1人で勝手に誇らしく思っていたのだった。
.........とにかく、今は心からご冥福を祈るしかない。

















































加藤さんの訃報にびっくりしています。
だって、クラブ・ウィルビーの残間さんのインタビューを読んで、「62歳でこんなに素敵なんて」と感動して、男も女も年齢に関係なく、素敵にいられるのだと思ったばかりなのですもの。親しい間柄であった残間さんは尚のこと、驚かれ、心痛めていることかとお察しいたします。
加藤さんのご冥福をお祈りいたします。
今日は朝からヤンキースの松井をみてた。合い間のニュースで彼の死を知った。彼は1才上だった。彼個人を思い出すというより、時代として思い出した。時代が変っても、その後もその道でやりたいことをやっていると思えていたのに。ニュースはなぜかショックで今もなぜなんだという自問が私事のように問いかける。まだ生きている私に何かを問いかけてくるような気がする。時代の影でわたしよりやさしい人たちが影の向こうに投身していく。なんとかこの時代をもうすこし楽に生きられるようにならないか。やさしい人には息抜きが難しい時代なのか。自死はいつもなにか悔恨のようなものを生きていく人になにか重荷として残していくような気がする。
加藤和彦さんの死は衝撃だった。
目を疑った。あの加藤さんではないよね。
たしか仙台でのイベントのゲストのはずなのに・・・
そして残間さんは大丈夫だろうか?とひとり悶々としてしまった。
音楽はもとよりライフスタイルも時代をひっぱるスタイルに憧れてしまったひとりでした。
心になにか切なさと虚しさを覚えました・・・