9月28日(月)25時07分
体調はまだ完全に回復してはいないのだが、
気分だけは上々で、
新しい週になったことが素直に嬉しい。
スケジュール帳を見ると、
今週もまた相当つまっているのだが、
初めて会う人が多く、
そこにどんなドラマが生まれるのか楽しみだ。
これはおそらく、よく眠ったせいだと思う。
先週末から今朝まで、
「この数年間で一番よく眠った日々」と言えるくらい、
一日の平均睡眠時間は7〜8時間(もあり)
いつもの倍近く寝ていたのである。
そうして判ったことは、
私は「寝たいのに寝られない」のではなく、
(時間がないから、そういう側面もないではないのだが)
「寝ることがあまり好きではないのだ」ということだった。
寝ていること、それ自体が、
楽しいとか嬉しいという気持ちはなく、
「元気に起きるために寝ている」という感じなのである。
それでも「眠る」という行為で、
これほどまでに身体がラクになるということが、
実感出来てしまったので、
元気に起きて、元気に活動するためには、
3、4時間の睡眠では駄目だということだけは、
身にしみて解った。
ランチミーティングを皮切りに、
夕方まで3つの会議で4人の新しい人に会い、
それぞれの会議のテーマは全部違うものだったのだが、
いずれの人とも「一過性の出会い」では終わらないような気がした。
永年の経験から言うと、
「この人とは一過性の出会いでは終わらないだろうと思った」
ということは、実は「一過性の出会いにはしたくない」ということで、
「縁を感じる」ということは、
「縁が繋がることを望んでいる」ということなのである。
今日出会った4人とも、
「良縁」になるといいのだが.........。
夕方からは、
30年来の友人2人と、
約3年ぶりの「飲み会」があった。
一人は出版社の社長、
もう一人は会社を辞めて自分で起業した男友達だ。
出版社社長は、以前会った時と変わらず、
今日も溌剌としていたが、
起業男の方は、以前会った時より精悍で、
若々しくなっていたのには驚いた。
聞けば1年半、毎日歩き続けたら、
体脂肪もコレステロールも改善され、
体重も5キロ減ったのだと言う。
女は、大病でもしない限り、
さほど極端には老けないものだが(ひいき目?)
男は病気もしていないのに、
ある日突然「劇的に老けた」という感じで、
老いの坂を駆け降りる人が多い(ように思っていた)のだが、
最近は「老化停止男」が増えて来たような気がする。
「散歩男」や「泳ぎ男」「ジム男」など、
正面切って健康に気をつける男たちが増えてきたこともあるが、
行動様式自体が昔とは違ってきて、
起業男も仕事の合間に映画を見、人に会い、
特に高価なものを身に着けているというのでもないのだが、
「佇まい」に気を遣っているのである。
(今日の起業男のファッションは、
衿をさりげなく立てた白いシャツが「現役男」の雰囲気を醸し出していた)
この時代は「その気」になりさえすれば、
男もアンチエイジングを実践することが出来るのである。
加齢臭を消す繊維も開発されているし、
肉が落ちて垂れ下がったお尻の線をカバーする、
ヒップアップパンツも安価で売り出されているし、
白髪染から一歩進んだ多彩なカラーリング(毛染め)も、
コラーゲンやヒアルロンサン注入も、
女の専売特許ではなくなったいるのだから、
「劇老い男」にならないための方策は揃っているのである。
要は、その人の「気持ち」なのである。
「どうせみんな年をとるんだから、自然でいいんだよ」と、
思えば老化は加速するし、
散歩や加齢臭除去Tシャツにチャレンジしようという気持ちがあれば、
老いをしばし停止させることは可能なのである。
とは言え、
知人の中にも何人かいるのだが、
判らない程度に時々プチ整形をしたり(でも、判るんだけどね)
ホルモン補充療法をしたり、
毎月何十万円ものサプリメントで、
体重コントロールをしているアクティブシニア男というのも、
あまりに「若さ」に執着しているみたいで、
ちょっと哀しい気がする。
(「努力」は立派だと思うし、経済的にはちょっぴり羨ましいけど)
そう考えてくると、
ほどほどに年をとりながら、
ほどほどに若くあるというのは、
相当難しい境地だ。
「キレイでいたい」けど「食べたい」
「若くありたい」けど「ラクにもなりたい」
「カツコ悪くなりたくない」けど「面倒臭い」
当分は自分の欲望との闘いが続きそうだ。
もっとも、
この「闘い」こそが「若さの痕跡」なのだけれど。

















































> ほどほどに年をとりながら、
> ほどほどに若くあるというのは、
> 相当難しい境地だ。
・・・同感!、、、です。
年を取ったら三国連太郎さんの様な雰囲気を醸し出したい!
・・・と念じていますが、、、
家内は、「釣りバカの浜ちゃんの雰囲気のままで、大人の渋さが、全く出てないよ!」と、、、
(text end)
以前フォレスト・カーターという作家(祖先がインディアン)のリトル・ツリーという本で、おばあさんが子供のリトル・ツリーに話を聞かせるなかで、心には「からだの心」と「霊のこころ」とふたつあって、からだの心はからだをだいじにする心だけれど、ただ欲を出しすぎると霊の心がしぼんでしまうんだと言っていました。
でも、逆に霊の心も酷使しすぎるとからだの心も痛くなったり、疲れてしまってええい、熱でも出してやるということもある気もします。やっぱり心はふたつあるに違いありません。
残間さんが眠りがだいじだと身にしみてわかったのは、からだの心としてはとてもうれしかったに違いない気がします。
この頃ほんとはからだの心から霊の心が生まれたのではという気持ちがしきりにときどき?します。